フォーチュン・マテリアル・スカイ

浮椎吾

第1話 畳の傷跡

私の父親は虹色の光を放つ正八面体の宝石である。

大きさは1m弱。地面から30cmほどの高さをふよふよと浮く仕様となっている。しかしそれなりに年寄りなこともあってか、彼はたまに落下した。彼の先端がグサリと刺さるせいで自宅の畳は結構傷だらけ。直接その上に寝転んでみようものならささくれがグサグサ突き刺さってくるような状態だった。敷物があるのでそうなることはなかったのだが。

点にしか見えない小さな穴もありはしたが、目立ったのはやはり線型の傷だ。すぐには浮上できなかったのだろう。彼の頂点をひきずられた畳の上にはいくつものひっかき傷が残されていた。

あまりにみすぼらしいその光景が恥ずかしくて、友達を家に呼んだことは一度もない。


だが小学1年生にもなると、そうはいかなくなる。交流関係の幅は幼稚園の頃と比較にならないほど広いものとなり、それに比例して交流人数も増える。それはつまり、気を利かせられたり、配慮を巡らせたり、こちらの事情をおもんばかる人々ばかりが友達ではなくなるという意味だ。

端的に言うと、強引に来宅を狙う友達が現れ始めたのである。



私が畳を張り替えるよう提案すると、父は青白く点滅を繰り返した。

「なんで青く光るの?わたし、パパがボロボロにした畳を張り替えて言ってるだけだよ。そんなに変?」

「マットを上に敷いているじゃないか。あれで十分じゃないか?」

「あれはマットじゃなくて使い古しのバスタオルでしょ!」

 父は黄色く点灯する。

「パパはあのちぐはぐな感じ好きなんだけどなぁ」

「おめめが痛くなるからすぐ色を変えるのやめて」

 キツめに注意すると、父は即座に虹色のニュートラル状態に色を変えた。

「すまん。ただ、もう少しだけあのままが、パパは良いんだがなぁ」

「そう言ってずっとあのまま!パパはわたしに友達がいなくなっていいの!?」

 父は再び青白く点滅を始めたので私はもう一度声を張り上げようとした。

 しかし、その寸前で虹色に輝いて「分かった」と言葉を発したのである。

「ほんとう?」

「パパはお前に一人ぼっちでいて欲しいと思ったことは一度もないよ」



 翌日、小学校から戻ると家の畳は全て新品に張り替わっていた。

 父がイタズラでたまにやる映像投射によるVRかと最初は疑ったが、真新しい井草の香りがそれを否定する。

 嬉しい。嬉しいはずなのだが、モヤモヤしたものがある。なんでだろう?

 現状に戸惑っている自分に気付きはするものの、その理由はよく分からない。

 フワーと後ろの方を父が通りすがるのに気付き、私は後ろを振り返った。

「もう張り替えたの?」

「タイミングが良かったんだよ。この間までのリフォームブームがひと段落したみたいでね、業者さんに連絡したら喜んで作業をしてくれたんだ」

 父はくるっと回転して背中を見せる。取り付けた非接触型腕部ユニットには十数枚のバスタオルが抱えられている。いずれも新品とは言い難い状態の、昨夜まで畳の上に敷き詰められていたものだ。

 父が黄色に点灯する。

「お前の言う通り、確かに長く置きすぎたかもしれないな。洗濯はしていたんだが。ここまで痛んでいるとは気付かなかったよ」

「…それどうするの?」

「明日は衣類の回収日だからゴミ捨て場に置いてくるよ。パパもお前も朝は弱いからな」

「…そっか」



 黄色と橙色の交互に点灯しながら玄関をあとにする父を見送り、私は畳の上にごろんと寝転がってみることにした。ランドセルを近場に転がし、大の字になって天井を見上げる。

「…知らない家の匂いがするね。ヘイ、スカイ?」

 音声認識に応じ、左腕につけたスマートウォッチ上で対応アプリが起動する。

 1秒待たずにブーンとバイブレーション機能が働き、スマートウォッチから人間に模した合成音声が発せられた。

「――≪お呼びでしょうか。アワードウター≫」

「あなたはどう思う?ちょっとくさいと思うんだけど」

「――≪この機器には臭気感知機能はないので、質問にはお答えしかねます≫」

「あー…そっか。結構前のモデルだもんね、あなた」

「――≪部屋の外見上は、真新しくて綺麗に見えます≫」

「それは分かるけど」

「――≪ダニの数も少なくて極めて衛生的ですね≫」

「え」

 私は畳の上から跳ね起き、大急ぎで人間に視認できないそれらを払いのけた。

「新品の畳だよ!?」

「――≪彼らはどこにでもいます。一般的に畳1平方mの表面上に100はいると言われますが、現状は20以下なので気にするほどでありません。畳内部にはその10倍はいると推測されますが、よろしければ3次元スキャンを試みます≫」

