五月、あるジャパ大生の憂鬱

丁_スエキチ

五月、あるジャパ大生の憂鬱

 窓の外に新緑が広がる、風薫る季節。

 しかし、無機質な講義室の中には入学したてほやほやのヒトとフレンズたちが座っている。外の穏やかな天気など関係ない。


「このように、サンドスターの持つ多数の共鳴構造体ひとつひとつがコードの役割を示し、遺伝子のように情報伝達機能を持っているという仮説があります……」


 キリのいい所まで話して、一息つく。教壇からの眺めというのは意外といいもので、そこそこ大きい講義室であったとしても、後ろの方にいる学生がよく見える。真剣に板書をとっているとか、授業そっちのけで端末をいじっているとか、あるいは上の空で文字通り上のほうを眺めているとか、何をしているかは筒抜けだ。

 だからといって僕まで人間観察――あるいはフレンズ観察か――に夢中になって授業放棄するというわけにはいかないので、またスライドに合わせた内容を語り始めた。



 ここはジャパリパーク、動物たちがヒトの姿を得て、ヒトと共に暮らすことのできる奇跡の島だ。そんな奇跡に科学のメスを入れるのが僕たち研究者であり、研究の一部を学んでもらうために奔走するのが僕たち大学教員である。

 ヒトのみならずフレンズにも門戸が開かれているこの大学で、僕はサンドスター情報工学を教えている。

 今の時間は一年生向けの概論の講義で、内容は一般的な情報理論についてのかみ砕いた解説であったり、サンドスターに特有な情報伝達性の説明であったり、要するに僕の所属している学科にまつわる話だ。

 自分で言うと贔屓しているようだが、大学の中で見ても割と面白い研究をしている学科だと思っている。しかし、いくら中身が面白くても、授業という形になると、どうしたって退屈になってしまう。僕が学生だったときも興味の薄い授業は熟睡していた記憶があるから、今まともに聞いていない学生たちを責める気にはなれない。 

 その上、僕は話がうまい部類のヒトではない。ここに関しては僕の力量不足だ。

 とは言いつつも少し不満なので、話を聞いてなさそうな輩の顔くらいは覚えといてやろう。教壇からはあなたたちがよく見えるんだ。



 昼休みも後半にさしかかった頃。

 長い時間しゃべり続けるというのは腹が減る行為だから、講義が終わったあとは昼食をしっかりとらないと身体がもたない。というわけでいざ学食である。

 ここの学食はフレンズもしばしば利用するため、メニューは管理栄養士や飼育員、獣医による監修がなされており、栄養満点で最高に美味しい。もっとも、高いのは味のレベルだけでなくお値段もだが。

 学生たちが長蛇の列を作る時間帯は過ぎたようで、混雑こそしているものの、空席はちらほら確認できる。日替わりのアジフライ定食を注文して受け取り、近くにあった席に座った。

 今日も美味しい、と舌鼓を打っていると、斜め前から物憂げなため息が聞こえてきた。

 そこには。


「あっ……」

「あっ……どうも」


 さっきの授業で上の空になっていたフレンズがいた。名前は確か、オコジョ。



 しばらくすると僕の前の席が空き、そこに彼女が移ってきた。


「どうも、こんにちは……」

「えっと、オコジョさん、でしたよね?」

「はい、そうです。サン情一年のオコジョです」


 よかった、顔と名前が一致していた。自分の学科に入ってきた一年はできるだけ把握しておきたいものだ。ちなみにサン情というのはサンドスター情報工学科の略称だ。

 それにしても、急に話しかけてきたのは何故だろう。何か相談事でもあるのだろうか。


「あの……、お食事中のところ申し訳ないんですが、今ちょっと勉強のこととかで色々悩んでいて……。ご相談に乗っていただけませんでしょうか?」


 ビンゴ。

 大学生の悩みを聞くのも、大学の先生の仕事の一つだろう。


「もちろん、いいですよ、ランチがてらの相談でよければ」



「先生の前で言うのもどうかとは思うんですが、最近、勉強する気になれないんです。どうにかしなきゃと思っていたら、さっき授業していた先生がいたので、つい勢いで、打ち明けようかと……」


