第76話 橋2

 月の位置が高くなり、瞬く星の数も増えてきた。夜が更けるにしたがって通りの往来は人が増していき、ナナトが初めて街に来たときと同様、道の端には曲芸をする雑技団、店を開けた露天商、楽器を演奏する楽団などがそれぞれパーフォマンスを披露して観光客の目を引いている。


「クインリーさん、聞いてもいい?」


「なに?」


「もしかしてクインリーさんって、ストーカーに見当がついているの?」


 クインリーがナナトを見つめた。


「いいえ。どうしてそう思うの?」


「さっき僕の演技が全然駄目って言ったでしょ? それぐらい審美眼しんびがんを持ってるなら、身近で演技している人も見抜けるんじゃないかと思って」


「あら、そんなにショックだった? 二万年」


「そうじゃないよ」


 ナナトはぷいと正面を向いた。クインリーが笑いかけながら指でナナトの頬を突く。


「あなたの場合、私が演技してと言ってしたでしょう? つまり別の役柄を演じているとわかったうえで動きや表情を見たんだから、私の経験と体験から照らし合わせて良し悪しが判断できたのよ。ストーカーの場合は対極。不審な点を隠すように動いていて、役柄ではなく普段通りの自分を演技している訳だから本性を見抜くのは難しいわ。近しい人ほど信頼して盲目になっているしね」


「そっか…」


「本音と言うとね、あんまり気にしていないの、ストーカーって」


「え?」


 ナナトが目を見開いた。


「どうして? 服やアクセサリーを盗まれたんでしょ?」


「盗まれたのには腹を立ててる。でも私が本当に大切に思っているのは、練習で培った演技の技術よ。そしてこれは誰にも盗めない。演技では絶対人に負けないって自信があるから、服や宝石がなくても別にいいかって思えるの。それにこれはたぶん私だけでしょうけど、犯罪者と一緒に仕事をするのは刺激があって楽しいわ」


「楽しい?」


「もちろん直接危害を加えられるのは嫌だし、私の服を盗んだのが男だと想像したら気持ち悪くなるけど、味気ない日常を送るよりはマシよ。私は退屈が苦手なの。この気持ち、わかる?」


 ナナトはかぶりを振った。


「ふふ、でしょうね。ほら、見えてきたわ。あれが二つ目の橋よ」


 クインリーがゆっくり曲がっているカーブの先を指差した。


 次の橋は、先ほどの橋よりも幅も長さも一回り大きく、往来する人数も多かった。人だけでなく馬車も行き交い、橋の端では街中と同じように夜店が商いをしている。そして一つ目の橋と同様、両端にはライフルを持った男が橋を渡る獣人を目ざとく観察していた。


「クインリーさん、橋の真ん中にあの犬の獣人がいるよ」


「どこ?」


 ナナトに指摘されてクインリーが目を細めた。


「見えないわ」


「今はちょうど馬車の影に隠れているけど確かに居た。橋を渡ってだいぶ進んだところだよ」


「ここさえクリアできればあとは問題ないんだけど。橋の先は路地が入り組んでいるから待ち伏せされても回避しやすいし、追っ手も簡単にけるの」


「このまま進む?」


「いえ、犬の獣人は厄介よ…そうね…」


 クインリーは周囲を見渡し、自分たちの後方から荷馬車が向かってきているのを見つけた。荷馬車にはわらの束が積まれていて、御者には年老いた農夫とその息子と見られるフードを被った二人が乗っている。二人とも獣人で、その毛色から察するにどうやらアライグマのようだ。


「ちょっとこれ持っててくれる?」


 クインリーはお腹から丸められた荷物を抜き出し、ナナトに預けた。妊婦の変装はここでやめるようだ。


「ここで待ってて。交渉してくるから」


 そう言うと、クインリーは後方の荷馬車の方へ走って行った。ナナトが様子を見ていると、クインリーは御者の農夫に話しかけ、時折橋の方を指差しては熱心に何かを訴えかけている。一分ほどして話はまとまったようで、クインリーはナナトのところまで戻ってきた。


「荷物を貸して。私はあの荷馬車に隠れるわ」


「え?」


「よく聞いて。あなたはそのまま歩いて橋を渡るの」


 クインリーはナナトに指示を出しながら、自分の荷物の中を漁り始めた。

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