第57話 クインリー・カースティ
その後も稽古は小一時間続けられた。場面が変わるたびにステージの上の俳優が増減し、ときおり観客席の一番前に座っている舞台監督がストップをかけては、自身が舞台に上がって俳優たちに演技指導する。クインリーをはじめとする俳優陣の表情は真剣そのもので、支配人のバエントが言った通り、誰一人としてナナトたちに気を取られることなく自分の役割に集中しきっていた。
午前が終わろうとする頃、俳優たちをステージに集めて舞台監督が告げる。
「よし、二時間休憩だ。昼食を取ろう。休憩後は第三幕の五番の箇所からいくぞ。それと誰か、そろそろ昼食が届けられるはずだから内装作業員にも昼飯時だと伝えてきてくれ」
「私たちも出よう。クインリーの楽屋へ向かう」
バエントに促されて、ナナトたちも席を立つ。稽古に感極まって涙していたルッカは
「スキーネ様…今更ながら家出に感謝します。私の夢が一つ叶いました…。本当に、スキーネ様のお目付け役を仰せつかったのが私でよかった」
「なんか喜べない言い方ね」
スキーネが困惑しながらルッカを見つめた。
劇場ホールを出てバエントに案内されるまま、ナナトたちは関係者以外立ち入り禁止の立て札がある廊下を進み、俳優たちへの楽屋がある二階へとやって来た。休憩に入った俳優やスタッフたちとすれ違いながらバエントはある部屋の前で立ち止まり、ドアをノックする。
「クインリー、中にいるかね?」
「ええ、いるわ。着替えも終わったし入っていいわよ」
バエントは扉を開け、ナナトたちを通す。
部屋の中は、とても一人だけにあてがわれたとは思えないほど広く、きらびやかで豪華な作りになっていた。壁一面には細かやな刺繍が施されたタペストリーが寸分の狂いもなく貼り付けられ、床には一目で高級とわかる縞模様のカーペットが敷かれている。部屋の隅には衣装棚と着替え場があり、先ほどの舞台でクインリーが着ていた舞台服がハンガーに掛けられ、揺れていた。
「あなたたちが私の護衛をしてくれるのね」
着替え場の奥。衝立の後ろ側から軽装な服に着替えたクインリーが朗らかに声をかけながら現れた。真っ直ぐに背筋を伸ばして歩きながら部屋の中央のテーブルへと向かい、入口から見て奥側の長椅子に腰かける。片方の手で茜色の髪をとかし、他方の手で向かいの椅子を指した。
「どうぞ掛けて」
ナナトたちはテーブルを挟んで向かいの長椅子に座ったが、ルッカだけは首をブルブルと横に振って長椅子の傍に立った。ルッカにとってはクインリーの真正面に座ることすら恐れおおいことらしい。バエントがクインリーの横に腰かける。
ナナトたちは簡単に自己紹介を済ませた。最後のルッカの番になったとき、ルッカはさらに赤面しながらいつもより甲高い声で言った。
「あ、あの、はじめまして、うぢばクオルッカっていうもんだす」
思わずナナトは自分の耳を疑った。いつもの丁寧な口調はどこへやら、聞いたことのない訛りだ。
「カドキアのバーソって街の出身で、あんげのことは、ちっこばいときから評判を知ってて家族みながファンだす。あの、こんな巡りあわせで出会えるなんて、みょこっちばあってたまりません。あ、みょこっちばあってのはとても嬉しいって意味だす。それと…あの…あ、うぢば半獣人だす」
忘れていたかのように付け加えたルッカは、すぐに獣化して、ヒトとイタチのあいの姿となった。
こうして二人を見比べてみると特徴が詳細にわかる。
以前、洞窟でルッカから獣化した姿が“裸を見られるより恥ずかしい”と聞いていたこともあって、こんな簡単に獣化したことにナナトは驚いた。
「まあイタチね、可愛らしい。それにとても特徴的な訛りをしているのね」
クインリーが興味深げに指摘すると、ルッカはもじもじと俯いた。
「が、がわいいなんてそんなことねえだす。あの、お望みならこの姿でずっといますが?」
「楽な方でいてくれていいわよ。よろしく頼むわね、クオルッカ」
直に名前を呼ばれたルッカの喜びようときたら、獣の毛を逆立てて跳びあがらんばかりの様子だった。ナナトは、このままルッカが興奮のあまり爆発するんじゃないかと心配したほどだ。
「そういえば何も出してないわね。お茶でもどうかしら。あら…」
クインリーがテーブルの上にあったティーポッドを手に取ると、なにやら軽く振ってみた
「空になってたみたい。ちょっと待ってて。今煎れなおしてくれるから」
そう言ってクインリーがティーポットを持って立ち上がると、ルッカが悲鳴のような声を上げた。
「滅相もないです! そげな仕事はうぢがやりますから、あんげはどうぞ座っちょてください!」
言うが早いが、ルッカは身体と手を伸ばしてクインリーからティーポットを受け取り、駆け足で部屋の外へ飛び出していった。
「給水室がどこにあるのか知ってるのかしら。まあいいわ」
クインリーは座ると、ナナトたちに向き直った。
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