 ぽつりぽつりと、悩みを言葉にして吐き出していく。


「僕の立場的には、学生にそれを言われちゃ悲しいけど、気持ちは分かるよ」

「すみません……。その、私はこの姿になって、たくさんのヒトたちと関わるようになって、ヒトの文化とか生き方なんかを知りました。いろんな生き方があるとは思うんですが、結局、ヒトっていうのは勉強して就職して、自分自身や家族を養って生きていくじゃないですか」

「確かに、大部分はそうしているね」

「私は、せっかくフレンズになったからには、ヒトのような人生を送るのが良いんじゃないかと思っていました」


 独自に発達した社会性を持つヒトの暮らし。それは、動物だった頃の、生きるか死ぬかの世界とは異なる、ある意味で安定かつ計画的なものだ。自分の知らなかったものが魅力的に映るのは当然だろう。隣の芝生は青いってやつだ。


「進学して就職する、そんなまともな人生を送るんだ、って心積もりで受験勉強を頑張ってきたんですよ。けど、努力すればするほど、いま勉強していることって、将来いったい何になるのよって思ってしまう自分もいて」

「なるほどね……」

「それで、なんだかんだ悩みつつも無事にジャパ大に受かって、気分一新でさあ頑張るぞって切り替えようとしても、やっぱりその悩みが頭から離れないんです」


 時折頷きながら彼女の話を聞いているが、どこかで聞いたことがあるような悩みだ。あるいは、かつての僕自身のことのように感じられる。きっと多くのヒトが経験したことのある悩みだろう。

 おそらく、オコジョのそれは五月病だ。受験が終わって燃え尽き症候群気味のところに、新しい環境、新しい生活サイクルが始まって、うまく切り替えられずに無気力が襲ってくる。ヒトではよく見かけることだけど、フレンズにも同じことが起こるようだ。


「こういうときに一人で抱え込んでしまうとなおさら悪化するだろうし、誰かに相談する、ってのは賢明な判断だと思うね。飼育員さんに話したりはしたの?」

「実はまだ……。飼育員さん、私が合格したときにめちゃくちゃ喜んでたし、実は大学でなんにもできてないの、なんて言ったらがっかりさせちゃいそうで怖くて……」


 こういうメンタル面でのフォローをしたり、気軽に相談できるような信頼関係を築いたりすることはフレンズ担当飼育員の大事な仕事ではないか? と思うが、飼育員だって心を見通すテレパシーの使い手ではないから仕方がない。

 ヒトに例えるなら、親子関係みたいなものだろうか。僕が学生だったころも、親に悩みを打ち明けるのは億劫だった気がする。確かに、あんまり面識のない大人の方が気軽に話せるときもある。


「僕はカウンセラーじゃないから、あなたの悩みをうまく解決することはきっとできない。模範解答を言うなら、ちゃんと専門家のところに行くべき、かな」


 僕の言葉を受け、シュンとした表情(と耳)を見せるオコジョ。


「そうですか……」

「でもね、僕なりに、あなたの力にはなりたい。そうね……。このあとって暇?」

「えっ?まあ、暇ですよ。今日は午後休です」

「よし、そうと決まれば気分転換といきましょう」



 昼食を終え、僕とオコジョはキャンパス内を歩く。陽光と風が心地よくて、散歩にうってつけの天気だ。


「どこに向かっているんです?」

「えーとね、僕の研究室」

「研究室……」

「そう。さっき、何のために勉強しているんだろうって言っていたでしょう。あなたが勉強してきたことや、いま授業でやっていることが、どんなふうに役立つのかを実際に見れば、少しは参考になるんじゃないかなと思ってね」


 無気力を治そうとする手法としては、根性論みたいで多少強引かもしれない。しかし、気は持ちようだ。僕にできることはこれくらいだし、とりあえず見るだけ見てもらおう。


「確かに、研究室でどんなことをしてるかって、あんまりイメージ湧かないです」

「そのイメージをつかむだけでもいいよ。さて、この建物がサン情のナワバリ。いろんな研究室が入っていて、あれこれ面白い研究をしてる。授業だけじゃ伝えきれないぶんも見せてあげるよ」



 エレベーターに乗って上階へ行き、廊下を突っ切ると見えてくる「サンドスターシステム工学研究室」いう看板。扉を開けると、研究室のメンバーたちの机があって、ちょっと横を除くとコードやら基盤やらがごちゃごちゃと乱雑に……、ではなく複雑に置かれた作業スペースが見える。

