人龍②

 水筒から水をコップに移し、ミルナに手渡す。

 渡す際に触れた指先が冷たかったので、やはり夏とは言えど肌寒かったのだろう。上着をミルナにかける。


 昼間に集めていた乾いた枝に、ちょんと短刀を当てて火を付けて、少し離れたところで暖を取る。


「ありがと」

「眠くなったら言えよ。まぁ、自分の親をあまり悪く言うのもどうかと思うが……貞操観念という物がなかったんだろうな。俺が寝ている横で普通に知らない男と関係を持っていたぐらいだ」

「……それは、その……。でも、カバネのことは愛してくれていたんじゃ」

「赤子の頃は祖父母が面倒を見てくれていたらしい。だが、すぐに祖父母が他界してな。そのあとは、母と関係を持っていた男の一人が面倒見がいい奴がいて、まぁ食事だけは取ることが出来た。これが5歳ぐらいまでだな」


 パチリ、と火が枝を爆ぜさせる音が聞こえる。


「つまらない話だし、別の話を……」

「ううん。嫌じゃなかったら、聞かせて」

「……俺がいた世界はここよりも安全で豊かだった。だから、国民全員が教育を受けれてな、国が教育を受けさせてくれるんだ」

「……すごいね」

「まぁ、そうかもな。その中で小さい子供は小学校というところに集められるんだが、昼食はその学校で食わせてもらえてな。……まぁ本当はその昼食の金も払わないとダメなんだが……」


 俺の親が払っているはずもない。深くため息を吐きつつ、眠らないように体を伸ばして話を続ける。


「まぁ、到底足りた量じゃないが、それでも生きるぐらいには何とか足りていた」

「……その、お母さんは」

「俺のことは基本的にいないものとして扱っていたよ。今思うと俺の子供の頃はかなり身なりが汚かったな。何週間も連続して同じ服を着ていたし、お陰でその小学校の中でもイジメ……と言っても分からないか。かなり嫌われ者でな」


 イジメられていたが、まぁ仕方ないだろう。道徳が身につく前の子供の中で、明らかに異質で汚らしい奴がいたのだ。

 親も嫌われていたし、放置されていたから誰かが止めるなんてこともない。だが……まぁ、幼い子供に善悪なんてあるはずもない。


「なんで……自分の子供なのにそんな」

「……俺の名前は欠けた羽……と書くんだ」

「えっと……」

「自由を謳歌していたのにお前のせいで私の羽は欠けた。という意味だ。ついでに読みのカバネというのは、屍からだな。お前など死んでしまえという意味も含まれている」

「で、でも捨てなかったんじゃ……」

「子供をそこら辺で捨てるのは違法だったからだ。子供を他の人に渡す制度もあったが、母親はあまり頭が良くないから知らなかったらしい」


 昔話をしていると眠くなってきた。他の人の話ならまだしも、自分の話だと知っている内容だけなので酷く退屈だ。


「まぁ頭が良くなかったおかげで俺が産まれたんだろうけどな」


 ミルナは頷くこともなく、黙々と俺の話を聞いていた。


「俺の家族はそんなところだ。何が好きで何が嫌いとか、どんな性格とかは良く知らない」

「……あ。うん。……あの、その……愛されたことがあったから愛せるって」

「ああ、それは母親からじゃないぞ。その小学校の同級生でな。……この話はニエにはするなよ?」

「えっ、うん」


 ニエは案外独占欲が強いから……俺の初恋の話などしたら、きっと悲しんでしまうだろう。


「同級生って、同じ年齢ってこと?」

「ああ、同じ年齢ごとに分けられてな。その中で嫌われ者だったんだが……まぁ食事がもらえるから毎日欠かさず通っていたんだが、その行事の一つに遠足があってな。みんなで出かけるんだ」

「へー、いいね。楽しそう」

「ああ……あれは、楽しかった。……本当に、幸せだった」


 思い出すと思わず笑みが溢れる。あの世界で、一番大切な思い出だ。


「その給食が、遠足の日には出てこなくてな。家から弁当を持っていくんだが、まぁ当然俺の家で用意出来るはずもなくな。俺だけないような状況だったんだ」

「……あの、それ本当に良い思い出なの?」

「ああ、いい思い出だ。それで昼食の時間、みんなで集まって食べているのをあまり見たくなくてな、見ていると腹が減って、すごくイライラするから出来る限り離れたところにいたんだが、一人の女の子が俺のところにやってきて、おにぎりをくれたんだ」

「おにぎり?」

「小麦と同じ稲科の食物で、まぁパンのような主食だと思ってくれ」


 誰も友人なんていなかったし、何も楽しくない遠足だった。遠くでビニールシートを敷いて楽しそうにしている声が聞こえて、それがどうしても許せないほどに憎かった。

 殴られることよりも、何よりも幸せそうな声を聞くのが辛かった。


 そんなときだった。楽しそうな輪から離れて、小さなおにぎりを持ってきてくれた。


「だからな、俺も人を愛して優しくしようと思っているんだ」

「えっ、話が飛躍してない?」

「……そうか? ……まぁ、優しくされて嬉しかったから、俺も人に優しく出来るようになったというだけの話だ」

「……えっと、愛されたってのは、その女の子とそれから何かあったの?」

「いや、それからは特に。さっきも言ったが身なりが汚く嫌われ者だったからな。それ以来話しかけられることはなかったし、話しかけても嫌がられていたが」

「……そ、そっか」


 ミルナは不思議な反応をする。いい話のつもりだったが、どうにも反応が芳しくない。


「まぁ……それからかなり長いことその女の子が好きでな。中学校を卒業するまで……と言っても分からないか。九年間ほど片想いをしていた」

「おにぎりひとつで……?」

「まぁ、会うことがなかっただけで、ニエと会うまではその子のことが好きだったから、もう少し長いか」

「……え、えぇ……」

「……別にいいだろ。それだけ嬉しかったんだよ」


 ミルナは微妙な表情を浮かべる。せっかく俺のいい思い出を話したというのに、なんでそんな表情なのか。

 俺が少し拗ねていると、ミルナは困ったように「そ、そう……」と言う。


 ……今思い返すと、もしかして俺って飯をもらうと人を好きになるのか?

 いや、ニエのように自分の分すら足りないのに、分けるようなことをされたら誰でも好きになるよな。


「……カバネのこと、ちょっと分かったかもしれない」

「そうか。まぁ大した話はしてないが」


 よくよく自分のことを考えてみると……おにぎりをくれた女の子とニエはその時の背丈が似ているし、自覚していなかっただけでそれぐらいの身長の女の子が好みになっていたのかもしれない。

 ニエはもちろんのこと、シロマの裸にも興奮してしまうし……もしかして俺は、その思い出のせいで、幼い女の子が好みなのか? いや、まさか……ミルナが屈んだときの胸元とか普通に気になるし、普通だろう。


「……カバネ、クッキーの余りあるんだけど、食べる?」

「いや、ニエとかシロマが甘い物が好きだから、二人にあげた方が」

「カバネに食べてほしいの。頑張って作ったから」

「……そういうことなら、もらうか」


 ミルナが取り出したクッキーを受け取り、無言で食べる。朝食べたのと同じく、悪くない味だ。料理は不味いが、こういう菓子は悪くない文化のようだ。

 俺が食べるところをジッと見つめていたミルナが俺に尋ねる。


「ど、どう?」

「美味いよ。小麦の風味がいい」

「そうじゃなくて、いや、それは嬉しいんだけど、その……」


 ミルナは上手く息継ぎが出来ず、空気を振り絞るように言う。


「す、好きになってくれる?」

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