第11話座頭金11

「旦那、藤七郎の旦那。

 起きていなさいますか」


「ああ、起きているぞ、伊之助。

 珍しく早いな」


 夜が白々と明け始めたとろこだと言うのに、普段は朝寝坊な伊之助が声をかける。


「いいですか、斬らないでくださいよ。

 戸を開けた途端にばっさりなんて嫌ですよ」


「馬鹿な事を言っていないで入ってこい。

 もう戸は開けたぞ」


「えへへへへ。

 それで、昨日の幕閣の方というのはどなたなんです。

 話てのは、なんだったんです」


 江戸っ子というのは物見高い。

 伊之助だけでなく、朝の支度をしているおかみさん連中、興味津々で聞き耳をたてているが、我の事を気にしてくれているのもある。

 そう思うと、なんだか心が温かくなる。

 それに、秘密にするような事でもない。


「それは御老中の田沼様であった。

 我を剣術指南役として召し抱えてくださるという話であった」


「なんだってぇえ。

 旦那はこの長屋から出ていくって言うんですかい。

 駄目だ、駄目だ、駄目だ。

 旦那にはこの長屋にいてもらわなきゃいけねぇえ」


「なに言ってんだい、猪之。

 ようやく藤七郎の旦那が仕官できるというのに、邪魔するような事を、口にするんじゃないよ。

 もう一度そんな口を利いたら、上唇と下唇を縫っちまうよ」


 伊之助が口角から唾を飛ばさんばかりにわめきたて、我に長屋に残るように言ってくれる。

 それを、おいよさんが厳しく叱ってくれる。

 長年の裏長屋暮らしで、仕官ができない浪人の悲哀を見てきたのだろう。

 涙を流して喜んでくれている。

 なんだか正直に話し難くなってしまう。


「心配するな伊之助。

 我は剣客を目指しているのだ。

 堅苦しいお城勤めは遠慮して、通いで剣術を教えることにしていただいた。

 だからこの長屋からはでていかん」


「ふぇええええええ。

 旦那はごうたんだねぇえ。

 あの田沼様の誘いを断られたのですかい」


「なんてもったいないことをするですか。

 せっかくの機会じゃありませんか」


 伊之助とおいよさんが全く正反対の反応をしてくれる。

 だが、どちらも我の事を想ってくれての事だ。

 嬉しさで胸が一杯になる。

 だが、おいよさんの誤解だけは解いておいたほうがいい。


「心配するな、おいよさん。

 我はちゃんと仕官しておる。

 三十俵扶持の剣術指南役として、田沼屋敷に四日に一度通うことになっている」


「そりゃあいい。

 それでこそ藤七郎の旦那だ。

 あの田沼様に条件をつけるなんて、てぇしたもんだ」


「脅かさないでくださいよ、藤七郎の旦那。

 せっかくの仕官話を断られたのかと思っちまいましたよ」


 長屋中の人間が、口々に祝いの言葉を述べてくれる。

 我の判断は間違いではないのだな。




 

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