CSO2―初めてのダイブ!

 ヘッドフォンを耳に付けた心地は意外にも良い。従来の音楽用ヘッドフォンなら一時間も付ければ耳が痛くなるだろうが、このヘッドフォンは雲に包まれているような感覚。何時間と付けていられそうだった。


「あとは、ヘッドフォンの右側のボタン長押しで電源入れるだけだよー。時刻はちゃんと中で確認できるから心配しないでー」


 彼女こと私の親友――冬子(ふゆこ)は、ベッド脇でそう説明をしてくれた。どうやらその辺の配慮も万全のようで、電源もログアウトすると自動で切れるためそのまま寝ても大丈夫なんだとか。しかもなんと、アラームだけでなく、寝相からいびきまでの――乙女らしからぬ不可抗力も波長で管理、矯正してくれるらしい(素晴らしすぎる!)。


 ちなみにだが、途中で誰かにヘッドフォンを外されると、普通に揺すり起こされた感覚になるんだとか。無類のゲーム好きな彼女はそれで兄に起こされ、ひどく不機嫌になったそうだ。······まぁ、おかげで「脳波がどう~」と事前に説明を聞いていたため「突如、脳と繋がる信号が途切れたらどうなるのだろう」という私の不安は消えたが。


 ······さて、些か話が逸れたが、ともあれ、こうして私は冬子とこのゲーム――『CSO』をすることにしたわけである。


 傷心に至った件も話すだけ話したし、彼女の言う通り“鬱憤を晴らすのに“やってみるのも良いと思ったからだ。それに、彼女はいつもこんな私の愚痴に付き合ってくれるのだから、私だけ“彼女の好きなゲーム“に付き合わないわけにはいかないだろう。無論、私もゲームが嫌いというわけでもない。


「じゃ、他の説明は中でするから、キャラクリ終わったらワープした所(とこ)で待っててー」


 そうして、冬子は「出来るだけ早く行くからー」と言いながら、扉を開けたまま部屋を、テッテッテッ、と駆けて出て行った。冬子は、隣の兄の部屋にある同じ機材でログインする予定なのだが、ただしかし「今、留守の兄の扉のロック解除でちょっと時間掛かるかも」とのこと。ただ、部屋の鍵はナンバーロックで「どうせ誕生日と語呂合わせの番号だからチョロいよー」だそうだが。家の中にナンバーロックの部屋があることにも驚きだが、妹に部屋のセキュリティを破られる兄もどうなのだろうか。妹がおかしいのか? いや、うーむ······どこか心配な家ではある······。


 さておき、私がキャラクリことキャラクター作成(クリエイト)に掛かる時間を考えたら、そんなハンディもきっと丁度いいだろう――なんてことを考えながら身体を寝かせた。


「とりあえず、やってみよう······」


 本当に、そんな――あまり待たせる結果になってはいけないと、頭に掛かるヘッドフォンを微調整しては目を瞑り、緊張ながらに右耳の電源ボタンを長押し。


 テレビゲームはやったことあるものの、なんだかんだVRゲームは初めてだった。「脳を支配されるんじゃないか」「ハマったら彼に変な目で見られそう」とかずっと考えていたから手を付けなかったのだ。しかし、今の私は傷心のヤケクソ状態。OLが酒を仰ぐのと同じだろう(いや、私は呑んだことないが······)。


 ともあれ、そうして“初めて体験“には誰もが抱くであろう心臓の高鳴りを胸に覚えながら、私はお腹に手を当てて変化を待った。


 ······十秒と経たぬうちのことだった。


 軽快な、無数の泡が弾けるような、そんな――空間が広がるような電子音が耳元で心地よく聞こえ、鼓動を静めるように心を穏やかにした。不思議と力が抜け、そして、その次の瞬間には――、


 私は“眠る“のだと悟った。


 私は眠りに入る時、よく、崖からまるで落ちるかのような錯覚に陥るのだが、正にその感覚に近かった。そのまま眠りに入ることもあれば、ビクリと起きることもある。だが、今回は前者だった。どこまでも、ベッドの裏へとすり抜けて落ちていくような浮遊感を全身に感じた。


 しかし――、


 いつもならすぐ収まるそれは無限のように続き、夢とは違う未知の場所へ向かわせている感じがすぐにした。このまま落ち続ければ、私は消えてしまうんじゃないかというような······そんな不安。だから、そんな不安を覚えた私は恐る恐ると目を開いた。


 ――が、するとどうだ。


 私の眼前に広がっていたのは、夢にしては出来すぎた――暗闇の中を、背中側から私の左右を通り過ぎては消える無数の光球。その七色の――色取り取りの光球の行き場である正面奥は、白に発光し、球を飲み込む。その、まるで穴から外を覗いたような眩い光は、こちらに近付いてくるように徐々に大きくなっていく。


 そして、その七色の光球の綺麗さに目を奪われているうち、その白い光はやがて私の身体を包み――、


「······っ!」


 あまり眩さに目を閉じた私が再度、目を開くと、ちょうど私自身の身体は、羽根になったようにフワリと、果てなく続く草原の上へと降り立つ所だった。そして、膝丈ほどの周りの草を放射状に靡かせて自然と着地する自分に、私は感嘆の声を漏らす。


「すごい······」


 VRゲームというのはテレビゲームの延長線上だと思っていたが、とてもそうではない。想像を遥かに上回っていた。この最初の『景色』と『着地』だけで、これまで見て操作する側だった自分が、いよいよそちら側の世界に行ってしまったのだと、夢や画面の中でしか見なかった、ファンタジーの住人になってしまったのだと錯覚を越えて実感した。


