7. 魔力量が異常らしいです

 文官の棟は緑の服を着た人たちが忙しそうに行き来し、その人混みを縫うように歩く必要があった。ラウラは手慣れたものらしく、無言で目の前の障害を時に屈み、時に乗りこえ、歩みを止めることはしない。

 セラフィーナは壁に背を預けて衝突を回避しつつ、ラウラの後を追った。


「ここよ」


 廊下の奥にある部屋の前で立ち止まったかと思えば、居住まいを正す。そして、胸に手を当てて呼吸を落ち着けてからノックをした。


(中にいるのは、気難しい人なのかしら……?)


 入りなさい、というよく通る声が返ってきて、ラウラがドアを開ける。

 その後ろについておずおずと入室すると、神経質そうな男と一瞬目が合う。ひげを綺麗に剃った細い顔に、こちらの様子を窺う狐目。

 一つの油断が命取りとなりそうな気迫に、セラフィーナはつばを飲み込んだ。


「いらっしゃい、ラウラ。お茶でも飲んでいくかい?」


 先ほどまでの緊迫した空気が雲散霧消し、目尻を和らげて朗らかに笑う顔がそこにあった。豹変ぶりに目を瞬かせていると、ラウラがにべもなく断る。


「結構よ。今日は荷物を届けに来ただけだから」


 ラウラはそう言うと、セラフィーナが持っていた巻物を取り上げ、広い机の上に並べていく。


「あ、あの……?」


 二人の関係性がわからず、おろおろとしていると、ラウラが今気づいたように視線を向ける。長い前髪を横に払いのけ、冷めた目でこの部屋の主を見やる。


「紹介がまだだったわね。彼はローラント・コントゥラ。事務次官よ。私の父の兄、つまり……」

「どうも、ラウラの伯父です。よろしくね」


 愛想のよい笑顔を向けられ、セラフィーナはどぎまぎしながらも頭を下げる。


「……は、はい。よろしくお願いいたします。セラフィーナと申します」

「姪離れができていない人だけど、仕事は正確だから。もし困ったことがあったら遠慮なく頼るといいわ」

「うんうん、ラウラが面倒見る子なら娘も同然だからね。及ばずながら力を貸すよ」

「え……はい。ありがとうございます」


 ローラントに穏やかに手を振られながら、ラウラとともに退室する。ドアがしっかり閉まってから、ラウラが疲れたように肩を落とした。


「ふー。今日はセラフィーナのおかげで、捕まらずに済んだわ」

「……えっと?」

「伯父は独身でね、昔から私を可愛がってくれたんだけど……いまだに私を子ども扱いして甘やかすのよ。それで部屋に行ったら、毎度珍しいお茶やらお菓子やらで足止めされるの」

「ラウラ先輩も大変なんですね……」

「断ろうとすると、しょぼくれた犬みたいに凹むし、邪険にもできなくて……」


 ラウラは頭が痛いといったように、額に手を当てて渋面になる。

 けれど、すぐに表情を改め、再び歩き出す。セラフィーナはその背を追いかけた。


   ◇◆◇


 文官の棟の裏手に回って、一人がやっと通れるような細道を抜けると、白い建物の前に出てきた。五階建てだろうか。窓が等間隔に並び、その一つからカーテンが風で揺らめいている。厨房もあるのか、煙突も見える。


「さあ、入って」

 

 木製の扉を抜けた先は、きらびやかな宮殿と違い、最低限の調度品が整えられただけの空間が広がっていた。


「女子寮は男子禁制。一階は談話室とお風呂、炊事場。二階から上はそれぞれの部屋があるわ。食事や掃除は専門の部署があるから、ここは休む場所だと思えばいいわ」

「わかりました」

「担当部署によって起床時間が違うから、ご飯の時間はバラバラよ。お風呂の時間は上級女官が先なのは言わずもがな、下級女官は最後ね」


 談話室のテーブルにちょこんと飾られている生花や、廊下に吊り下げられたハーブを眺め、質素な中でも過ごしやすくなるように工夫されていることに気づく。

 ラウラは木製の階段を上り、二階の突き当たりで立ち止まる。セラフィーナを一瞥し、ドアを開ける。

 窓際には一組のベッド、その横には簡易机と椅子があった。カーテンは引かれたままで室内は薄暗い。


「ここがあなたの部屋よ。普通は相部屋だけど、今はここしか空いていないの。もともとは用具室だったから、少し狭いけど我慢してね」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 ラウラが中に入り、締め切ったままのカーテンを開け放つ。オレンジ色の光が差し込み、部屋を明るく照らした。

 白いシーツが敷かれたベッドにラウラが腰かけ、隣をぽんぽんと叩く。


(座れってことかしら……?)


