花嫁

尾八原ジュージ

高原ホテル跡地

「長尾、高原ホテル跡地の地下に行ったことあるか? あそこに凄いのがいるぞ」

 森さんがそう言ったので、俺はある夜、原付に乗って高原ホテル跡地に向かった。


 森さんと俺は、今や絶滅危惧種となった喫煙室仲間だ。俺たちが通う大学の片隅に、未だに残されている透明なブースは、残り少ない喫煙者である教授や学生たちに、思いがけない出会いを生むことがある。

 森さんは俺と同学年だが、年齢は7歳上らしい。どこかの美大を中退して、何とかいう劇団でしばらく活動した後、今の大学に入り直したという変わり種で、金持ちのボンボンだともっぱらの噂である。

 俺は喫煙所でたまたま、火種を切らした森さんと出くわし、話すうちに互いのホラー好きが判明して仲良くなった。彼はたまに、俺をビビらせようと様々な情報を提供してくれるが、それは親切のつもりらしかった。

「高原ホテルのはなー、スゲーぞぉ」

 その話をしている間、森さんはずっとニヤニヤ笑っていた。

「もし怖くなかったら、青々軒のチャーシューメンおごってくださいよ」

「おー、何杯でもおごってくれるわ」

 そういう話なので、俺は単身、高原ホテル跡地に向かうことにした。


 高原ホテルは山に少し入ったところにある、地上3階建て・地下1階建ての洋館である。

 小さなチャペルやパーティー会場も備えていたが、どうやら経営は芳しくなかったようだ。10年以上前に廃業して以来、取り壊されることもなくそのままになっている。不気味な外観のせいか、「白い女の霊が出る」とか、「地下に行ったやつが行方不明になった」とか、ありがちな噂がささやかれていた。

 初めて訪れた高原ホテルは、敷地を高い木々に囲まれ、かつては美しかったであろう庭には、雑草が生え放題に生えている。新緑の季節ということもあって、むせかえるような緑の臭いが充満していた。

「暗いなぁ」

 当たり前のことをぼやきつつ、俺は壊れたドアの隙間から侵入した。

 入ったところはホテルのロビーだった。懐中電灯で辺りを照らしてみると、さながら洋モノのホラーゲームの世界に紛れ込んだような光景が広がっていた。

 壊れたテーブルや椅子が端に寄せられて山を作り、装飾のついた大きな窓には破れたカーテンが垂れさがっている。ホテルマンのいないフロントには、白いペンキで下品な落書きがされていた。足元の絨毯は、もはや絨毯かどうかすらわからないほどボロボロだ。

 ロビーの中央には、ミュージカルスターが歌いながら降りてきそうな、上階に続く幅の広い階段があった。しかし俺はそれを無視して、右側の壁にひっそりと付けられた鉄製の扉を開けた。森さんに聞いていた通り、そこが地下への階段だった。

(幽霊よりも、うっかり足を滑らせる方が怖いな)

 俺は懐中電灯で行く手を照らしながら、慎重に階段を降り始めた。階段は途中で踊り場を挟んで、直角に曲がっている。無事に下に降りた俺は、怪我をしなかったことに安堵しながら、懐中電灯で前方を照らした。

「いっ」

 変な声が喉の奥から出た。灯りの輪の中に、首のない作業着の人影が立っていたのだ。

 驚きと恐怖で体が固まる。しかし俺は光の輪の中に、見慣れたものを見出していた。

 金縛りが解けていく。作業着の胸元に、「富士山」と書かれたでかいワッペンが貼られていた。古臭いデザインのワッペン。そして作業服の薄汚れたカーキ色。

 これは以前、森さんが着ていた長袖のツナギではないか。

 近くに寄ってまじまじと眺める。そうだった。学祭の準備期間、森さんはいつもこのツナギを着ていたじゃないか。触ってみると、中に何か詰め物が入っているようだ。

 これは森さんが作ったオブジェだ。ツナギの中に詰め物をし、こうして暗いところに立たせておけば、一瞬首のない男が立っているように見える。長身の彼が着ていたものだから、その大きさにも迫力があった。どうやって作ったものか知らないが、さすがは元美大生である。

「はははは、こりゃすげーや」

 俺はオブジェの周りをぐるぐる回りながら、色んなアングルの写真を撮った。おそらく森さんは、俺を驚かせようと企んだのだろう。それにしても手が込んでいる。こんな辺鄙なところにわざわざ、手のこんだものを設置しておくとは……本当にわけのわからない男だ。

 最後に階段の下から、廊下に佇むツナギを引きのアングルで撮ると、俺は早々にホテル跡地を立ち去った。早く森さんの鼻を明かしてやりたかった。

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