誰かの祈りに応えるものよ②

 ユユリラは明らかにドン引きしたような表情を見せるが無視だ。


「まぁそういうわけで、妻をひとり置いていくわけにはいかないから、子供の足での移動になるだろ。俺も怪我をしてるしな。結構な時間がかかるだろ」

「うーん、確かに一週間……ぐらいはかかるッスね。いや、途中の街で馬車を借りれば……お金足りるかな」

「無理なら悪いけど話はなしだな。流石に食うものすらない状態で着いていくのは無理だ」

「い、いや、支度金じゃ足りないだけで、私費を使えばいけるッス。あと、到着してからは領主様がちゃんとしてくれるのは間違いないッスよ! いい人ッスから」


 ……まぁ口約束でしかないが、ここにいるのよりかはマシか。

 ユユリラは立ち上がって「じゃあ食料買ってくるッス」と言いながら外に出て行く。


 急いでいるな、と思ったが、本当に金がなくて早く出発したいのだろう。

 ニエの方に目を向けて、後回しにしていたこの世界の婚姻関係について尋ねる。


「……ニエ、この国の結婚ってどうなってるんだ?」

「えっ? 結婚と言えば結婚だと思うんですが……。いや、でした?」

「嫌なわけがないだろ。そうじゃなくてな、ほら、俺ってこことは違うところ出身だろ。婚姻関係にも違いがあるかと思ってな」

「えっと……男の人と女の人が好き同士になります。それで、結婚します。相手のお父さんやお母さんも親族になって助け合います。……この説明であってますか?」

「……まぁ、おおよそ同じことが分かった。一夫一妻だよな?」

「え、はい。お貴族様は違ったりしますが、普通はそうですね」

「じゃあ何も問題ないか」


 それにしても夫婦か……。いい。とてもいい。

 死にかけたかいがあった。街でニエと二人で暮らす想像をして、思わず頬を緩める。


「……えへへ、夢みたいです。絶対に離れませんよ。私はカバネさんに捧げられたニエですから」

「手放すつもりはない。……それより、旅は大丈夫か? 歩くことになるが」

「はい。大丈夫です。頑張ります。これでも、一人で山菜とったりはしてるんですよ?」

「……あと、この村に帰って来れないかもしれないが……大丈夫か?」

「はい。……挨拶はしにいきたいですけど」


 自分を生贄にするような連中に挨拶……か。俺としては良い気分はしないが、ニエにとってはそれでも故郷だ。

 最後になるかもしれないのだから、それぐらいはいいか。


「……ああ、そうしたらいい」

「カバネさんは、やっぱり村の人たちが嫌いですか?」

「……ああ」

「……カバネさんはやさしい人ですもんね。……あっ、結婚したら私もカバネさんになるんですかね。ニエ・カバネということに」

「……ん?」


 何かおかしい。いや、もしかしたらそういう文化なのかもしれないと思い、ニエに尋ねる。


「……こちらでは家名と名前があるのは一般的なのか?」

「んぅ? いえ、家名がある人はあまり多くないです。私もただのニエですし、この村だと村長のシルシ家ぐらいだったかと」

「……結婚したら、名前はどうなるんだ?」

「家名をいただく形になりますね」

「……俺の名前は?」

「イワヌシ・カバネさんですよね?」


 ……俺の認識との齟齬はないらしい。つまり、ニエは今更だが……。


「俺の家名は?」

「カバネさんですよね」


 家名は名前の後にくる文化だったらしく、ずっとカバネを家名と思って呼んでいたらしい。


「……どうかしました?」

「……俺の家名は岩主だ。カバネは名前だ」

「……えっ、ええっ!? そうだったんですか!? す、すみません、ずっとカバネは家名と思ってました」

「いや、別にいいんだけどな」

「だとすると私はニエ・イワヌシ、いえ、イワヌシ・ニエということになるんでしょうか」

「この世界の婚姻制度が分からないからなんとも……」


 まぁでも岩主ニエか。……なんかいいな。

 元の世界に帰ることからは遠ざかりまくっている気もするが、今この一瞬の欲望に負けた。

 えへへ、と笑みを浮かべるニエに手を伸ばし、逃げることもない彼女の頭を撫でる。


「……あ、あの、どうかされましたか?」

「無理はするなよ。無理を言っているのは分かっている」


 ニエは頭を俺の手に押し付けるようにして、微かに笑う。


「私はカバネさんのニエですから」

「……ああ」