 開け放したままのドアを閉め、ラウラの横に座る。


「あのね。ちょっと聞きたいことがあるのだけど……いい?」

「はい」


 ラウラの夕日に染まった横顔はどこか哀愁を帯び、何を言われるのだろうと身構える。彼女の唇が動く様子がスローモーションで見えた。


「あなた、自分がどのくらい魔力を持っているか、知っている?」


 それは予想していた言葉のどれとも違うもので、すぐに言葉が返せない。


(わたくしの……魔力は……)


 セラフィーナは以前、死ぬ前に調べたことを思い出す。島国で隠居生活をしていた高名な魔法使いを探し当てたときに言われた言葉は首を傾げるものだった。


「……昔、魔力はゼロだと言われたことがありますが……」

「ゼロ? ああでも、そうね。あなたの魔力は普通の人は感知できないでしょうね」

「あの、どういうことでしょうか」


 ラウラは納得した様子だが、セラフィーナの不安は加速していくばかりだ。

 魔力がゼロと言われて落胆していたが、もしかしたら、自分は何かを見落としていたのかもしれない。だとすれば、それは一体何か。


(ラウラ先輩は、その答えを知っている……?)


 期待と不安がない交ぜになる。答えを知るのが怖いと思う反面、早く知りたいと思う自分がいる。


「どういう理屈かわからないけど、あなたの魔力は二重に見えるもの。巧妙に隠されているといっていいわ」

「隠す……ラウラ先輩はそれがわかるんですか?」


 あの魔法使いですら、わからなかったというのに。

 しかし、ラウラの瞳に茶化す色はなく、真剣な眼差しが注がれる。


「ええ、そうよ。これは私とあなただけの秘密よ。……セラフィーナ、よく聞いて。あなたはその体に大魔女をはるかに凌ぐ魔力を秘めているわ」

「すみません。大魔女というのは……?」

「マルシカ王国の大魔女イリス。かの魔女でも魔力は70万程度。だけどセラフィーナは520万なの。どこにそんな魔力を貯めているのか、聞きたいくらいね」


 肩をすくめて言う様子を見ても、セラフィーナはすぐには信じられない。


「本当に私にそんな魔力があるんですか? 魔法はひとつも扱ったことはないんですが……」

「え、そうなの?」

「わたくしの国では魔法に頼る生活はしてこなかったので……」


 ユールスール帝国は魔法は前時代的なものとして、もっぱら文明の利器に頼る生活を送っていた。そもそも魔力を持つ子どもが生まれないから、使いようがなかったのだが。


「あーまぁ、最近は他国では魔女狩りなんて行われているくらいだしね。魔女になるリスクをわざわざ取る必要はないわね」


 自分の手のひらを見つめるが、今まで魔力を感じたことは一度もない。

 けれど、出会ったばかりの彼女がそんな嘘をつくメリットが思いつかない。ただの直感だが、先ほどの言葉は真実だと思う。そう思わせる迫力があった。


「ラウラ先輩は魔女……なんですか?」

「私はただの女官よ。と言いたいところだけど、魔法はある程度使えるわ。皆には内緒よ」


 人差し指を唇に押し当て、片目をつぶる。

 一方のセラフィーナは新たな事実に興奮が抑えきれない。


(魔法が使える……ってことはつまり、魔女じゃない! やっと会えた!)


 魔女の協力が得られれば、未来に怯える必要もなくなる。自分を害する者をこちらから探しだし、何のためにこんなことをしているのか問いただすことも夢ではなくなる。

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