第71話徳川家基5

「角太郎、腹が痛いのなら無理をする事はないのだぞ」


「大丈夫でございます、大納言様」


 やれ、やれ、口舌の徒はここまで来てまだ口先を働かせる。

 西ノ丸様は権大納言であって大納言ではないのだ。

 それを大納言様と持ち上げて、少しでも自分に有利な場所にしようとする。

 まあ、よかろう、もう二度と会わない相手だ。

 ここまで次期将軍家の近習に喧嘩を売ったのだ、江戸から逃げねばならぬからな。


 角太郎も西ノ丸様が本気で心配してくださっているので、覚悟ができたのだろう。

 ここで逃げ出せば、西ノ丸様の面目迄潰れてしまうからな。

 だが、このままでは、西ノ丸様の心を壊してしまうかもしれない。

 力太郎が角太郎の額を割るようなことになれば、脳漿が飛び散り、見るも無残な惨劇が御前に繰り広げられてしまう。

 辺り一面に血臭が漂い、慣れない者なら嘔吐するのは必定だ。


「恐れながら申し上げます。

 もし力太郎が角太郎殿の額を割るようなことになれば、辺り一面に脳漿が飛び散り、血臭広がる地獄絵図となります。

 我が力太郎と代わって立ち合えば、今迄の立ち合いと同じように、得物を打ち落とすだけですみます。

 代わって立ち合うわけにはいきませぬか」


「どうする、代わるか、角太郎」


 ああ、駄目だ。

 これでは角太郎も、武士の意地で代わらせて欲しいとは言えない。

 ここで西ノ丸様が無理矢理代えさせてくださることに期待したのだが、まだ年少の西ノ丸様にそこまで求めるのは無理であったか。


「大丈夫でございます。

 わたしも武士でございます。

 このまま試合をさせていただきます」


 いよいよ立ち合いになったが、あっさりと勝負がついた。

 我が額を割ると脳漿が飛び散ると言ったのが、角太郎の胸深くにあったのだろう。

 力太郎が構えた途端、頭を守ろうと木刀を掲げた。

 だが力太郎は、我の言葉を聞いて、頭を狙ってはいけないと思ってくれたようだ。

 頭を避けて、肩に向かって思いっきり八尺棒を振り下ろした。


 生半可な力で力太郎の剛力に対抗できるはずもなく、角太郎が防ごうと構えた木刀はへし折られ、そのまま八尺棒は角太郎の肩を痛打し、骨を砕き肉を裂き深々と角太郎の胸のあたりまでめり込んでいた。

 これが頭だったら、予想通りの見るも無残な事になっていただろう。

 肉が裂けた所からは血が吹き出てはいるが、まだましな状態だ。


「角太郎殿」

「医師だ、急いで医師を呼べ」


 ああ、それでも刺激が強すぎたようだ。

 西ノ丸様が真っ青になっておられる。

 粗相をされておられなければいいのだが。

 いや、東照神君の三方ヶ原の故事がある。

 粗相をしていたとしても、言い訳はできるだろう。

 問題は我らが無事に御城から下がることができるかだな。

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