9/1 コピペ、或いは、読書感想文

言葉なき歌

        中原中也 在りし日の歌

            青空文庫よりコピペ


あれはとほいい処にあるのだけれど

おれは此処で待つてゐなくてはならない

此処は空気もかすかで蒼く

葱の根のやうに仄かに淡い


決して急いではならない

此処で十分待つてゐなければならない

処女の眼のやうに遥かを見遣つてはならない

たしかに此処で待つてゐればよい


それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた

号笛の音のやうに太くて繊弱だつた

けれどもその方へ駆け出してはならない

たしかに此処で待つてゐなければならない


さうすればそのうち喘ぎも平静に復し

たしかにあすこまでゆけるに違ひない

しかしあれは煙突の煙のやうに

とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた



今、『中原中也 沈黙の音楽』著:佐々木幹郎読んでる。

その中に、『言葉なき歌』が載っていた。

「あれ」って何さ。と。

「歌」とか「詫び寂」とか、詩作についてのことらしいが、

直感的に自分は「死」を連想した。


「死」に対する羨望と言ったような、

死にたいということではなく、

どうにも「死」に惹きつけられる自分があったと思う。

「死」は忌むべきものであるけれど、何とも魅惑的でもある。

特に、若い者には。


『言葉なき歌』を作って、息子文也は亡くなった。

こんな歌を作ったから、文也は死んだのだと自分を責めたという。

大きな不幸が起こると人は感性を刺激され芸術要素が高まるらしい。

芸人が飲む・打つ・買うが芸の肥やしになると信じるように、

中也は、自分の歌を高める為に不幸を待った。

その不幸は、文也の死となって降ってきた。

そして、文也の死は、悲しみに呆けるほどの不幸となった。


直接的な言葉は野暮なのか、それとも浅はかなのか、

人はあれこれ言うけれど、

やっぱり、自分にとっての「あれ」は「死」だと思う。



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