9. 覚悟を決めました

 窓を拭き、窓の桟にたまった塵を掃く。大きな宮殿なので、人の出入りは多い。邪魔にならないよう、時間内に掃除を終わらせなければならない。

 自分に割り当てられた場所をせっせと掃除する。

 頭は悩みでいっぱいだったが、手は思考とは別に動く。それだけが救いだった。


「――三回目だね」


 後ろから男の声がして、掃除をしていた手が止まった。ついでに数秒、息も止まった。


(び、びっくりした……)


 なんとか息を吹き返して振り返ると、栗色の髪をした狐目がこちらをまっすぐと見ていた。


「あ、あなたは……」

「セラフィーナさんだったかな。おはよう」

「お……おはようございます。コントゥラ事務次官」

「ローラントでいいよ」


 緑の服を着込んだローラントは両手を後ろで組み、窓際に近づく。彼の視線の先を追うと、二階まで枝を伸ばした大木に小鳥が二羽、寄り添うように並んでいた。


「それで? そんなにため息をついて、何か悩み事かい?」

「…………」


 どうやら、無意識にため息をついていたらしい。

 ラウラに打ち明けるか、もし打ち明けるとしたらどこまで話すか、まだ決めかねている。

 悩むセラフィーナに、ローラントの低い声が優しく諭す。


「一人で考えても答えが出ないときは、他人に頼るのも一つの手だよ。ラウラに相談するといい。彼女はああ見えて世話好きだ」

「……ローラント様」


 金茶の瞳はラウラと同じ色だ。最初は似ても似つかないと思っていたが、まとう雰囲気が少し似ている。 


「おっと。世間話もここまでだ。私は会議があるので、これで失礼するよ」

「あ、はい。ありがとうございました」


 ローラントは一度も振り返ることなく、廊下の角を曲がっていった。


(他人に……頼る……)


 先ほど言われたことを反芻し、セラフィーナは持っていた雑巾を握りしめる。

 考えるだけでは何も解決しない。

 せっかく解決の道筋が見えたのだ。怖がってばかりいないで、前に進まなければ。


   ◇◆◇


 夕飯を食べた後、セラフィーナは自室の真向かいの部屋の前にいた。

 かすかに話し声がするので、部屋の中にいるのは間違いないだろう。すーはーと深呼吸をしてからドアをノックする。


「はーい。どうぞー」


 間延びした声に驚きつつもドアを開けると、右側のベッドにヘレーネが、左側のベッドにラウラが座っていた。


「いらっしゃい」

「あ、お邪魔します……」


 ヘレーネは眼鏡のレンズを押し上げて見てきたので、軽く会釈を返す。そして何もかも見透かしたようにスッと立ち上がり、ラウラに視線を合わす。


「私はちょっと席を外すね」

「悪いわね」

「いいのいいの。大事な後輩でしょ? しっかり面倒見てあげて」


 セラフィーナと入れ替わるようにしてヘレーネが去っていく。ドアが静かに閉まり、部屋に取り残されたのはセラフィーナとラウラのみになった。


「ここに来たってことは、話す覚悟が決まったってことかしら?」

「……はい」


 ラウラが目で続きを促す。セラフィーナは片手を胸の前に置いて、切実な思いをぶちまけた。


「ラウラ先輩。わたくしに魔法を教えていただけませんか?」

「……理由を聞いてもいい?」

「わたくしは、これから起こること……未来を知っています。三年以内にわたくしは魔女として裁かれます。ですから、その前に魔法を身に付けておきたい。そうすれば逃げることも、戦うこともできます。このまま何もせずに死ぬのだけは嫌なのです」


 魔女であることを隠している彼女を説得するには、本音で訴えるしかないと思った。


(ラウラ先輩はわたくしが話すのを待ってくれていた。少なくとも聞く気はあるということ。それなら誠意を見せるしかない)


 こちらが本気だと伝わらなければ意味がない。

 もし嘘を混ぜ込んだら、きっとラウラは首を縦に振らないだろう。

 長い沈黙を破ったのは澄んだ声だった。


「…………その未来は、どこで知ったの?」

「詳しくは言えませんが、でも必ず起こることなのです。それだけはハッキリしています」

「三年以内……ね。やけに具体的な数字ね」


 自分だけがループしているなんて、荒唐無稽な話だ。けれど、ループの理由もわからないまま、これ以上混乱させるような話はできない。

 セラフィーナは握りしめていた拳から力を抜き、すがるような視線を向けた。


「やはり、信じられませんか?」

「……そうね。いきなり信じろっていうほうが無理な話ね。だけど、あなたの目は、まるでその未来を見てきたかのような鬼気迫る眼差しだった。それを踏まえると、空想の話を言っているようには思えないのよね」

「で、では……信じてくれるのですか?」


 期待が押し寄せる。最後の希望の光が灯ったような感覚に襲われた。

 ラウラは肩をすくめて、困ったように笑った。


「まぁ、半分くらいは信じましょう。あなたがそう言ってきたのは、私が魔力量を教えたからでしょうし。でも、ひとつだけ。約束をして」


 表情を消して真面目な顔になったラウラの変わりように、背筋がピンと伸びる。


「……なんでしょうか」

「前にも言ったけど、あなたの魔力量は規格外なの。だから、失敗すれば何が起こるかわからない。練習は必ず私がいるときだけよ。一人での練習は絶対だめ。どう、守れる?」

「も、もちろんです。一人では練習しません! 約束します!」


 こくこくと必死に頷くと、ふふ、と楽しげな声が続いた。


「その答えを聞けたら充分だわ。そうね、練習は明後日からにしましょうか。ちょうどお休みだし」

「ありがとうございます……!」


 ひとまずはこれで安心だ。

 まだ楽観はできないが、彼女との出会いには意味があると思う。決められた未来を崩す一手はきっとある。諦める必要なんてない。

 三年後、笑って明日を迎えられるように。

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