10. 花の都はのどかな場所です

 花の都カスピヴァーラは、クラッセンコルト公国の公都だ。馬車が行き来する大通りはもちろん、いたるところに花壇や鉢植えが置いてあり、花があふれている。

 同じ高さのとんがり屋根は、赤や青、オレンジといったカラフルな色に彩られており、白地に青い屋根で統一されていたユールスール帝国とは雰囲気が違う。赤レンガの壁には緑の蔦が這い、背景の一部になっていた。

 背中に羽を生やした、うり二つの顔の少女と少年が手を取り合う像が、噴水広場のシンボルとして中央に置かれている。


(双子の創世神が誕生した聖地であり、不可侵の国……なのよね)


 これまでの歴史の中で、クラッセンコルトが戦地となったことはない。聖地を火の海にすることは禁忌とされ、それゆえ、貴重な遺跡なども現存しているという。

 出窓に置かれた紫の花の鉢植えから、鈴なりに咲く白い花が植えられた花壇に目を移す。左右どこを見ても花が視界に映った。

 白と黄色の花冠をした花売りの少女が、花を詰めたカゴから数本の花を男の子に渡している。代金をそばにいた母親が払う。親子は手を取り合って去っていった。


(争いとは無縁の国だからからか、皆の顔が穏やかだわ)


 ユールスール帝国は隣国のシルキア大国という脅威に怯えつつも、帝国の威厳を保とうと努力していた。貴族街で談笑する貴族たちは庶民を見下し、庶民は貴族の顔色を窺う。それが今までの当たり前の景色だった。

 だが、クラッセンコルトは違う。安物の洋服を着た少女が石で体勢を崩すと、貴族の青年がすかさず腕を回して体を支える。少女が感謝の言葉を伝えると、身なりのいい紳士はにこやかに笑顔を返すだけだった。お礼を迫る様子もない。

 文化の違いに驚きつつも、セラフィーナは前を歩くラウラとの距離が開いていたことに気づき、早足で追いかける。

 空まで突き抜けそうな尖塔を抱えた大聖堂の前を通り過ぎ、どんどん突き進む。周りの景色が暗くなったと思って見上げると、さっきまで歩いていた地上の道が上に見えた。低い地面は地下水のにおいが近く、建物も古いものばかりになっていた。

 どこまで行くのかと危ぶんでいたら、ラウラがふと立ち止まる。セラフィーナも足を止め、彼女の視線の先を追った。

 寂れた灰色の壁に木製の扉がある。窓はカーテンで閉め切られており、中の様子は見えない。


「あの……ラウラ先輩、ここは一体……」

「話は中でしましょう」


 ラウラがノックを六回すると、中からドアが開く。思っていたより建て付けは悪くないらしく、スムーズに開閉した。

 中で待っていたのは若い男だった。クラッセンコルト公国では珍しくない赤銅色の髪はふわふわと波打ち、穏やかな笑みを浮かべている。紺碧の瞳がラウラに向く。


「やあ、ラウラ。待っていたよ」

「アルト、邪魔するわね」


 先に入るようにセラフィーナの背中を押し、ラウラがドアを閉める。


「……そっちが例の子かい?」

「ええ、そうよ。セラフィーナ、こいつはアルト。えーと、そうね……昔なじみってやつかしら」

「ひどいな。恋人候補と言ってほしいね」


 アルトが悲しげにため息をこぼすと、隣にいたラウラがアルトの胸ぐらをつかんでいた。いつもの温和な雰囲気とは違って、剣呑な雰囲気が漂う。


「誰が、いつ、恋人候補になったのかしら?」

「く、苦しいよ……」

「あんたが変なことを言うからでしょ」


 パッと手を離し、ラウラがセラフィーナを手招きして、中の部屋に案内する。部屋の中央には丸テーブルと椅子が二脚、壁際には背の低いタンスがあった。タンスの上には、細長いパンが入ったバスケットが置かれている。


(想像していたより、物が少ない……。ここは生活拠点ではないのかしら)


 家主のアルトが遅れてやってきて、ぶつぶつとつぶやいていた。


「……そろそろ友人から昇格してもいい頃合いだと思うだけどな。まぁ、この話は今度でいいか」


 セラフィーナの視線に気づいたのか、アルトが顔を上げる。ラウラと親しい様子からも年上だと思うが、童顔のせいか、男なのに可愛らしく見える。愛嬌のある顔つきだ。


「初めまして、僕はアルト・オークランス。ラウラとは浅からぬ縁があってね、今は友人だけど、そのうち恋人になる予定さ」

「そんな予定はないわよ」


 すかさずラウラの訂正が入ったが、アルトは気に留めず、笑顔を崩さない。

 セラフィーナは二人の関係に言及するのはやめたほうがいいと判断し、頭を下げた。


「……セラフィーナと申します。下級女官です。ラウラ先輩には先週から面倒を見てもらっています」

「僕は近衛騎士なんだ。普段はレクアル殿下のそばにいる。宮殿でも見かけることがあるかもしれないけど、よろしくね」

「よろしくお願いいたします」


 挨拶を返すと、アルトが感慨深げに顎をさする。


「しかし、そっか。新入りかぁ。懐かしいな。ラウラも数年前はこんなに初々しいときがあったんだよなぁ」

「ちょっと。うちの可愛い後輩に変なちょっかいしないでくれる?」


 距離が近づいていたところをラウラが割って入り、アルトを牽制する。アルトは両手を挙げてへらへらと笑った。

 反応に困っていると、ラウラが空いていた椅子にセラフィーナを座らせた。


「……あの。ところで、ここはどういった場所なんでしょうか?」

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