 無理はしているだろうな。まさか命が助かって嬉しいというだけではないだろう。

 故郷を離れることになるのも、知らぬ土地に行くのも、そんな簡単な話ではないだろうし、思うところはあって当然だ。


 支えてやりたいと思ってはいるが……俺には力不足かもしれない。


 ポツリ、と天井から音が聞こえる。


「……雨、か?」

「雨ですね。えっと、お怪我、大丈夫ですか?」

「ああ、それより荷物をまとめよ。……大切なものは持っておけよ。戻って来られるとは限らない。多少嵩張ってもニエのものなら運ぶから」

「は、はい……えっと……何を持っていけばいいんでしょうか?」

「思い出のあるものとかだな。何かないのか?」


 ニエは小さく頷き、トテトテと棚の方に歩いて何かを漁る。

 しばらく探したかと思うと、思い出したように別の場所に向かって何かを取ってくる。


「……髪飾り?」

「はい。昔、父が母に贈ったものだそうです。母と違って黒い髪なのでこういうのは似合わないと思うので付けることはないでしょうけど……その、母のことを思い出せるので、あと……」


 ニエは俺がいつも狩りで使っていた、龍を殺すのにも用いた短刀にも目を向ける。


「それも、お父さんが大切にしていたものなので。腕の良い職人さんが作ったものだそうです」

「……悪い。龍との戦いでかなり無理をさせた。折れてなければいいんだが……」


 龍の爪を防いだり、皮膜を切ったりトドメを刺したりと、無理な扱いをし続けていた。ゆっくりと引き抜いて確かめる。

 妙な鈍い赤色が見え、血液が付着しているのかと思って触るとそうではないことに気がつく。


「……ニエ、悪い、なんか壊れてるっぽい」

「えっ、いえ……仕方ないことですし、私のためのことだったので」


 何故か刀身が赤い。それに何故か妙な威圧感を感じる。……龍の血液に金属を腐食させるような力でもあったのだろうか。研いだら錆も落とせるだろうかと考えていると、ニエがゆっくりとこちらに寄る。


「どうかしたか?」

「あっ、いえ、雨が強いなぁと、思いまして。こんなに強い雨は初めてです」


 ニエの言うとおり、雨の音が部屋の中に響いている。古い作りの家だからというのもあるだろうが、それにしても雨の勢いは強く、風もそこそこあって家が揺れる。


 それが不安なのか、ニエはペタリと俺の腕に身体を寄せる。柔らかい少女の感触と体温にちょっとした緊張を覚えながら、その緊張を誤魔化すために口を開く。


「……これは火災積雲というやつだな」

「ん、んぅ……?」

「大規模な火災が起こると、火の熱で強い上昇気流が発生するだろ。それに加えて燃えた木々の水分や細かな灰が上昇気流に乗って高くまで登る。その水分が灰に付着することで雨になって落ちてくる」

「えっと……よく分からないです」


 ……緊張しすぎて絶対に伝わらないような話をしてしまったな。


「……まぁ、山火事が起きたら雨が降りやすいということだ」

「へー、不思議ですね。神様が山火事を消すために降らしてくれるんでしょうか?」

「……まぁ、そうかもな」


 本当に風雨が強い。ニエが不安がるのも分かるぐらいには揺れている。ぎゅっと手を握られて、その手を握り返すと恥ずかしそうに目を逸らされる。


「……あの、今日……一緒に寝ても、いいですか?」

「い、いや……それは流石に」

「カバネさんが寝てるベッドは両親が二人で寝ていたので大きいですし、それに今日はユユリラさんも泊まっていくかもしれないので……い、嫌ですか?」

「嫌じゃない。嫌ではない……。ま、まぁベッドがないなら仕方ないか」

「そ、そうです。仕方ないです」


 めちゃくちゃな鼓動を鳴らしている心臓を気にしないようにしながら、ゆっくりと立ち上がる。


「ユユリラのやつ遅いな。雨だけど大丈夫か?」


 そう考えて扉の方に向かうと、扉が勢いよく開いて全身がずぶ濡れになっている女が目に入る。


「……酷い目にあったッス

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃないッス。最悪な感じッスよ」


 ニエが急いで布を取り出してユユリラに渡すと、彼女は扉を閉めて服を脱ぎ始める。

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