ループ8回目ですが、わたくしは悪役令嬢であって魔女ではありません！

6. 初めての仕事

　母国では皇太子妃になるべく、昔からお妃教育に励んできた。

　つまり、書類整理は慣れたものだ。

　担当部署ごとに並べ替え、内容が重複しているものは日付順に、種別がわからないものはまとめて端に置いておく。一通りチェックが終わったところで、ラウラが戻ってきた。

「ただいまー。どう？　作業は順調？」

「はい。今終わったところです」

「え、はやっ！　もう終わったの？　あんなにたくさんあったのに……」

「判断に困ったものは端によけています。あとでご確認いただければ幸いです」

　ラウラが半信半疑といった様子で、仕分けした巻物を手に取って確認していく。間違いがないかをチェックされるのは少しドキドキした。

「うん。問題なさそうね。……でもびっくりしたわ、飲み込みが早いのね」

「いえ。まぁ、多少は慣れていましたので……」

「慣れる？」

　どうやら、ここに来るまでの素性はラウラには伝わっていないらしい。

　セラフィーナは目元を伏せ、指先を重ね合わせた。

「わたくしはユールスール帝国出身で、実家はアールベック侯爵家でした」

「え、お貴族様じゃない！」

「ディック皇太子から婚約破棄をされて領地追放となったところで、レクアル様に拾っていただきました。本当は第二妃に望まれたのですが、それは固辞して宮殿で働くことになったんです」

　ラウラは理解が追いつかないのか、額に手を当てて嘆息した。

「…………どこから突っ込んでいいのか、わからないのだけど。つまり、もともとは皇太子妃になる予定だったってこと？」

「そうなります」

「レクアル様の推薦だとは聞いていたけど、まさかそんな経歴のお嬢様だったとは……。本当に大丈夫？　ここは結構こき使われるわよ」

「覚悟の上です。実家からは勘当されていますし、わたくしは自分にできることをするのみです」

　ただの令嬢ならば、とてもついていけないだろう。

　しかし、セラフィーナはこのループ人生で庶民の生活を身に染みて知っている。稼げる金額は毎日を生き抜くのにギリギリで、水仕事で手が乾燥するのも慣れている。

　長いループ人生のせいで、半分は庶民みたいなものだ。今さら恐れるものなどない。

「ふーん。まぁ、訳ありの子が宮殿に集まるのも珍しくないしね。……そうそう、これ。あなたの仕事着よ。サイズは問題ないと思うけど、一応、着てみてくれる？」

　腕に持っていた布一式を両手で受け取る。

　テーブルに載せ、畳まれた服を広げてみた。長袖の黒のワンピースだ。上等の生地を使っているのか、使用人の服にしては触り心地がいい。

　清潔感のある純白の角襟には、ワンポイントに黒の刺繍糸で模様が縫われている。ワンピースの裾は足首まで覆うロングタイプだ。右の腰から垂らした長い腰帯は膝上まであり、色は灰色だ。帯の先端には蓮の花が描かれている。

「灰色が下級女官の色よ。上級女官は紅色。文官は緑色の官僚服。一般的な騎士は青地で、近衛隊は白地の制服ね」

「色でどこの所属かわかるようになっているんですね」

「まぁ、そういうこと」

　衝立の向こうで着替えを済ませて戻ると、ラウラが両手を合わせた。

「うん、いいじゃない！　よく似合っているわよ」

「思いのほか着心地がよくて、肌に馴染むのがわかります」

「そうでしょう、そうでしょう。宮殿で支給されるお仕着せは生地も上等のものを使用しているから、新人からも結構好評なのよ」

　得意げで言うラウラは机に置いていた巻物を腕に抱え、残りを持つように言う。両手に分けて持つと、ラウラが部屋を出るところだった。

「さあ、これを書庫に届けるついでに案内するわ」

「は、はい」

「大公宮殿は二つの宮殿があるんだけど、セラフィーナも見たでしょう？　大きな門」

「鉄の門ですね。装飾が見事でした」

　三つの鷲のオブジェがこっちを見下ろす、見上げるほど大きな門だった。

「でね、奥に大公ご家族が住む宮殿があって、その前には金の門がそびえ立っているのよ。通してもらえる女官は上級女官のみ。身体検査もあって、入るときも出るときも厳しくチェックされるらしいわ」

「でしたら……普段、レクアル様がいらっしゃるのは奥の宮殿ということですか？」

「んー……レクアル様は神出鬼没だからね。厨房に現れたり、下級女官部屋に差し入れを持ってきたり、予想がつかないのよね」

　その様子が容易に想像できてしまうあたり、なぜか悔しい気分になる。人の予想の上をいく行動で驚く様子を見て、楽しげにしている姿が目に浮かぶ。

「確か、レクアル様にはご兄弟がいらっしゃいましたよね……？」

「ああ。二人のお兄様ね。一人は歳が十も離れた次期大公クラヴィッツ様、もう一人は一つ違いのニコラス様。二人とも公務で忙しくされているから、私たちが会うことはまずないでしょうね」

「そうなんですか」

　相づちを打っていると、ラウラが立ち止まった。

　視線を横に転じると、白い観音開きの扉があった。その上には書庫と書かれたネームプレートが掲げられている。

　銀の取っ手をつかみ、ラウラが扉を開ける。瞬間、本の匂いが鼻をかすめた。

「あ、ヘレーネ」

　ぶ厚い本を読んでいた眼鏡の女性が顔を上げる。ゆるい三つ編みを前に垂らしている。スリットの入った緑の服の裾をさばき、こちらへやってくる。

「ラウラがここへ来るなんて珍しいわね。今日は何の用？」

「まずはこれを受け取って。上級女官から書庫に片付けておくように言われたの」

　ラウラはカウンターに巻物を置き、ふーっと一息つく。

「それで？　その子は新入り？」

　ヘレーネが眼鏡のレンズを人差し指で持ち上げ、セラフィーナに視線を向ける。

　値踏みするように見つめられ、とりあえず愛想笑いを浮かべてみる。しかし、逆効果だったようで、視線がさらに鋭くなる。

　蛇に睨まれた蛙のような心地で立ちすくむと、ラウラが後ろからセラフィーナの両肩を包み込む。

「セラフィーナっていうの。期待の新人よ」

「へえ？　あなたがそこまで言うなんて、訳ありの子？」

「元は貴族令嬢だったみたいだけど、結構肝が据わっていて意外とたくましいわよ」

「ああだから、こんなに顔が整っているのね。所作も美しいし、ドレスを着せても馴染みそうね」

「きょ、恐縮です……」

　それにしても、ヘレーネのプライベートスペースは狭いのだろうか。

　後ろ足で距離を取ろうとするたび、無言で一歩詰め寄られる。

（ど、どうして……？）

　頬が引きつりそうだ。その間も熱視線は止まらない。さすがに気まずくなってラウラにヘルプの念を送るが、苦笑いが返された。万事休す。

　と思っていたら、ヘレーネの細い指がセラフィーナの両手をつかんだ。

「ね、ねえ。あなた、この後時間ある？　フリフリの服を着てみたくない？　きっと似合うと思うの！」

「…………遠慮させていただきます」

「そ、そんな……」

　さっきまで爛々と輝いていた瞳から生気がなくなり、しおれた野菜のように肩を落としている。罪悪感がこみ上げてきたとき、ラウラが明るい声で言う。

「私たちは他にも行くところがあるから。またね」

「うん……わかった……」

　まだ打ちひしがれているのか、地を這うような声が返ってきた。だがラウラは頓着せず、そのまま書庫を後にした。