深海に凪ぐ

まる

色のない女①

 色がない。そんな馬鹿な。


 彼女を見た衝撃で、思わず私は立ち尽くした。改札を出たばかりのところだったため、相当邪魔だったのだろう、後ろにいたサラリーマンと思しき男性が私を横目で睨みながら通り過ぎていった。強い苛立ちの残る彼の背中を見送りつつ、慌てて壁際に向かう。


 彼女は改札の向かいの壁の前に立って、次から次へと出てくる人々を眺めていた。誰かを待っているのだろう。改札の隣に並ぶ券売機の横に空いたスペースに陣取りながら、私は彼女をじっくりと眺めた。やはり色がない。


 人が感じているストレスを、私はその人が纏う色として視ることができる。先程私を睨んでいったサラリーマンは肩から腰の辺りが濃い青色に鈍く光っていたし、改札を出て出口へ向かう人々も同じように青く沈んでいる。金曜日の夜だから皆疲れているのだ。


 色や濃さ、色を纏う身体の範囲に差はあれど、何色も纏っていない人に出会うなんて、私がこの変な能力に目覚めて以来、彼女が初めてだった。ストレスのない人。そんな人がこのストレス社会に存在していたとは。


 軽い感動を覚えながら、もう一度彼女を眺める。鎖骨まである黒髪に、グレーの半袖のTシャツ、黒い長ズボン、黒いスニーカーというシンプルな出で立ち。それでも様になって見えるのは、彼女の目鼻立ちが整っているからだ。


 美人だからストレスがないのかしら――そんな考えが一瞬浮かんだが、端正な顔の知り合いを何人か思い浮かべ即座に打ち消す。残念ながらそんな簡単な話ではないのだ、などと考えていると、彼女と目が合った。


 訝しげにこちらを見る彼女の顔から慌てて視線を逸らす。距離があるから大丈夫と油断して、じろじろと見過ぎていた。見知らぬ女からの不躾な視線は不愉快だろうに、相変わらず何色も発しない彼女に舌を巻きながら、私はスマホに連絡がきたように装いつつそそくさと駅を出た。

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深海に凪ぐ まる @maru1

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