第5話 家出
スキーネが逃げ出した夜の明け方。
早めの朝食を終え、議会での演説用に原稿をしたためていたスキーネの父親、リンドラーの自室にお抱えのメイドが慌てた様子で入って来た。
「恐れ入ります。当主様」
「なんだ? 私は忙しい。要件だけを手短に言ってくれ」
「スキーネ様のお姿が寝室にありません。机には書き置きがあり、おそらくは家を出ていったものと思われます」
「なんだと!」
リンドラーはイスから立ち上がって詰め寄り、メイドが手に持っていた書き置きらしき紙を奪うように取って中を読んだ。そして文章を目で追っていたその途中で大きなため息をつく。
「家内を呼んできてくれ。それとツアムはまだ街にいるか?」
「今日の午前中に都を発つとおっしゃっていましたからあるいは…。すぐに宿に人を出します」
「頼む」
一時間後。使用人によって宿屋から連れてこられたツアムは客間でリンドラーと夫人に相対した。
「おはようございます。リンドラー様。緊急のご用件と伺いましたが」
イスに座ったリンドラーは考えたくないと言わんばかりに手で頭を押さえながら言った。
「ああ、娘が家出した」
家出、という言葉を聞いてツアムはピンと思い当たる。
「三女様ですね?」
「スキーネだ。
再び大きなため息をつき、横に座る夫人を見やった。
「我が子三人のうち、一番下の娘が最も君に似てしまったようだ。アリスタ」
「外見も中身も、ですね。わたくしも幼少の頃は男の子に混じって
リンドラー夫人のアリスタは、背筋を伸ばしながらゆるやかに告げた。夫ほど落胆したようには見えない様子だ。リンドラーはツアムに向き直った。
「銃を買い与えたのは失敗だったな。ツアムよ。悪いが至急スキーネを見つけ出し、屋敷へ連れ帰って欲しい。娘は南の国カドキアから船での海路で東の国ヤスピアの端も端、
ツアムが疑問を口にする。
「行き先がおわかりなのですか?」
「ああ。スキーネの残した書き置きの横に、ルッカの書き置きもあってな」
話を聞くと、スキーネの書いた書き置きは、まだ自分はお見合いなんて早い。もう少し知見を広めるため外の世界を探索する。定期的に便りは出すので二ヶ月ほどは自分を探さないでほしいとあった。だがその書き置きのすぐ隣に、おそらくはスキーネの目を盗んでそっと置いたと思われるルッカの手書きの紙もあったのだ。
そこには、スキーネお嬢様の意志は固く、
「随分とご令嬢を理解されているボディーガードですね」
すでにルッカとも顔なじみだったツアムは書き置きのやり取りに思わず頬を緩めた。アリスタもにこやかに告げる。
「ええ。当家自慢の護衛です」
「笑い事ではない。穏やかならざる昨今、君はスキーネが心配じゃないのか?」
リンドラーの厳しい目線に対して夫人はきっぱりと答える。
「行き先が西とあれば慌てふためきましたが、東であれば心配ないでしょう。それよりも腕利きの護衛がいなくなってしまったことのほうが不安です。ルッカの代役を務めるとなると最低でも男三人は欲しいところです」
「無論だ。すぐに手配する。しかし晩餐会を控えた今、ただでさえ準備に人手が足りないというのに。いや、それも考慮したうえでこの時期を選んだのだろうな。なんとしてでも晩餐会の前には連れ戻し、出席させたい。ツアム。これは家名にかかわることだ。くれぐれも内密に頼むぞ」
「承りました」
ツアムは
路銀を受け取り、屋敷を後にしようとしたとき、ツアムは夫人から呼び止められた。付き従うメイドも下げ、周囲には二人しかいない状況を確認してアリスタが囁く。
「ツアム。主人はああ言っていますが気にすることはありません。スキーネを見つけましたら、できるだけ遠回りしてヴァンドリアに帰還しなさい」
予想外の言葉にツアムは驚きの表情を浮かべた。
「ですがリンドラー様は…」
「主人には二、三日が経って頭が冷えた頃合いにわたくしから言います。力ずくで家出から戻したところで外への
ツアムは考えた。依頼人として当主を優先させたほうがいいのか、それとも目の前にいる夫人か。結局は両者の意を汲み、短すぎず長すぎない程度の日数でスキーネの家出旅行を見守ることに決めた。
「わかりました」
「それとスキーネに伝言があります。こう伝えてください。大目に見るのは今回が最後。屋敷に戻りましたら花嫁修業に励みなさい。あなたが今まで汚したリンドラー家の名を、あなた自身の手で挽回するようわたくしは願っています、と」
その双眸があまりに強く輝いていたので、ツアムはもしやと思い尋ねてみた。
「アリスタ様は…ご立腹でらっしゃる?」
「あら、もちろんよ。わたくしは娘の行いに怒っています。ヴァンドリアという国の
スキーネを頼みますよと言って、夫人はツアムを見送ったのだった。
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