老大尉とアンドロイドの歩く日々

間川 レイ

第1話

0.

とある山奥の古びたロッジ。その内装は荒れ果てている。かつては美しかったであろう楢の内装は黒く黒ずみ、蜘蛛の巣が張っている。窓ガラスは醜くひび割れ、かつては見るものを楽しませたであろう寄木細工で組まれた床も、無数の足跡に覆われている。


その床の上に、一冊の日記帳が落ちている。本皮の背表紙をした、古ぼけた一冊の日記帳だ。


割れた窓ガラスから吹き込む風が、パラパラとページをめくる。しっかりとした字体で書かれた文字が現れる。最初のページに走り書きが残っている。「55歳の誕生日にて」

日記は次のページから始まっている。


1.

〇月△日

明日で、俺は55の誕生日を迎えることになる。規定によれば、55になる日までに、すべての将兵は退役しなければならない。


それはこの俺だって例外ではない。40年間にわたって務めてきた軍を、こうして五体満足で退役できるというのは幸運な気もするが、何せ娑婆の空気を知らない。ロートルの退役大尉が娑婆でうまくやっていけるのか不安だ。


副官に相談したところ、そういう時は日記をつけて気持ちを落ち着かせるのがいいそうですよとかいうので、不安を紛らわすために今日から日記というものをつけることにする。営内で個人的な日記をつけることは機密保持の観点から禁止されているが、なに、1日ぐらいチョンボしても構わんだろう。



〇月□日

今日は実にいい日だった!俺なんぞのために、基地総出で送別会を開いてくれたのだ!


俺が教官としてしごいてきた教え子たちが、はるばるこの基地にやってきてまで祝ってくれるなど思いもしなかった。


かつての右も左もわからぬ候補生たちが、いつしか俺の星を超え、准将、中将になっていることに若干の嫉妬を感じなくもないが、それも生き永らえ武功を立てればのこそだ。俺の場合は同期がことごとくヴァルハラへと旅立ち、俺だけが生き残ったからこそ大尉という階級をおこぼれでもらえたようなものだ。同等のように語るのもおこがましい。


まあ、そんなどうでもいい僻みはさておき、実に楽しい宴だった。明日も知れぬ我が身だが、今日の思い出を糧にしばらくはやっていけそうだ。


ただ、若干気になることがある。俺の教え子の中でも出世株である中将が、内密の話があるので明日夜基地に来てほしいというのだ。てっきり冗談だと思い「私服でか?」と茶化したところ、「軍服で結構です。守衛には自分の手のものを当てるので、見とがめられる心配はありません」と真剣な顔でいう。きな臭い、実にきな臭い。最近増えているという革命派の監視でも頼みたいのだろうか?安泰な老後を楽しむには、何も聞かなかったことにするのがいいのだろう。


だが、俺はこの国の将校で、長年この国のために尽くしてきた。明らかに胡散臭いとはいえ、ここでひいては自分の祖国に尽くすという信念を裏切ることになる。それはできない。


それに、俺は今、若干ワクワクしているのだ。現役中将のいう内密の話。きっと機密の絡む話に違いない。軍務を退き彩を失った俺の人生に、再び彩をあたえてくれるかもしれないと。



〇月×日

最悪だ!実に最悪で腹立たしい!浮かれていた昨日の自分をぶんなぐってやりたいぐらいだ!


予定通りの時間に基地についたら瞬く間に目隠しをかけられトラックに乗せられ、あれよあれよと思ううちについたのは岩盤を掘りぬいて作られたと思しき秘密基地。これは思ったよりも不味い事態に巻き込まれたのかもしれぬ、と内心焦っているうちに引き合わされたのは1体の女性型アンドロイド。かけられる「君にはこのアンドロイドとともに生活してほしい」という言葉。


「アンドロイド嫌いの私にこの任を?」と思わず絶句する俺。「この新型アンドロイドは今までのものとは画期的に違うから大丈夫だ」とのこと。何が大丈夫なんだと思いながらまじまじとその17,、18歳ぐらいに見える女性型アンドロイドを見た。それは確かに美しいアンドロイドだった。


