誰かの祈りに応えるものよ⑩

 複数人の上に獲物は槍。

 勝つのは無理だな。しかしながら相手の格好は軽鎧であり、多少動きにくそうだ。逃げるだけなら問題はないな。


 まず距離を取る。攻めてきた瞬間に踵を返して逃げられるだろうように身体を半身に捻っておき、呼吸を整える。


 大袈裟にトントンと地面を蹴り、鞘から短刀を引き抜く。

 無理に攻めてくる様子はない。こんな急場において言葉でのやりとりどころかアイコンタクトすらなく、統一した動きを見せられるというのは不思議な気もする。


 奇襲で多少慌ててくれるものだと思っていたが……想像していたような寄せ集めではないのか?

 まぁ、それならむしろやりやすい。


「助けは来ないぞ」


 おそらく別働隊がいるであろうことを予測して、そうブラフをかけてみるが反応らしい反応はない。

 いや、反応がないことが反応と言えるか。襲ってくる様子がないということはこちらの弁を信じていないか、それともまるきり的外れなことを俺が言っているか。


 傭兵は御者の男と相対していて、勝つかどうかが分からない。さっさと作戦を進める方がいいか。


「俺たちはそれの窃盗が今日じゃなければよかった。明日や明後日なら気にすることすらなかっただろう。今日は返してくれ、同じ手口で明日やればいい。あるいは別の手口でももっと後でも構わないだろう」


 こんな説得が通じるはずがないのは分かりきっている。重要なのは、俺たちが社会的な正義のために動いているわけではないことを印象付かせるためだ。

 そうすることで、俺たちが実用として石像を必要としていることを知らせる。


 フッ、と息を吐き出して後ろに下がり、短刀を投げる。

 そんな雑な攻撃が人に当たるはずはないが、動かない大きな馬車には簡単に当てられる。


 短刀が刺さった馬車が発火し、何人かの敵が振り返ったのと同時に、傭兵が御者の目の前に氷の壁を張り、足止めをしつつ他の奴に向かう。


 さらに同時に少女の声が響く。


「そこらへんの虫になりなさい!……あっ!!」


 先程敵の集団に印象つかせた「俺たちは石像により英雄の召喚が出来る」という情報により、奴等はこう考えるだろう。

「石像を虫へと変えることで運びやすくしたのではないか」と。もちろん、ブラフだ。そんなことが出来るかどうかなんて知るはずもないが、奴等も同様に知りえない情報だ。


 石像の入った馬車は燃えていて石像の有無が確認出来ない状況において、一人で走って逃げるミルナを無視することは出来ないだろう。


 混乱した戦場、一瞬だけ他の奴等が一人の男に目を向ける。


「傭兵、ソイツだ!」


 俺が指差した男に傭兵の乱雑な蹴りが突き刺さり、男がゴロゴロと地面を転がる。

 指揮系統が乱れたが、敵は一瞬で立て直す。


「俺が追う! お前らは……ここを死守しろ!」


 御者の男がそう言って追いかけようとするのと同時に追跡を阻止するように氷の壁が生まれる。


 よし、完全に作戦通りだ。このままいけば石像を取り戻せる。

 そう思った瞬間のことだった。視界の端に映っていた日の光が消えた。腐肉と獣臭さが増す。


「ッ……嘘だろ!?」


 先ほどの怪鳥だ。アイツらが呼んだわけではないのだろう。奴らも慌てふためいて怪鳥が降り立った馬車の上から離れている。


 そして、怪鳥は石像を足で掴んだ。

 怪鳥からしたら「燃えて目立っているところを見たら、拾ったら餌が出てくる石の塊があったから取りにきた」だけのことなのだろう。


 不運でしかない。どうする。どう立て直す。逃げていたミルナと、それを追っていた御者の男も立って怪鳥を見つめている。


 ミルナが石像を虫に変えて運んでいるというブラフはバレた上に、下手に争えば怪鳥が襲いかかってきかねない。


 想定外の事態に頭を無理矢理回転させる。

 無視する? いや、そうすると怪鳥は運ぶように躾けられている場所に、こいつらの仲間がいる可能性の高いところに運ぶだけだ。


 無視は出来ない。だが……こんな奴を追い払うことなんて出来るか?


「ッ……カバネ!! ボサッとしてんな!!」


 気がつくと槍を持った男が俺へと近づいていた。傭兵の声で寸前のところで回避して、ゆっくりと距離を取る。


 だが、怪鳥はその攻撃行動が気に入らなかったのか、その男の背後から男を突つく。

 男は倒され、そのせいで余計にこの場で動き難い状況が発生する。


 下手に動けば、一番強い怪鳥に襲われる、逃げれば人間に背中から攻撃されかねない。

 それは相手からしても同じであり、怪鳥も石像を見つけたはいいが石像は燃えた後で熱を持っているせいか、石像を持ちかねている。


 誰も彼もが動き難いという状況が発生し、戦場だと言うのに風が草を揺らす音や木がパチパチと燃える音が聞こえてくるほどに静かだ。


 その状況で一歩動き出したのは傭兵だった。


「カバネ、合わせろ」

「ッ……分かった」


 俺の返事と共に馬車の下から氷の壁が発生し、炭を撒き散らしながら怪鳥の身体を少しだけ動かす。俺は動けずにいる敵を無視してそちらに駆け、氷の壁から落ちて来た短刀を空中で掴み取る。


