新説 桃太郎侍

@shibachu

 

 時は寛永、江戸市中──。

 通りを歩く奇天烈な四人組が、町人たちの目を釘付けにしておりました。まだ元服を迎えていないであろう子供らが、月代を剃って髷を結い、羽織袴を纏っては、あたかも一人前の武士よろしく練り歩いているのでございます。

 その傾いた身なりの派手なこと。先頭を歩く童子の羽織は、背に大きな桃が描かれており、後に続く三人は、それぞれ犬、猿、雉を背負っておりました。昔語りに伝わる桃太郎を意識した装いは明らかでございます。

 桃太郎は大脇差を太刀風に佩いており、きらびやかに飾り立てた金梨地の鞘は、ため息が出るほど華麗な造りでございました。


 さて、江戸の町に加賀爪甲斐という傾寄者がおりました。「夜更けに通るは何者か、加賀爪甲斐か泥棒か」という戯れ唄が流行るほど悪名高い人物でございます。

 四人が練り歩くのは、その甲斐が率いる旗本奴のたむろする通り。当然のごとく甲斐は一行を呼び止め、因縁を吹っかけました。

「おう、小僧っ子ども。一体誰の許しを得てこの界隈を歩いてやがる」

 凄む甲斐に、桃太郎は堂々と答えます。

「ここは天下の往来ぞ。お上の他に、誰の許しが必要か」

「口の減らぬ奴よ。どこへ行こうってんだ」

「先日、加賀爪甲斐なる者が辻おどりをして道ゆく人を妨げたるさまを、我が家中の者が咎めたところ、数人がかりで隅田川に投げ落とされたそうな。その礼をしに参った」

「甲斐はわしじゃが、心当たりが多すぎて、いちいち覚えておらぬわ」

「そうか。拙者は狂獄小法師丸と申す。加賀爪殿、お覚悟なされよ」

「お主のような小童相手に喧嘩したとあっては武士の名折れ。出直して来るがいい」

「では、おどりでの勝負はいかがか。疲れて倒れた方の負けじゃ」

「五月蝿い餓鬼め。そこまで言うならひとつ相手してやろうかい」

 こうして天下の往来の真ん中で、辻おどりによる勝負が始まったのでございます。風流を気取る甲斐の舞いは見事でありましたが、桃太郎、いや小法師丸の舞いは天下の名人を彷彿とさせる出来映えでございました。

 一刻(約二時間)ほど踊り続けても、小法師丸は息ひとつ乱しません。やがては甲斐が力尽き、地べたに尻餅をつきました。

「よっ、日本一の桃太郎!」

 見守っていた野次馬から、拍手喝采が巻き起こります。取り巻きたちに助け起こされた甲斐は、すごすごと帰っていきました。


 何を隠そう狂獄小法師丸と名乗った童子、若狭九万五千石の大名、京極忠高公の甥っ子でございます。  

 京極家といえば近江源氏に端を発する名家で、忠高公の奥方様は、大御所徳川秀忠公のご息女。さすがの甲斐も肝を冷やしたか、しばらく鳴りを潜めたとか。

 京極家は出雲隠岐二十六万石を治めるまでになりましたが、忠高公の死後、お世嗣ぎがなかったために改易のお沙汰となりました。家老佐々九郎兵衛の訴えにより関ヶ原での旧功が認められ、領地は召し上げられたものの、播州龍野六万石の大名として存続いたします。

 家督を継いだ京極高和公こそが、小法師丸その人でございます。その後、先祖を同じくする山崎氏が治めていた讃州丸亀に移封となりました。

 丸亀に入った高和公は、山崎氏が完成させることが出来なかった丸亀城の天守閣を築き上げ、それが今の世に残っております。

 昭和期に山手樹一郎先生による小説『桃太郎侍』が山陽新聞に掲載され、時代劇としてテレビ放映もされました。主人公の桃太郎侍は、テレビでは将軍様の双子の弟とされましたが、原作では丸亀藩のお殿様の双子の弟という設定でございました。

 現在では、小法師丸の佩刀にっかり青江は丸亀市が所有し、重要美術品として所蔵されております。また、参加者が自由気ままに街中で踊るお祭りが『まるがめ婆娑羅まつり』として、丸亀の夏の風物詩になっているそうでございます。

                 (了)

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