肌は色白、目元はきりりと涼やかで、鼻筋もすっと通っている。微笑みをたたえる口元は小ぶりで、唇はきれいな桜色だ。烏の濡れ羽色の髪は、肩もとできり揃えられ活発な印象を受ける。足はすらりとして美しく、胸は控えめだが形がいい。総じて爽やかな印象を受ける、綺麗なアンドロイドだった。それこそまるで人間にしか見えないほどに。しかしそのうつろなガラス玉のような目が、これがアンドロイドに過ぎないとわからせる。


アンドロイド特有のうつろな目と、その見事なプロポーションとのギャップが、逆に不気味だった。


アンドロイド、それはここ10数年で急激に普及した人型のロボットのことだ。人間より腕力、瞬発力に優れ、かつ人型の腕を用いることから、ある程度繊細な加工作業もできる。命令には従順で、壊れたところで補充は安い。初期は鉱山など人間が行うには危険な分野で用いられていたが、次第に軍事転用が考えられるようになった。一部の国では実際に部隊の半数をアンドロイドに置き換え、わが国でも施設警備にアンドロイドを用いているらしい。


だがそんなの俺にいわせりゃバカな話だ。アンドロイドには自分の頭で考えるということができない。与えられた命令以外のことは何もできないのだ。正直、同数の人間の兵とアンドロイドを戦わして俺が人間の指揮を執るなら、まず負けない。300対1000でも負けない自信がある。つまるところ、それだけアンドロイドというのは柔軟性に欠けるのだ。そしてそこがアンドロイドの嫌いな部分だ。人型の癖をして、実質は動くだけのお人形。見た目が人間にそっくりなだけにその様はまるで動く死体だ。気味が悪い。


だがそんな思いも向こうは先刻承知だったようだ。いかにこの新型アンドロイドが画期的かをとうとうと語ってきた。新型演算機器を搭載したことによる思閾値の急激な上昇や、ハーモニー感情曲線の向上などなど。専門的なことはよくわからないが、つまりこの新型は自分の頭で物事を判断し考えることができる、自己学習、自立学習を可能とした既存とは全く異なる新型アンドロイドらしい。こうした自己学習を可能とすることで、アンドロイドは既存のでくの坊から脱却を果たすことができると熱く中将は語っていた。


そんなものすごい技術を持ったアンドロイドを更なる学習のため、また運用テストもかねて、人間に扮して俺のところで日常生活を送らせてほしいというのが中将の希望であり、俺に与えられた命令であった。


そうはいってもこんな気味の悪いものと一緒に余生を過ごすなどまっぴらごめんだった。それに運用テストや更なる学習を行うなら、何も民間ではなく軍内部でやった方が機密保持の観点からもいいはずだった。せめてその点を主張しこの任を取り消してもらおう。


そんな思いを込めて問い掛けを放ったが、苦笑とともにあっさりと返答された。なんでも、軍内部という画一的な環境ではこれ以上思考能力の発展が望めないそうだ。そこで新型のうちの一体を民間で運用し、その経験を他の新型にフィードバックすることで思考能力の更なる発展を目指すらしい。


そんなこんなで俺の反論もとい問いかけはあっさりと跳ねのけられる。そして長年の軍歴を持ち、信頼できる君にこそこの任を受けてほしいんだがねという中将閣下。それとともに護衛の兵たちが何気なさを装ってホルスターに手をかける。断ればどうなるかわかっているなという中将の無言の微笑み。仮にも元教官相手にここまでするかと思うが、それぐらいの抜け目なさがあってこその中将という地位ということなのだろう。事ここに至って断るという選択肢はなかった。


渋々ながら同意すると瞬く間にその手続きが済まされる。機密管理手続き証への記載、新たな自分の地位を示す書類一式(どうやら特務機関の所属となるそうだ)の受領。そして、万が一の際のメンテナンスガイドに、偽の身分証の受け取り。どうやら偽装された身分ではアンドロイドと俺は父と娘ということになるらしい。面倒な事態にため息しか出ない。


いつの間にかそろえられた荷物もろとも、俺はこの新型アンドロイドとともに軍の買った山奥のロッジに送られる。新たな任地へと。


そして、新居につくや否や、思いのほか立派なロッジを探索する間もなく、スリープモードに入った新型アンドロイドを片目に俺はこう書くしかない。


どうしてこうなった、と。

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