第8話 追跡

 四人が昨日角熊つのぐまを倒した清流の川原に到着したとき、ちょうど東の山の頂に太陽が顔を乗せた。熊の死体に変わりはなく、新しい足跡もない。そこからナナトを先頭に二頭見かけたという森の奥まで獣道を進むと、新しい足跡と、そして角熊のものと思われる血痕が見つかった。


「たぶん縄張り争いで二頭が争ったんだ」

 ナナトがしゃがみ込んで足跡と血痕を見ながら推測する。


「二頭の足跡が激しく交差してる。…むしりとられた毛もある。二頭とも昨日倒したやつより少し小さいから、ボス熊が死んで新しい縄張りを主張しあったんだと思う」


「ふうん。小さいながらも猟師なのね」


 スキーネは感心した様子だ。ナナトは立ち上がる。


「本当なら犬の助けを借りて匂いで熊の跡を追跡するんだけど」


 残念ながら村の飼い犬はすでに角熊が里に下りた際に襲撃、捕食されてしまったのだ。


「一頭は北東、もう一頭は南西に分かれたみたい。どうしよう?」


 ナナトは自然と年長であるツアムに顔を向けた。ツアムは今日も髪留めで前髪の片側を上げている。


「あたし達も二手に分かれよう。一頭を仕留めたら、銃声に怯えてもう一頭はもっと山の奥に逃げ込むかもしれないからな」


「私はスキーネ様にお供します」

 ルッカはそう言ってスキーネに歩み寄った。


「じゃ、あたしとナナトのペアだ。ナナト、二頭のうち負けた熊はどっちの方角に行ったかわかる?」


「ちょっと待ってて」


 ナナトは小走りでまず北東側を進み、戻ってきてから今度は南西側をしばらく進んだ。


「北東に逃げたほうが深手を負ってる。葉っぱに血がついてたし、足跡の間隔も長いから走って逃げたんだ」


 勝負に負けた側が背を見せて遁走とんそうするのは獣も人間も変わらない。


「ならスキーネ。お前たちには北東を任せる。……そんな顔するなスキーネ。手負いの獣はかえって恐ろしいんだぞ。もし熊を退治したらそのまま村まで下りてくれ。夕方宿屋で落ちあおう」


 四人は二組に分かれた。


 スキーネとルッカは、熊の通った道を見逃さないように注意深く周りを観察して進む。

「参ったわ。地面の草が深すぎて足跡がわからなくなっちゃった。ルッカ! そっちに何か手がかりある?」


「地面に近い枝が折れてます。おそらくはこっちを通ったものと」


「大丈夫かな~。間違えてイノシシの通った道を進んでない?」


 一方、南西へと進んだツアムとナナトは、互いに喋ることもなく黙々と歩を進めていた。ナナトの動物追跡術は堂に入ったものがある。どんなに小さな足跡でも見つけ出し、音を立てずに歩き、周囲へ警戒も怠らない。ツアムは感心してナナトの様子を見ていた。相当狩りに慣れているし、教え込んだ師の力量も高かったのだろう。これなら小鳥にさえ気付かれず背後へ回ることもできそうだ。

 一時間ほど歩くと、ナナトとツアムは見晴らしのいい高台の上に出た。前方は崖になっていて爽やかな風が顔に吹き付ける。


「ちょっと休憩しよう」


 ツアムの提案にナナトも賛成し、水筒の水を口に含んでからナナトはなんとなしに崖下を覗き込んでみた。


「あ、スキーネとルッカが見える」


「どこ?」


「ほらあそこ。フワの木と木の間」


 ナナトが指差す方向を目で追ってみると、五十メートルほど崖下の木々の間に銃を背にしている二人の姿が見えた。


「…ホントだ。よく見つけられたな」


「僕、目はいいんだ」


 スキーネとルッカは、徐々に強く地面に踏み込まれている足跡に興奮しながら進んでいた。


「見て。まだ新しい足跡よ。このすぐ近くにいるみたい」


「しー。あまり話し声が過ぎると気付かれてしまいますよ」


 二人は足跡を辿って一際大きいフワの木を回り込む。が、足跡は木の根元近くで途絶えていた。


「あれ? おかし…」


 ルッカが気配に気付いて樹上を見上げたのと、木の幹の上で二人を見下ろしていた角熊つのぐまがグルルと唸ったのはほぼ同時だった。

 待ち伏せされた!