 真っ先に反応した御者の男へと向かい、男は俺の短刀を警戒したのか風を使って俺を吹き飛ばす。


 それを皮切りに、敵が一斉に動き始め、膠着していた戦況が動き始める。

 傭兵は先ほどの膠着の間に魔法を練っていたのか、辺りに大量の氷の壁が張り巡らされる。


 怪鳥を封じ込めるためではなく、リーチのある槍を使いにくくするためだろう。ついでに、風による吹き飛ばしも氷の壁が阻むことになる。


 氷の壁のせいで非常に視界が悪いが、壁が盛り上がって出来る瞬間を思い出し、頭の中で迷路を解く。

 傭兵のいた場所、御者や他の敵がいた場所。


 グネグネと曲がりながら壁の隙間を移動して、御者の前に出た瞬間、別の方向から来た傭兵の姿も見える。


 御者の男は挟み込まれた形となったことで焦ったのか風で自分を上に吹き飛ばし逃げようとした瞬間、怪鳥が氷の壁を突破して御者の男とぶつかる。


 運が良かった。いや、これは……上から槍が降ってきて怪鳥に当たる。刺さるはずもないがそれに怪鳥が苛立ち、近くにいる俺達に襲いかかってくる。


 氷の壁が障害物になって怪鳥は動きにくそうにしているが、それは俺も同様だ。


「傭兵! 三歩先!」


 怪鳥から逃げるように一歩、二歩と後退し、三歩目を踏み込んだ瞬間に足元から氷の壁が発生して俺の身体を持ち上げる。


 そのまま氷の壁の上を走り、ミルナと傭兵の二人と合流する。


「アイツらは閉じ込めた。鳥は無理だ」


 傭兵の言葉を聞きつつ、石像に袋を被せてその上に炭を撒いて怪鳥に見えないように隠す。


「怪鳥が消えるまで離れるぞ」


 傭兵はミルナを持ち上げて、その場を急いで離れようとする。勝ちも同然の状況、ホッと一息吐き出したところで……道を歩く一人の女性の姿が目に入った。


「この世の誰よりも強き人を」


 女性の発したその言葉の意味が、一瞬だけ分からなかった。

 それを理解するのと同時に「まさか」とは思いつつ振り返った瞬間のことだ。


 怪鳥の翼がストンと落ちて、血が吹き出すのと同時に首が落ちる。


「……えっ?」


 と、ミルナが惚けた声を出した。怪鳥が血を吹き出しながらズシンと地面へと倒れ伏す。

 理解は出来る。この女が敵が石像を奪おうとした理由であり、石像から英雄を呼び出したのだ。


 そして呼び出された英雄が怪鳥を殺した。


 怪鳥の懐から出てきたのは、怪鳥を殺したとは到底思い難い華奢な肢体の少女だった。少女は身体よりも長い大太刀を抱え、不思議そうにキョロキョロと周りを見渡す。

 ニエよりかは歳上だろうが、俺よりかは幼く見える。


 返り血の一つも浴びていない白い身体と長い黒髪、あどけなさを残した顔立ちと、成長途上を思わせる身長と胸や腰の発育。


「ふむ……そこの」


 見た目通りの高い声が、召喚した女性を呼ぶ。

 ペタリペタリと素足のまま地面を踏み、不意に吹いた風がその身体を隠すものを吹き飛ばす。


 俺が出た時と同様にボロボロの衣服だったのだろう。風があっけなくその全てを持っていき、何一つの衣服も羽織っていない少女は気にした様子もなく、その体を隠そうとする仕草すらなく女性に言う。


「……何がどうなっている? 儂は道場で稽古をしていたはずなんだが?」


 ……二つ、理解する。

 あれは「世界一強い人間」であり、俺達は「失敗した」のだ。

 怪鳥を容易に殺すこの少女を石像に戻すのは不可能。石像を取り返すことは出来ない。


「……傭兵、ミルナ、逃げるぞ」

「ッ……でも!」

「お嬢、あれは無理だ」


 傭兵がミルナを抱え上げた瞬間、「世界一強い人間」である少女の姿が眼前から消える。

 反射的に持ち上げていた短刀に衝撃が走り、衝撃に耐えられずに弾き飛ばされた短刀が空を舞って地面へと突き刺さった。


「ッ!」


 敵と認識された!? 逃げようとしたからか!?

 少女に反撃しようとした傭兵へと叫ぶ。


「ここは俺に任せてミルナと逃げろ! 俺も後で行く!」


 勝算があるわけではない。こんな唐突に出てきた奴を相手に策もあるはずがない。

 三人とも死ねばニエが困る。傭兵達がいてくれたら、ユユリラと会うまでは面倒を見てくれるかもしれない。


 傭兵は俺の名前を呼ぶミルナの口を塞ぎ、シワの入った顔を頷かせた。

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