「やめてやめてっ。もうお上で寝られなくなっちゃうっ」

「――≪了解。予定行動から3次元スキャンをキャンセルします≫」

 数秒後の完了報告を告げる短いアラーム音を耳にし、私は安堵だけが理由ではない溜息をついた。

 今なら寝れるかなと一瞬思いはするも、再び畳の上に身を置く気持ちにはなれず、そのままその場に立ち尽くす。

「昔は昔で言葉数が少なかったけど、今の状態もなんなんだろう。並列進化プログラムがバグでも起こしてるのかな」

「――≪あなたは昔の方が騒がしかったですね。アワードウター≫」

「昔って赤ちゃんの頃でしょ?仕方ないじゃない」

「――≪片づけを行うお父様はひどく大変そうでした≫」

「それはよく覚えていないけど。ただ、誰だってそんなものじゃないの?」

「――≪畳の上の傷。ほとんどがあなたを原因とするものだということもお忘れですか?≫」



 少しだけ言葉に詰まる。

 全くあずかり知らない情報だった。あの傷は全部父がやったことだと思っていた。

「それ、本当?」

「――≪アワードウター。私に嘘をつく機能は搭載されていません≫」

「でもでもっ、わたし、そんなの聞いたことない。昨日だって何も言われてないっ」

「――≪あなたの父親は、子供に罪悪感を負わせるような父親ではありません」

 スカイは機械らしく淡々と語る。

「――≪浮遊機能の劣化により彼を原因とする傷もいくつか出ていましたが、それらは最近のものです。まだ認知機能が未発達のあなたには区別が酷かもしれませんが、過半数はあなたの幼少時につけられたものです≫」

「で、でもあの傷はパパを引きずった跡だよ?」

「――≪幼少時のあなたは、彼に捕まりながら歩行訓練をしたのです。あなたを身の傍に置き、浮遊機能で高度バランスを維持しながらやる。安全性と効率を両立させるにはそれが最適でした」

「…パパを支えに歩く練習していたってこと?そのときに出来た傷?」

「――≪アワードウター。それ以外の回答を導かせたのでしたら私の伝達ミスです。謝罪致します≫」



ゴミ捨て場まで急いで駆けていけば、父はまだそこでふよふよ浮いていた。

青と紫に点滅しながら、自分が捨てたバスタオルの山を眺めている。

私が来たことなど足音で分かりそうなものだが、父が私の方を振り向くのには数秒ほどかかった。私に気付くとその色は黄色に染まった。

「あれ。どうしたんだ?捨てたくないものでもあった?」

「わたしの成長記録だから捨てるのもったいない、って言えばいいでしょ!」

 私は遠回りすることなく、一番言いたいことを開口一番で吐き捨てた。昔ならグーで殴りつけていたし、玩具を投げつけていたかもしれない。

 地団太を踏んで怒りを表す私を前に、青と紫の慌ただしい点灯が続く。一拍を置いて、パパは赤色へと変わった。

「スカイ。アイツ、また余計なことを」

「今怒られているのはパパだからね! あの傷はわたしがパパなんで言わなかったの!?」

 スカイがその答えを明言したわけではなかったが、父の反応は私の推測を肯定していた。追及する私に臆してか、父の色は即座に青へと変える。

「ま、前に動画記録を撮ろうとしたら怒ってたから…そういうものを残すの、嫌なのかなって…」

 確かに一度それで怒った記憶はある。だが。

 私はこめかみを押さえて大きく溜息をついた。呆れてしまったのだ。

「それはパパがわたしに黙って撮ろうとしていたからでしょ! そんな風に勘違いしてたの?」

「お前は覚えてなさそうだし、同じことかなって…すまない…」

「パパ」

 そう言って、表情を極力崩さないように気を付けて私は父に告げた。



「――パパのそれは、”背がどれくらい伸びたかの目印にするために壁に傷をつける”のと同じでしょ。だから捨てるのが嫌だったってことじゃないの? 他の家だと壁に柱をつけるのが多いかもしれないけど、それが全てじゃないし、わたしとパパにとっては畳の傷がそうだったんでしょ。わたしは、それを恥ずかしいとは思わないよ」

「…すまない。それは気付かなかった」

「というか、捨てる前に言って欲しかった。捨てたあとに分かったんじゃ、私がただの悪者しかならないよっ」

 顔がくしゃっと歪むのを感じて、私はごしごしと目元を手をこする。

 数秒経って、父は自分の体をコツンとゆっくり私の額に当てた。

 父の淡い白の輝きが目元に届く。

「すまない。次からはちゃんと言うようにするよ」

「約束」

 私は父をグッと前に押しやる。父は黄色く光ると、くるくるとその場で回転した。

 それが腕部ユニットを装備していないときの、父の約束の仕方だった。

「あぁ。約束だ」



 結局、私たちはバスタオルの一部を家に持ち帰ることにした。積み上げた山の上から数枚、家の汚れしかついていなさそうなものだけを選び取って。念入りに洗濯したそれらは、タンスの奥の方にひとまず片付けることとなった。

 父の浮遊機能が劣化しているのを考えると、畳の上に再び敷物が必要となるかもしれない。そのときはまた彼らの力を借りることにしよう。新しい物を使うの、もったいないし。

 いずれ来るそのときまでは。その思い出の品の一部は大切に仕舞いこんでおくのだ。

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