6話「アシュラム」






   6話「アシュラム」





 ガゼボのソファに座った少年は高級そうなローファーの革靴を履いた脚をパタパタ動かして、美味しそうに焼き菓子を食べていた。

 ガゼボの下にはソファが2つしかなかったので、少年は菊那と一緒に隣り合わせに座った。始めは緊張していたようだったが樹が準備した甘いミルクティーを飲むと安心したのか、少しずつ表情が和らいでいったのだった。


 3月の下旬にしては本当に温かい日であり、ガゼボには天井のガラスによって柔らかくなった日差しが差し込んで、とても心地よい空間になっていた。前回同様ひんやりとした空気は感じたが、それでも寒いとは言えない、とても過ごしやすい気温だった。



 「そう言えば、あなたの名前は何て言うの?」

 「紋芽(あやめ)と言います」

 「………紋芽くんって呼ばせてね」



 少年の名前を聞いて、菊那と樹は驚いてしまった。あやめと聞くとどうしても菖蒲の花を想像してしまう。菊那はちらりと彼の方へと視線を向ける。花の名前を羨ましがっている樹の方だ。すると、彼と目が合い、樹は苦い顔をして微笑んでいた。



 「また花の名前ですね……何の因果でしょうか……」と、小さな声で呟いていた。やはり樹も紋芽という名前を聞いて花を思いついたのだろう。2人は少年から漢字を聞いたりしながらお互いに自己紹介をしながら少しの間世間話をした。


 そして紋芽がお菓子を全て食べ終えた頃、樹が口を開いた。




 「紋芽さん、お話を聞かせてくれませんか?」



 その声は、チョコレートコスモスを返して欲しいと頼んだ時よりも比べ物にならないほど優しいがある口調だった。

 それを聞いて、紋芽も安心したのが、小さく息を吐くとゆっくりと話を始めた。





 「僕の母さんは昔から体が弱くて寝ている事が多かったんだ。疲れるとよく家でも横になっていた。それでも病院に行くほどじゃなかったんな。それなのに……最近入院したんだ。父さんが働いている病院だから、父さんも『すぐに治してみせるさ』って言ってたけど……なかなか帰ってこないんだ」




 紋芽が花をあげたい女性は確かに好きな女の人だった。けれど、それは小さい紋芽にとって誰よりも大切な家族だった。

 そして、彼の身なりや仕草が上品なのは紋芽が医者に息子だからだとわかった。きっと両親がしっかりとした人達なのだろう。口調も落ち着いており、まるで大人と話しているようだと菊那は思った。




 「そう。お母さんが………心配ね」

 「うん。……母さんはチョコレートが大好きだったんだ。けれど、今はチョコレートを買ってきても食べられないんだ。その時に学校の図書館でたまたまチョコレートの名前がついた茶色の花を見つけたんだ。もし母さんが目をさました時にチョコレート色の花があったら喜んでくれる。元気になってくれんじゃないか、そう思ったんです」

 「だから、チョコレートコスモスを探していたのね」

 「はい。チョコレートコスモスは5月に花咲くものだと書いてありました。近くの花屋さんにも売っている所はなくて。そこで、青燕ノ谷の噂話を思い付いたんです。花屋敷の庭には季節関係なく花が咲いている、という話を」

 「…………」




 その噂話を紋芽が話し始めると、菊那と樹は黙り混んでしまった。ちらりと向かいに座っている樹の顔を覗き見たけれど、彼はいつものように穏やかな表情で紋芽を見ているだけだった。菊那は樹がどんな思いでその噂話を聞いているのか、彼の気持ちが全くわからなかった。



 「そして、噂の花屋敷に来たらたまたま扉が空いていて、中を見たら探していた茶色い花を発見して。思わず取ってしまいました。………本当にごめんなさい。でも、どうしても、欲しかったんです」



 紋芽はそう言うと、膝の上に乗せていた手をギュッと握りしめた。チェックの上等な生地がぐにゃりと歪む。そして、彼は小さく頭を下げ、少し体が震えていた。


 紋芽は母が回復する事を願い、花を贈ろうとした。それは人が皆、大切な人が元気になって欲しいと花束を贈る行為と全く同じ事だった。その気持ちや行為はとても素敵なものだろう。紋芽が母親を心配し、早く家に帰ってきて欲しいと願っているのだから。

 だが、それでも誰かの大切なものを奪っていいわけではない。

 たかが花1輪、されど花1輪、だ。



 菊那は、静かに話を聞いていた樹の方に視線を送った。きっと心配した視線を送ってしまったのだろう。彼は、菊那の方を見るとゆっくり頷いた。『大丈夫ですよ』と言われた気がして、緊張していた菊那の肩がスッと軽くなった。



 

 「紋芽さんは、とてもいい花を選びましたね」

 「え……でも、さっき「終わり」だって……」

 「1つの花に、花言葉が複数存在する事があります。チョコレートコスモスには、「移り変わらぬ気持ち」という物があります。紋芽さんが大好きなお母様への気持ちは変わるものではないはずです。チョコレートコスモスはピッタリな花かもしれません」

 「じゃあ………」



 樹の言葉に紋芽を顔を上げ、そして少し希望をもった目で樹を見た。

 けれど、その続きの言葉は、とても冷静なものだった。



 「ですが、盗みは駄目です。あの花はこの庭でたった1輪かもしれませんが、大切なものなのです。だからこそ、あなたをずっと探していました。悲しみと焦りと……怒りから」

 「…………」

 「紋芽さん。他の人の物を了承を得ずに取ったものを、お母様にプレゼントとしたとしても、お母様は喜ぶのでしょうか?」



 紋芽の表情が一転して固まり、そしてハッとした表情になった。

 焦りは時に他人の気持ちを考えられないほど冷静さを失ってしまうものだ。大人でもありえる事なのだから、子どもなら尚更だ。それに紋芽は大切な家族が心配でしかたがなかったはずだ。幼い子どもが自分の親に何かあったらと考えてしまったら、きっととてつもなく大きな恐怖を感じたはずだ。悲しみと苦しみ、どうしようもない感情に襲われただろう。


 けれど、だからと言ってしてはいけない事もあるのだ。

 それを樹ははっきりと、そして子ども相手だとしても彼は対等に伝えたのだ。自分は大切なものを取られてしまった。それが、あなたのせいだ、と。

 そして、気づかせるきっかけを与えたのだ。

 寄り添うだけではない、同じ視線で対等な関係であるありながら、話をする事で。




 「あなたの誕生日は5月ではありませんか?」

 「………え……はい。そうですが、どうしてそれを知ってるの?」

 「………少し早いですが、私から紋芽さんに誕生日プレゼントを贈ります」



 突然誕生日の話を始めた樹に、菊那と紋芽は目が点になっていた。何故急に誕生日の話になり、そして何故彼の誕生日がわかったのか。質問したい事は山ほどあった。

 けれど、当の本人は優雅に自分で入れたストレートティーを一口飲んでいた。

 

 そして、受け皿に戻すと膝の上で手を組んで話の続きを始めた。



 「明日、チョコレートコスモスの花束をプレゼントします。また、この屋敷にいらしてください。もちろん、先日持って帰った私の花もお忘れなく」



 樹は、そう紋芽に提案し自分の願いもしっかりと伝え、その日を終えたのだった。

 少し厳しくも優しい彼の対応に、菊那はただ見守る事しか出来なかったな、と自分の不甲斐なさを感じ、トボトボと帰り道を歩いたのだった。




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