4. ループ時代のスキルを使う日が来ました

 途中の町で宿を取りながら、馬車での旅程は順調だった。

 時刻は昼すぎ。それは、最後の宿泊施設に荷物の運び込みを終えて、一息ついていたときだった。


「なんてこった……今の彼女の体温は?」


 一階の食堂スペースの真ん中で、派手な衣装に身を包んだ集団が集まっている。どの顔も沈鬱な面持ちで、不測の事態が起きたことは火を見るより明らかだ。

 部屋の準備が整うのを待っていたレクアルと視線を交わすが、無言で紅茶を飲むだけで何も言ってこない。

 関わる気がないのだろうと思うが、セラフィーナは他人事のようには思えない。


(だって、彼らを見てたら、旅一座にいた頃を思い出してしまうもの……)


 これまでの人生では、流れ着いた先でさまざまな職業に就いてきた。旅芸人の見習い踊り子をしたり、飲食店で働きながら情報収集したり、郵便工房で宅配の受付をしたり、パン屋に弟子入りなどもしてきた。

 頭にバンダナを巻いた女性が声を潜めて言う。


「39度を超えているわ。顔も真っ赤だし、とても舞台に出られる状況じゃないわね」

「代わりの役者は……」

「いると思って?」

「だよな……フリーの踊り子なんて、そうそう見つかるものじゃないしな」


 誰からともなくため息をつき、どんよりとした空気が立ちこめる。

 聞き耳を立てていたセラフィーナは静かに椅子を引き、顔を伏せた一行のそばまで来てから声をかけた。


「あのう。すみません」


 話しかけられるとは思っていなかったのだろう。若い男の肩がびくりと跳ね、油を差していないネジを回すような、ぎこちない動きで視線が合わさる。


「はい、何でしょう?」

「代理の踊り子をお探しなんですか?」


 前置きを飛ばして結論から言うと、男の横にいた筋肉質の男が愛想笑いを浮かべた。どっしりとした落ち着いた雰囲気で、この人が座長なのかもしれない。


「ああ、話が聞こえてしまいましたか。お恥ずかしい話です。踊り子が一人、熱でダウンしてしまって……」

「わたくしでよければ、力になりますが」


 これでも運動神経はいいほうだ。旅一座にいた頃だって、きつい練習にも耐えてきた。力不足は否めないが、ただ穴を開けるよりはいくらかマシのはずだ。

 セラフィーナの申し出に一同目を丸くしていたが、先に口を開いたのは座長の横にいた若い男だった。


「え、でもお客さん。劇団員ってわけでもなさそうだけど」

「以前、旅の一座に習ったことがあるんです。一度、私の演技を見ていただければ納得してもらえると思います」


 出番は少なかったが、踊り子として舞台に立った経験もある。

 新たな選択肢に、皆が顔を寄せ合って意見を交わす。


「どうするよ?」

「嘘を言っているようでもないし、ここは試してみる価値はあるんじゃない? 私たちに他の選択肢はないわけだし」

「そうだよな。じゃあ、これから来てもらえる?」


 座長の許可が出てホッとするも、セラフィーナは眉尻を下げた。


「その前に連れに伝言を残してきますので、少しだけお待ちいただけますか?」

「いいよ、行ってきな」


 レクアルの元に戻ると、彼はそっとティーカップをソーサーに置いた。


「あの、レクアル様。話の内容は聞こえていたかと思うのですが……少し抜けてきてもよろしいでしょうか?」

「今日はもう自由時間だ。好きにして構わない」

「ありがとうございます」


 セラフィーナは旅一座の天幕までついていき、早速テストを受けることになった。

 以前、師匠に言われた注意点を思い出しながら、手足を伸ばし、くるくると舞う。タンッと踏み込み、ひときわ大きくジャンプをして着地をすると、誰かの口笛が聞こえた。

 一通り演技を終えると、客席にいた女性がはしゃいだように手を叩く。


「すごいわ、この子。筋がいいし、指先まで演技が伝わってくる。夜の公演の代理に出ても問題ないわ!」

「驚いたぜ、嬢ちゃん。なんなら、このまま俺たちと一緒に旅をしないか?」

「……お気持ちは嬉しいですが、わたくしは行くところをもう決めていますので」

「残念だ。もっと練習すれば、技にも磨きがかかるだろうに」


 座長がもったいないとばかりに肩をすくめたが、セラフィーナは曖昧に笑うことしかできなかった。


   ◇◆◇


 舞台衣装を借りて、演技指導をみっちり受けて本番を迎えた後。お礼がしたいと引き留める声を振り切り、宿に戻ったらレクアルとエディが待ち構えていた。


「……ただいま戻りました」

「その様子だと、無事役目を果たせたようだな」

「はい。公演は成功です」


 ショールや短剣を使った舞踊は観客を魅了し、まずまずの評価を得たと思う。エディが無言で椅子を引き、レクアルが視線で座るように促すので、おとなしく着席する。


「だが正直なところ、驚いたぞ。こんな特技を隠していたとは」

「隠していたというか、見せる相手がいなかっただけです。侯爵令嬢には不要の才能ですから」

「そうか? 遠目で見ただけだが、なかなか様になっていた。案外、あれがお前の天職なのではないか?」

「ご冗談を。わたくしの天職はこれから見つける予定です」


 真面目に答えると、レクアルはまぶしいものを見るように鳶色の瞳を細めた。

 と、そこへエディがマグカップを持って戻ってきた。白い湯気がふわりと揺らめく。


「ココアです。急な代役、お疲れさまでした」

「……いただきます」


 甘いココアは疲れた体に染み渡り、無意識に力んでいた肩から力が抜けていく。両手で白い陶器を包み込み、ちびちびと飲む。


「夕飯がまだのようでしたら、軽食を頼んできますが」


 エディが心配そうに見つめてくるので、セラフィーナは慌てて手を振った。


「あ、天幕で軽く食べてきましたので大丈夫です。出番もそんなに多くなかったので、言うほど疲れてもいません」

「ですが、慣れない場所で気を張っていたのですから、今日は早めにお休みくださいね」

「そうだぞ。明日には公国に入れるとはいえ、ここでお前に体調を崩されるのは困るからな。無理せずに休め」


 常に成果を求められてきたアールベック侯爵家とは違う扱いに、戸惑いが隠せない。

 だけど、二人の気遣いに満ちた言葉に応えたくて、セラフィーナは自然と笑みをこぼした。

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