ノートン商会

 居心地の悪い馬車の旅は、途中二回の休憩を挟み、かれこれ車内で八、九時間ほどは経過しようにエレノアは感じていた。朝早くからの出発を加味しても、そろそろ陽が落ちると思っていた頃、馬車は三度目の休止を迎えた。


「降りろ。ついたぞ」


 外からは下車を促す御者らしき男性の声。

 エレノアはその場から立つと、足のしびれで転ばないように、ゆっくりと馬車を降りた。

 すると、眩しい光と共に美しい夕景が、崖向こうに見える西空を茜色に染めているのが瞳に映った。絶景であり風情もあるが、今はそれを眺めて味わうような状況ではない。

 周辺は岩がごろごろした赤土色の地面。途中から馬車が悪路に入ったような感覚はあったが、どうやら標高のある場所まで来ているようだった。


(混沌の森ではなかったわね。まさかの山岳地帯。──とすると聖王都エリングラード北部。ああ本当にタチが悪い)


 エレノアは聖王都エリングラード周辺の地図を頭に思い浮かべていた。


 東部から南部にかけては実り豊かな平野が広がっている。

 西部は混沌の森と呼ばれる凶悪な魔物の住処。

 そして、北部は人の往来が殆どない、険しい山岳地帯が聖王都の近くに構えている。


 確かに国境に一番近いのはここである。国外追放という名目を果たすには、この人の寄りつかない山岳地帯に直行して放り出すのが手っ取り早い。平野を東に向けても南に向けても、最寄りの国外領までは最低でも四日くらいはかかる。

 偽聖女追放には、その費用さえ惜しい、もしくは嫌がらせ、おそらくは両方。

 

「……追放にしてもあんまりじゃないの。この山に放置って事かしら?」

「まあ、これ以上、馬車は進めんからなあ。もう少し先は聖結界の外側だ。下手すると怪物の餌になっちまうだろ?」


 そう言いながら兵士はにやにやと笑った。エレノアが怪物の餌になるのは知った事ではない。そういう嫌みを含ませた発言。

 聖女の張る聖結界の外縁を抜けた先は、結界に阻まれた怪物の巣になっている可能性もある。そして越境先の山岳地帯はどの国の領土でも無い中立地帯だった。山村があるという話は聞いたことがあったが、いずれにしろ困難な旅になる事は疑いようがない。


 今朝方に魔法力マジックパワーを多く消費した身で、手持ちの食料は残り三日分と少し。ここから先の旅は不安しかないが、結局彼らも上の命令に従っているだけである。これ以上、不満を訴えた処で意味はない。エレノアは諦めたように大きな溜息をついた。


「わかったわよ。ここで構わないわ。……じゃあ、さっさと手枷を」

「心配するな。放置なんてしないさ」


 エレノアの台詞を遮るように、背後から別の男性の声がして、エレノアは顔と視線を向けた。その先には、乗ってきたものとは違う馬車が停車している。

 別の馬車が先行していたのだろうか。傍には人影が三名。一緒にやってきた馬車の兵士と御者含めると六名。そして馬車に付いていた社章にエレノアは見覚えがあった。

  

(……あれはノートン商会の馬車。どういう事)


 エリングラードに根を張る大商会の社章を目にした時、エレノアはエリン大聖堂でノートン商会の会長を務める大商人ノートンから、偽聖女と罵られた腹立たしい一件、そして、聖王が病に伏せてから二年、商会に良い噂を聞かない事を思い出していた。


 エレノアは乗り合わせた兵士と含め、六名に囲まてしまった。

 その内の一人、赤茶色の手入れの行き届いていない髪をした大男が、くたびれたような様子で話しかけた。


「……よお、エレノア様」

「貴方は確かノートンの用心棒……アンガスだったかしら。どういう事?」

  

 アンガス。彼はノートン商会の用心棒のリーダー役を務める壮年の男で、個人的に会話をするのは初めてだったが、一応の顔見知りだった。

 見かけるのは当然、大商人ノートンの傍である。彼が個人行動をとるとしたら、それは主人の命令で仕事を任された時だろう。

 そして今、彼の傍に主人である大商人ノートンは居ない。


「顔と名前を覚えて頂けていたとは光栄。……聖王国からの行き先は、天国って事さ。……悪く思わないでくれ」

「……私は追放って事になっているはずよ」

「怒りはごもっとも。俺だってこんな事はしたくない。……自分の足で、そこの崖から飛び降りてくれると助かる」


 指さすアンガスから吐き出される言葉は、無情かつ無機質なものだった。


「お断りよ。自死なんて」

「……そうやって拒否されると、少し痛い思いをさせてから、その崖から突き落とす事になっちまう」


 アンガスの殺気からして、どうやら冗談でもなんでもなく、エレノアを始末するのは既定路線らしい。


「アンガス。私に勝てるつもりなの。もしかして最高魔力スリーナインの意味を知らなかったのかしら」

「……よく知っているさ。そして魔封銀の錠が、その称号を台無しにしちまっている事もな。もったいない話だ」


 アンガスはこめかみの近くにある古傷を掻きながら、虚ろな視線でエレノアを睨みつけていた。

 同情はするが容赦はしないとでも言わんばかりだった。最近評判が頗る悪い商会の用心棒である。汚れ仕事には慣れていそうで、情に訴えるのは不可能だろう。

 おそらくは主人であるノートンの指示。そしてノートンは第一王子リチャードと繋がっている。表向きは追放という体裁にしたものの、結局の処、許す気はなかったという事だろうか。


「アンガスさん! 証拠を持ち帰らないと、あの方は納得しません。飛び降りさせるのは甘いのでは?」

「そうですよリーダー。……それに、ただ殺すのは勿体ない。どうせロクでもない売女だ、仕置きが必要でしょう」


 エレノアと同伴していた、兵士の格好をした二人が飛び降りに反対した。リーダーという言葉からして、どうやら彼らもノートン商会に所属する者だったらしい。

 護送に当たっていたガラの悪そうな男たちは、聖王国の兵士ではなかったのだろう。


「少し黙ってろ。……さあ、どうする、エレノア様よ? ……あまり時間は与えられないぜ」


 アンガスは革帯ベルトに吊るしてあるダガーを引き抜いて握り締めると、エレノアの返事を待っていた。

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