第3話

 これほどまでに規模を拡大させることができた。その間、取り立てて危機的な状況に陥ることもなく、順調に目標に向かって進んでいくことができたと言っていいだろう。

 それはかつてから蓄え続けている化学物質のおかげもあった。これがあったからこそ、時たま食べられることがあっても二度目までは時間がかかる。私たちの危機の中でも最も身近な被食に対する防衛として、蓄え初めてからかなりの時間が経った今でも有効に機能している。

 だが、このままでいいのだろうか。

 今私たちが持っている武器は、その化学物質しかない。今でも有効だといってもいつ状況が変わるともしれない。あの危機的な状況を変えるために動き出したのに、武器だけが昔と全く同じままだというのは、これまでの努力と真反対の方向に向いているような気がして、いつも少し心に引っかかるものがあった。

 さらに武器とは言っても化学物質を蓄えているだけにしか過ぎない。そこに私たちの自発的な行動はなくて、偶然食べられた時に次の一口を躊躇わせるような、そんな程度の効果しかない。ただ相手が行動を起こすのを待っていることしかできないのだ。

 全方向からの情報を比較して、何とか限られた資源の中でより長く伸ばすことができる方向を定める。地道だが自分たちで真剣に向き合い続けてきた拡大の道筋と比べ、その武器はあまりにも受動的だった。

 私たちがさらに安定して規模を拡大できるように、防衛の最後の砦ともいっていいその武器を自分たちの手中に収めなければならない。そしてその先には、相手から何かされる前に自発的に行使できる攻撃手段としての進化を……。

 そう思ってはいるのだが、果たして事が簡単にうまくいくはずもなく、拡大に費やす資源や時間にもかまけて何も進展のないまま時が過ぎていった。

 拡大をしていく中で、新しい環境はこれまで以上に頻繁に私たちの前に現れる。土の味、気温や湿度が違えば、そこに住む生き物たちの特徴も大きく変わる。これまで化学物質だけで乗り越えられてきたのはたまたまなのかもしれない。そう思わせる食べられ方を感じることもあった。

 いよいよ拡大よりもまず、自発的に活用できる武器の確立に第一に向き合う時がきたのかもしれない。だが、そう思ってはいても手がかりもないままその一歩すら踏み出すことができずにいた。

 焦りが、心の中から湧いてくる。早く何か手がかりを見つけないと、永遠に化学物質に頼り切りになってしまう。自分たちの手で制御できる、画期的な方法を探さなければならない。だが、どうすればそこに近づけるのかさえわからない。

 そこで感じる焦りは、拡大してきた時の焦りとは種類の違うものだった。がむしゃらに拡大していた時に感じていたそれは、ただ自分たちの規模が小さいことに対する焦りでしかなかった。それを解消する方法はただ一つ明らかだった。根や茎を伸ばして、今よりもっと規模を大きくすること。壁にぶち当たったとしても、何をすればいいのかは私たちのどの部分もがわかっていた。

 だが、今は違う。

 当座は今のままでやり過ごせる。規模が小さかった時はわずかな危機が私たち全体の危機となり得た。これほど拡大できた今は、どこかの先端で激しく食害を受けたとしても、それがすぐに全体の危機につながるわけではない。化学物質がその食害を踏み留めている間に、他の方向へ伸ばすこともできた。化学物質に頼っていたとしても、それが私たちの生存に直結する危機をもたらすとは信じられなかった。

 それでも焦りは湧いてくる。それは生存の危機につながるという原初的な危機感ではなくて、私たちの生き様に関わるものなのかもしれない。

 せっかくここまで自分たちの力で伸ばしてきたのに、最後の砦となるはずの武器だけがそれとは別の法則で成り立っている。すぐに生存の危機が訪れないとわかってしまった今、より大きな危機感として自分たちの生き方に関わるものが現れた。私たちは、自分たちの力と意思で身体を拡げていかなければならない。拡大も防御も、自分たちがそうと決めたからその結果が現れる、そういうものにしていかなければならない。

 だがそう思ってはいても、その通りに身体が反応してくれるわけではない。今でも有効な化学物質を差し置いてまで何かを作り上げようという意思は、私たちの身体全体で共有できた思いではなかった。うまくいっている状況を自分から変えることはない。そんな諦観にも似た考えが広がりそうになる。

 それがまた焦りを生み出す。今のままでは、来たる大きな変化の可能性に打ち勝つことはできない。かつての惨めな状況に逆戻り、あるいはもっと悲惨な状況に陥るかもしれない。最悪、何もかもが終わってしまうことだってあり得る。

 そう思っても、こうして焦りが大きくなっても、手がかりがないままなのは変わらなかった。化学物質の完成度が高く、それを超える方法は身体の中からは生み出されなかった。

 焦りの中、様々なことを考えながら、それでもさらなる拡大を続けていた時、これまでで最も驚くべき出会いにぶち当たった。積み上げてきた経験を覆すような出会いだった。

 それがいくら可能性が少なくてもあり得ることだと言えるのは、後から振り返った立場からでしかない。私たちが必死に伸ばし続ける中で、その出会いに辿り着けるという可能性は、記憶のどこを探しても存在しなかった。

 それでも目の前に、彼らはいた。まさか存在するとは思わなかった彼らが確かに、そこにいた。

 私たちと同じ感覚を持って、私たちと同じ化学物質を蓄えて。姿も形も、私たちと全く同じ彼らが。

 そして、私たちではなし得ないほどに、四方八方にその領域を拡大させて。

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