 

「ここがうちの研究室。サンドスターの計測機器の研究とかをしているんだ」

「なんだかすごいですね。思ってたよりもごついわね……」

「確かに、他の研究室よりも、ハードウェアに関することばかりやっているからね。ちょっとこっち来てみて」


 作業スペースのほうに移動して、オコジョに手招きをする。


「これはなんです?」

「こっちは、いま一番力を入れている動物やフレンズの個体識別システム作成。新しいフレンズが生まれたときの判別とか、普段の健康管理に使えそうだから、この辺はあなたの生活にも関わってくるかもね」

「なるほど。サファリエリアとかでも役に立ちそうですね」

「ご名答―」


 横から研究室に所属している学生が声をかけてきた。


「そちらのかたは見学?」

「そう、一年のオコジョさん。僕たちが普段どういう研究をしているのかを伝えている真っ最中」

「お邪魔してます」

「いえいえー。わたしはヨーロッパビーバー。ここで先生たちと実験したりしてるんだ」


 彼女が研究しているのは、複数の人工知能群による無線ネットワークの構築の最適化。いま説明していた個体識別システムを実装する上でも重要な分野だ。

 研究内容のおおよその要約を聞いて、ふむふむと頷いているオコジョ。午前中の授業でぼんやりしていた彼女とは別人のようだ。


「わたしのほかにも、フレンズがいるから、話を聞いてみればいいと思うよー」

「ありがとうございます!」


「私と同じフレンズの中にも、勉強して、その中身を活かしてすごいことをしてる子がいるのね……」

「刺激になるでしょう。ビーバーさんも言っていたし、他の研究室でも話を聞きに行きますか」



 サン情にはいくつもの研究室があるが、互いの研究分野が密接に関わることも多いため、交流が盛んだ。だから、アポ無しで行っても割と親切に対応してくれる(もちろんアポはとったほうがいいけれど)。

 例えば、サンドスターの物性や構造からサンドスターの情報伝達の仕組みを解明しようとしている研究室。

 活気や絆、記憶などの、サンドスターが反応する「輝き」の定量的な測定をテーマにしている研究室。

 ある研究室では遺伝子組み換え技術への応用を狙っていたり、別のところではコンピュータの素子に組み込もうとしていたり。

 まだまだ未解明な部分も多いサンドスターという物質を調査し、利用する。ロマンに溢れた研究をしていると感じるのは僕だけではないはずだ。

 実際、隣を歩くオコジョは目をキラキラと輝かせていて、昼休みに見せていた憂鬱そうな表情は消えていた。

 


「どうだった?いきなり研究室を見学するぞってことになったけど、あちこち見た感想は」

「正直、今の自分じゃ理解できないことばかりだったし、将来のことを考えたらどうするべきか、みたいなことは想像がつかないです。でもそれ以上に、いま勉強していることがちゃんと繋がってるんだとか、研究ってなんだかワクワクするものなんだ、って思いました」

「そう感じてもらえて嬉しいよ。もちろん大変なときだってあるけど、あなたの言うとおりワクワクが詰まっているからね」



 気力を取り戻したオコジョが帰ったあと、彼女は来週の講義を聞いてくれるかな、と思いを馳せる。きっと大丈夫だろう。

 さて、僕も自分の研究の準備を進めるとしよう。

 僕はジャパリパークやサンドスターにロマンを感じて研究を続ける科学者のひとり。

 そして、そんな研究の面白さを未来の科学者に伝えるために働く、大学教員のひとりだ。










「オコジョさーん、そこの資料とってもらえない?授業で使うんだ」

「これですね?」

「それそれ。ありがとう。それから、今日の午後に研究室を見学したいっていう学生が何人か来るから、ちょっと研究内容の紹介とかしてほしいんだ。お願いしてもいい?」

「わかりました! ……なんだか昔の私を思い出しますね」

「何のために勉強してるんだっつーの、ってね、懐かしい」

「やめてください?先生」

「すみません、怒らないで」

「まあいいです。でも、想像していたのとはちょっと違いますけど、私は私の人生いいものだと思ってますからね。昔の私に言ってやるわ、未来の私はサンドスター研究者のオコジョよ! ってね」

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五月、あるジャパ大生の憂鬱 丁_スエキチ @Daikichi3141

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