「これが、ゲーム······?」


 自分の手に走る、現実とはまるで変わらぬ感覚。人が、いよいよ雲を掴んでしまったような、そんな“確かさ“がそこにはあった。


 無論、手だけではない。


「くんくん······シャンプーの匂いまで同じような気が······」


 視覚、触覚、嗅覚、聴覚、味覚。今すぐ確認出来ないものは中にはあるが、それでも、その全ての機能が確かに働いている気がした。加えて、いま身を纏っている学生服――それがまた、現実からの持ち込み物であるにも関わらず、このゲームの中に、“ここは現実だ“と思わせるようなリアリティを落としていた。


「ここまで一緒だと、本当に大丈夫かなぁ······?」


 校章の入った制服。その袖の染みまで同じだった。


 ――と、そんな電子世界の洗礼に苦笑していると、背後から、馬力の軽そうな車のエンジンのような音が。私は近付く“何か“に振り向こうとしたが、しかし、それは先に私の前へと回って、キキィー、と音を立てて止まった。


「ようこそっ! 『Cast a Spell Online』の世界へ!」


 突如、私の前に現れたのは、宙に浮かぶミニバイクのような乗り物に乗る、目が点の、頭が黄色いブロックのような、三頭身で、小さくて愛嬌のある生き物だった。


「初めての方ですね! 僕は冒険者さんをサポートするAI――NPC(ノンプレイヤーキャラクター)の『トコル』と申します! 今回は『始まりの草原』までの案内を行わせて頂きます! よろしくお願いします!」


 あまりの元気のよさに少しびっくりしたが、どうやらゲームのキャラクターのようだった。ぎゅっとしたくなる可愛さ。私好みである。


「冒険者さんは、この世界に来られて驚かれたのではないでしょうか! なんせ、ここへ来る直前の、現実世界そのままの格好でしょうから!」

「は、はぁ······」

「でも、ご安心ください! そこは記憶を読み取っただけですので、これから変更することも出来ます! もちろん、弊社でも悪用は致しませんので、そちらもご安心を!」


 どうやら、さっきの心配は杞憂のようだ。

 まぁ、じゃなきゃ今頃大問題だろうが······。


「さて、冒険者さん。これからCSOをプレイするのに、その服を初期装備にされますか? 性能は、こちらで用意したものと最初はどれも同じになりますが!」

「最初はどれも同じ······んー、どうしようかなー」


 ゲーム内とはいえ、現役女子高生を前面に出すなんてかなり価値があり優位に進められそうな気もするが············しかしだが、残念なことにそうすると、色々後で面倒も起きかねないだろう。校章まで入ってるし。蛇足だが、私は土日をフルでバイトをして、私立の少し良い学校へと通っている。親に頼み込んでまでしたそれをむざむざと捨てる行為は愚かだろう。


「んー、やっぱ今回は別のでお願い」

「わかりました! では、服を選ぶ前に、代わりの候補となるお好きな種族をお選びください!」


 すると、トコル······くん? ちゃん? の前に幾つかのスクリーンが出現。『ヒューマン』『エルフ』『獣人(ビースト)』『魔族』『妖精』とそれぞれ絵と特徴が書かれており、そこから亜人やらドワーフやらと派生もある――が、


「むむぅ······思ったよりややこしい······」


 生い立ちや生態など長々と書かれた説明に、思わず、普段は隠している面倒くさがりが出た私は、ひとまず、ゲームでは馴染み深い――大人だが可愛らしい『エルフ』を選択。派生に、純エルフやハーフエルフ、ダークエルフとあったが、肌色や目以外に大きな容姿の違いはないためと思えたため『純エルフ』で決定。


 すると、


「畏(かしこ)まりました! では、しばらくお待ちください!」


 私の周りをグルグルとミニバイクで駆けるNPCの彼。


 ――と、同時だった。


「――っ!? ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと!?」


 先まで着ていた私の制服諸々が粒子となって上がっていた。

 それはつまり、一糸纏わぬ姿になっていくということである。


「ちょ、ちょっと待って! それは聞いてないっ!」


 まだ、大事な異性にさえそんな姿見せたことないのに、こんな広大な草原で隠すもの一枚も無しなど痴態っぷりもいいところ。私にはそんな難度が高過ぎる趣味など持ち合わせていない!


 ――が、しかし、


 それは一瞬のことだった。

 すぐに新しい粒子が足元から現れ、私の服を作り上げた。


「······はぁ、よかった」


 大事なところは表現されてなかったとはいえ、草原でそんな姿をするなんて私は痴女か! 原始時代か! などと溜め息ながらに思ったのは言うまでもない。


 ともあれ、


「こちらが、冒険者さんが選んだ『純エルフ』になります! いかがでしょうか!?」


 そんな私の焦りと恥ずかしさとは裏腹に、無垢で無邪気に話すどこか憎めないNPCの彼は、目の前に鏡のようなスクリーンを出して私を映す。


 そして――私はその姿に驚いた。


「これが、私······?」


 太陽に映える艶やかな白い肌。少しシャープな小顔。癖のないサラリとしたストレートの髪。大きな胸に綺麗なくびれ。スラリとした足に細長い手指と花の匂い。耳は尖ってやや特徴的ではあるものの、ゲーム特有の非現実的さがあって、それがまた私に好感を与える。


「後ほど髪や目の色なども変えられますので、ひとまず、基本がその姿でよろしければ『決定ボタン』をお選びください!」

「······」


 これは正に、私の本当になりたい理想通りの姿だった。


 学校でも、バイト先でも決してなれない自分。

 無理に飾らない、なれるならなってみたい自分。


 ······。


「お望みに叶ったようで良かったです! それでは、続きを進めていきましょう!」


 いよいよ、私は、本当にこの世界の住人になってしまったらしい。

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