 二人が後ろへ飛び退くのにあわせて熊が樹上から降りてくる。運悪く、ルッカが飛び退いた背後には木があり、ルッカは逃げ道を失った。

 仁王立ちした角熊の強烈な一撃がルッカに向かって振り下ろされる。


「大変だ!」


 偶然、襲撃の場面を見ていたナナトはすぐさま銃口を崖下に向けた。角熊までの距離はおよそ五十メートル。木の葉が多少邪魔だが十分当てられる。


「待った」


 狙いを定めようとしたそのとき、ツアムが急に手で銃を下ろさせた。抗議のために目を向けると、ツアムも角熊の襲撃を見ながら言う。


「ルッカなら大丈夫。下手に撃つとかえって二人が危険だ」


 大丈夫? 今まさに熊の一振りを頭上に食らったのに? 


 焦ってナナトが崖下へ目を転じると、ルッカはなんと熊の一撃をトンファーで受け止めていた。しかも片手で。

 ナナト以上に驚愕したのは角熊自身のようだ。これまで山の王者として数々の獲物を屠ってきた自分の爪と腕力が、自分の体の半分しかない小さな人間に受け止められている。

 ルッカは受け止めた熊の一撃をそのまま横にいなすと、飛び上がって角熊のアゴに下から蹴りを入れた。一瞬、熊の顔が空へ向くほどの威力。しかしそれでも倒れない角熊に対して、ルッカはもう一つ腰に差していたトンファーを引き抜き、両手を使ったトンファーで熊に連続で殴打し始めた。

 銃口を突きつけトリガーボタンを押したいものの、彼我ひがの距離が二歩分しかない今の状態ではトンファーが長すぎて叶わない。ならばとルッカは目にも止まらぬ波状攻撃で熊の至るところを叩く! 殴る! 壊す!

 負けじと角熊も腕でなぎ払うも、ルッカはしゃがみ込んでそれをかわした。そこから再び熊の顔に強烈なトンファーの一撃を叩き込む。堪らず二本足のまま後ずさりした熊の腹に向けてルッカは二つのトンファーの銃口を向けた。


 バン! バン!


 火炎弾が火を噴くと同時に角熊は仰向けに倒れこむ。致命傷を受け、やがて熊は事切れた。顛末てんまつを見届けて、角熊の後ろから援護射撃を用意していたスキーネも銃を下ろした。


「ルッカ、怪我は?」


「かすり傷一つありません」


「さすが」


 崖の上から一部始終を見ていたナナトは呆然だ。


「ど、どうして熊と殴り合いで勝てるの?」


「ルッカならできるんだよ」


 ツアムもほっとした様子でナナトの肩に手を置いた。


「すごい。人間じゃないみたいだ」


「そりゃ人間じゃないからな」


 キョトンとした顔のナナトを見て、逆にツアムが不思議そうに見つめ返す。


「あのメッシュの髪を見ればわかるだろう? ルッカは、は…」


 そのとき、グオオオっという唸り声と共に近くの茂みの中からもう一頭の角熊がツアムたち目掛けて突進してきた。姿を見せた時点で距離は十メートルを切っている。油断しきって銃口を下げていたナナトは迎撃しようという意思さえわかず、よだれにまみれた牙を向けて迫ってくる角熊を眺めることしかできなかった。

 突然、ナナトの視界にツアムの伸ばした手が入ってくる。そして。


 バン!


 銃声が鳴り響き、ツアムの手に持っていた自動拳銃が先から煙を上げた。七メートルの距離にまで迫っていた角熊は勢いそのまま前のめりに倒れこみ、そのままピクリとも動かなくなる。


「退治完了だな」


 ツアムが素っ気無く言いながら拳銃をケープの下に仕舞い込んだ。崖下からスキーネの声が響いてくる。


「ツアねえ! 上にいるの?」


 ツアムが崖に近づいて手を振る。


「ああ。こっちも一頭仕留めた。今から下りるから村へ帰ろう」


 行こうか、と言って歩き出すツアム。ナナトはその後姿を見ながら声も出せずただ頷いた。

 心臓はまだ早鐘を打っている。見間違いでなければ、今しがた角熊を撃ったとき、ツアムの顔は自分に向けられたままだったはずだ。まるで拳銃が自動的に敵に反応して弾を発射したような撃ち方だった。ナナトは小走りで追いかけながら思う。


 この人たちは、一体なんなんだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る