第70話 変装
「ねえ、僕あまり上手くいくとは思わないんだけど…」
「しっ! 動かないで。もう少しで終わるから」
ナナトは言わるまま目をつぶって石のように動きを止めた。クインリーは十分前からナナトの顔にメイクを施している。
「はい完成。どこから誰が見ても
筆を置いたクインリーは手鏡でナナトの顔を映してみせる。暗闇の中なので細部まではわからないが、確かに白と赤で派手にメイクされた道化師の顔だ。
「凄い。でも…」
「メイク以外の話題は受け付ないわ。はいこれ。少量を手に取って」
言下にクインリーは黒い粉の入った瓶をナナトに差し出した。
「何これ?」
「着色粉よ。手で伸ばしてから髪に塗り付けて。あなたのそのブラウンの髪が黒に変わるから」
ナナトはスプーン三杯分ぐらいの量を手に取ると、クインリーから言われた通り手に伸ばして髪に塗り始める。
「水で洗えば簡単に色は落ちるわ。私たちも劇団でも使ってる高級品よ。さて、服を脱ぐからちょっと後ろ向いてて」
言うが早いが、クインリーは資材から立ち上がってナナトに背中を向けるとおもむろに着ている服を脱ぎ始めた。裸の背中、といっても野性のキツネのように毛が生えている後姿が
下着姿となったクインリーは、先ほどナナトに少量取るように言った黒い粉の入っている瓶を頭の上まで持ってくると、瓶を逆さまにして全身に粉を被った。すぐに瓶を横に置いて毛についた粉を胴や手足に伸ばしていく。目の届く範囲で着色を終えると、持ってきた荷物の中からシャツとズボンを出してそれを着込んだ。
「はい、いいわよ、どうかしら? 塗り残しはない?」
ナナトが恐る恐る振り返ると、暗闇の中でこちらを向いているクインリーの目だけが光った。暗い中で黒に着色したので輪郭がぼやけ、思わず眉を寄せる。
「ああそっか、ヒトの目ね。じゃあいいわ。たぶん大丈夫」
クインリーは手鏡を使って大雑把に自分の姿を確認し、今度は荷物から茶色い
「一杯入ってるんだね」
ナナトがクインリーの持ってきた荷物を見ながら感心して言った。クインリーは手鏡を見ながら鬘の付ける位置を探っていく。
「デシラにしか明かしていない私の変装七つ道具よ。三つの着色粉に三つの鬘。そして一つの化粧箱」
納得できる位置に鬘を持ってきたクインリーは、歯を剥いて手鏡の前で軽い演技をし始めた。犬歯を出しながら低く唸ってみる。その姿はまさに犬そのものだ。
「ときどきね。変装して街へ出てるの。気になったものを食べたり好きな服を買ったり。私がクインリー・カースティとバレたことは何回あったと思う?」
「ゼロ」
ナナトが即座に答えた。
「正解。私の秘密の趣味なの、内緒にしてね」
「約束するよ。持ってきた荷物はここに置いていくの?」
「いいえ、まだ役に立つかもしれないから持っていくわ。あなたのその腰に付けている荷物もなんとかしないと」
防弾ケープから覗いている腰掛け鞄のことだ。ナナトも視線を落としながら言った。
「銃の弾が入っているんだ。でもどうするの?」
「それを私に外して私に頂戴。それとその着ているケープを巻いて細長い布にして」
ナナトはベルトを外して電撃弾、火火炎弾、凍結弾がそれぞれ入った三つの腰掛け鞄をクインリーに渡すと、防弾ケープを脱いで両端を持ち、空中でクルクルと巻き出した。その間、クインリーは脱ぎ終えた作業服の上着の口を縛り、その中に自分の荷物と今しがたナナトから託された腰掛け鞄を入れて即席のバッグを作る。そして自分の着替えと変装道具を入れていた布の包みを器用に折り曲げて首から下げ、自分のお腹が膨らむ位置に即席のバッグを入れて見えないように隠す。
「私いま、どういうふうに見える?」
ナナトは一目見て思ったことを言った。
「妊婦だ」
「その通り。そしてあなたは腕を折った道化師になるの。そのケープで銃を固定具にして隠しながら片腕を首から吊るして。犬の獣人妊婦と片腕が骨折した少年道化師。この短い間でここまで変装できればバレないと思わない?」
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