王都-003 この男はその村人で、名は…。名は?

「この男は?」

「申したであろう? ペルシール地方のチェシェ村の話を。この男はその村人で、名は…。名は?」

と女は男に聞いた。


ここまで名前も聞かずに連れて来たらしい。男は、お仕着せの男から視線をあげ、どこか遠くを見るような目つきになった。もしかしたら、村の事を思い出していたのかもしれない。蓮っ葉な口を聞く女も、馬車の前で立ちつくす男も、どう見ても普通じゃない。バウンと呼ばれた男は、綺麗な服を着ているが、暴力が当たり前の、影で何をやっているか分からないような気配があった。


そんな都に連れてこられて、自分の名前にさえ興味を持たない女の命令を受けているのだから。男は、言い知れない絶望を感じていたのかもしれない。暗い眼は遠くを見つめたまま、

「サテン」

と答えた。女は嫌な顔をした。


「布の種類を申してどうする。偽名ではなく、本名を聞いておるのじゃ」

「サテン。サテン・チェシェ」

「それを申すなら、サテン・ペルシールの方がましじゃ。村の名前が付いた名なぞ、どこぞの田舎者ですと言っているようなもの。わらわが連れて歩くわけにはいかぬ」

そう言って、サテンの言葉を無視してしまった。そして、

「バウン。これはサテン・ペルシールじゃ。わらわが見つけた珍しい龍である。人間には懐かぬが、龍だからの。仕方あるまい?」

と言って、ふふふと笑った。バウンは女主の言葉を聞きながらうなずいた。しかし、顔は全く笑っていなかった。サテン・チェシェの顔を見て、

「本物の龍ですか?」

と聞いていた。女は高笑いした。愉快そうな甲高い笑い声だ。


「おまえにもそう見えるのかえ? ならば、どこへ出してもおかしくあるまい。礼儀も何もしらぬが、綺麗な服を着せれば、これこの通り、鄙びた山の男も、却って怪しげな雰囲気の男になるものじゃ。わらわの読みはこれまで一度たりとも外れたことはない。のぅ、バウン?」

「ええ。まったく。本当に」

とバウンは答えて眉間に深い皺を刻んだ。肌に上った鳥肌が嘘だとは思えなかった。山の男は、狩りをする。だから、町の男と同じように、殺気を放てるものかもしれない、と思いなおそうとしているようだ。そこで、ふと思い出したように言った。


「ララルーア様。実は、カエランラ家でも龍を見つけたと言う噂がございます」

「何? あちらが? 馬鹿にしていたのにかえ。手が早いと言うか、抜け目がないというか。バウン、そう言うことは先に申せ」


ララルーアはそう言って、準備をせねば、と言うことらしく、そこで初めてドレスのすそを持ち上げて、馬車の外へ足を出した。ほっそりした美しい足が、小さなビロードの靴とともに現れては消えた。


その足一つで、王都に屋敷を持ち、地方とは言え領主にまでなりあがったと言われている。王がその足を見染めた瞬間から、ララルーアは成り上がりの伯爵夫人から王の愛人へと、栄華を極めることとなり、そして、王の老いらくの恋の相手として、王都はもちろん、大陸中に名をはせることになったのである。ララルーアは、今、老いらくの恋の魔力で手に入れたものを、老いさらばえた男が消えた後も、守り増やす方法を探っていた。


「バウン。わらわの龍がほんものじゃ。そうそう、本物なぞ見つけられぬからの。商人のアントラックが噛んでおるやもしれぬが。あれは食えない商人じゃが。金を積めば、どこでも、こんな龍が見つかると言うわけでもあるまい。わらわの龍が一番よ。したが、バウン。しかと調べよ」

「はっ」

と言ったバウンの声は、女主に仕える男と言うよりも、完全に部下の声だった。

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