第73話 橋1

 まさか自分がこんな目に合うとは思ってもみなかった。


 道化師ぴえろの化粧を施し、黒色に髪を染め、右腕を骨折したように装いながら街を歩いていると、逆に目立っているように感じて道行く人の視線を気にしてしまう。なんともいえないばつの悪さと気恥ずかしさでナナトは足元ばかりに視線を向けていた。


「あ、顔に着色粉が付いている。こっち向いて」


 横を歩いていたクインリーがナナトの額をさっと手でこする。


「うん、オーケー」


 そう言ってクインリーはにっこり笑った。

 橙の毛並みが整った美しい容姿は様変わりし、今は全身が黒い犬の獣人となって、さらにお腹が三、四か月目あたりまで膨らんだ妊婦の格好だ。もちろんこのお腹の下にはナナトの腰掛け鞄をはじめとする荷物が詰まっている。


「本当に大丈夫かなあ。僕、皆から見られているような気がして落ち着かないよ」


「堂々としてればいいの。案外人の目って容姿よりも挙動がおかしい人に向かいがちだから。あなたの格好なら心配ないわ。私から見ておかしくないもの。ほら、手をつないで」


 クインリーが手を差し出してきたので、ナナトはぶら下がっていない健常な手の方で握り返した。


「そういえば、空き地でクインリーさんに迫っていた人たち。あの人たちについて何か心当たりはないの?」


「全員、初対面だったわ。全く覚えがない。ただ…あいつらは何故か私があの空き地で作業服の変装から着替えることを知っていた。そして私が旧劇場へ行こうとしていることも。私が立てた今回の計画の全容を知っている人は一人しかいないわ。デシラよ」


「どうことだろう? デシラさんがあの人たちを雇って、クインリーさんを旧劇場まで連れて行こうとした?」


「わからない。着いてみてのお楽しみね。それより奴らがこの先の街の中で待ち構えているとしたら、二か所が考えらえるわ」


 クインリーが言葉を切って説明した。


「旧劇場は街はずれの丘の上にあるの。ここからするとそう、南東の方角ね。最短距離でいくとなると街を突き抜けていくことになるんだけど、途中で二か所、どうしても渡らなきゃならない橋がある。橋の上なら歩く人を選別しやすいし、逃げ道もないから待ち伏せするなら絶好の場所だわ」


「川は船で渡れないの?」


「一応遊覧船は出ているけど、船着き場にあいつらがたむろしていたら捕まってしまうでしょ。貸し馬屋で馬を借りて一気に旧劇場へ向かう方法もあるんだけど、あいにく私は馬に乗るのが大嫌いなので却下」


「いったん街を出て、大外回りで行くのは?」


「一応それは考えてみたんだけど、よしたほうがいいと思うの。というのも街の中心から離れるに従って人が少なくなるから、もし街はずれに奴らの仲間が待機していたら見つかる可能性が高くなる。街の中心の方が人通りは多い分、かえって変装している利点を活かせるのよ。言ってるそばから見えてきたわ。あの橋よ」


 クインリーの視線の先を追うと、幅二十メートル、奥行き五十メートルほどの橋が見えてきた。


「あ、あの人たちがいる!」


 ナナトが思わず声を上げた。橋の両端に、つい先ほどナナトが空き地で追い払った獣人の部下のヒト種の男が二人立っている。しかもその手には…。


「ライフルだ。あの人たち銃を持ってるよ!」


「あなたに脅かされて急遽武装したのね。捕まるのは厄介だわ」


 橋を渡り始めるまでまだあと四十メートルはある。人通りは多いため、相手はまだこちらに気付いていない。


 突然、橋の脇に立っていた一人の男が歩き出して中央までやって来た。そして、今から橋を渡ろうとしていたフードを被った人の目の前まで来ると、いきなりフードをたくし上げて顔を確認する。


「な、何をするの!」


 クインリーとは全く違う猫の獣人だった。男は舌打ちした様子を見せて、さっさと行けとばかりに顎をしゃくる。


「クインリーさん、引き返そう! あの人たち獣人を探しているんだ!」


「心配しないで。きっと大丈夫だから」


 クインリーに引っ張られるようにして、橋の入口までペースを落とすことなく進んでいく。

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