姉妹遭難

第12話姉妹遭難1

「旦那、藤七郎の旦那。

 今日は浅草辺りを冷やかしに行きませんか」


 夜がまだ白々と明け始めた頃、裏長屋の隣に住む伊之助が声をかけてきた。

 いつもは昼前まで眠っている怠け者の伊之助が、今日はまた随分早く眼を覚ましたものだと感心していると、おいよさんがまぜっかえす。


「なに言ってんだい、伊之の馬鹿は。

 どうせ博打で勝った金で、白粉臭いのでも買いに行くんだろう。

 藤七郎の旦那はそんな悪い遊びはしないんだよ。

 行きたけりゃあ、自分ひとりで行ってきな」


 伊之助がきまり悪げにしている。

 どうやら、おいよさんの言う通りらしい。

 我も女が嫌いなわけではないが、人の金で遊ぼうとは思わん。

 それに、色町にいる女は、事情を抱えた哀しい女が多い。

 そんな女を金で抱くのは本意ではない。


「そうだな。

 そういう事なら遠慮しておこう。

 せっかく博打で勝ったのだから、伊之助は好きに遊んでくればいい。

 伊之助は独り者なのだから、誰に遠慮することもあるまい」


「ちぇっえ、ああいう所は独りで行ってもそんなに面白い所じゃないんですよ。

 仲間と行って、どんちゃん騒ぎするから面白いんですよ」


「だったら俺が一緒に行ってやろうか」


 野菜を売り歩いている熊吉が、好きそうな顔で加わってくるが、伊之助は面白くなさそうな顔をしている。


「馬鹿な事を言うんじゃない。

 藤七郎の旦那と一緒に行くから、普段より情の深い遊びができるんじゃないか。

 熊吉と行っても、さっさと搾り取られるだけだよ」


「こいつう。

 百人斬りの話でうまい汁を吸うつもりだったね。

 本当に、伊之奴は油断も隙もないね。

 騙されちゃいけませんよ、藤七郎の旦那」


 思わず吹き出してしまいそうになってしまった。

 我が、名古屋天根一検校を手討ちにしてからすでにひと月、浅薄で向こう見ずで喧嘩っ早い江戸っ子は、もう全て忘れている。

 それよりは心中話の方に興味を引かれているであろう。


「藤七郎の旦那。

 そんな馬鹿の相手なんかせずに、ご飯を食べてくださいよ。

 旦那が昨日、長屋のみんなのために獲って来てくれた、鱸を洗いにしたんですよ」


「わぁああああい。

 すずきだ、すずき。

 母ちゃん早く食べさせておくれよ」


「馬鹿言ってんじゃないよ。

 食べるのは、取って来てくださった藤七郎の旦那が一番だよ」


 料理上手のおいよさんが、三尺を超える大物を見事にさばいてくれている。

 夏が近づいているので、鱸も徐々に脂が乗って美味しくなってる。

 もっとも江戸っ子は、脂が乗った夏の鱸よりも、冬のさっぱりした鱸が好きなようだ。


 昨日のうちに用意してくれたのだろう、細切りした鱸の身に蓼酢と芥子が添えてあるが、炊き立ての熱々のご飯にかけて食べたら最高に美味そうだ。

 


 

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