5話「ウィミィ」






   5話「ウィミィ」





 「樹さん、では菊も沢山の種類があるんですか?」



 花の話をすると樹には自然な笑顔が見られるような気がして、菊那は自分の名前に使われている花の話をしてみた。

 すると、笑顔で「もちろんです」と話してくれる。



 「菊というと、仏壇やお墓に飾る菊のイメージが強いですが、最近はダリアのように大輪で華やかなものが多いのです。菊那さんが、好きそうな名前の菊もありますよ」

 「え?」

 「ビターチョコ、ココアなどです」

 「………甘いもの好きって事でしょうか?」

 「ケーキを気に入ってくれたのでそうかと思いましたが………」

 「……大好きです!」

 「それはよかった」



 あっという間になくなってしまったケーキの皿を見てクスクスと笑うと樹。菊那は食い意地の張っていると思われてしまったようで、少し怒り口調で返事をしたが、彼には全く伝わっていないようだった。



 「この庭にはどんな菊が………」

 「………来ました………」

 「え……」



 菊那の言葉を遮った樹の視線は窓の外に向けられていた。菊那も同じように屋敷の外と道を見つめた。すると、キョロキョロと辺りを見渡しながらこちらに近づいてくる少年の姿があった。

 遠目からでもわかる少し茶色の髪の毛と白い肌。あの時の少年だ。今日は、黒のダッフルコートにチェックのズボンという綺麗な服装だった。




 「前回ここで会ったのは、あの少年ですか?」

 「はい。………間違いないと思います」

 「わかました。裏口から出て、少年が庭に入ったら菊那さんは門の扉を閉めてくれませんか?」

 「わかりました」



 2人はこっそりと裏口から屋敷に出て、少年に見つからないように庭の方に出た。すると、ちょうど小柄な少年がゆっくりと屋敷の中に侵入してきたのだ。ハッとして菊那が身を屈みそうになった時、足元の段差に気づかずに体がよろけてしまった。倒れてしまうと思った瞬間、「この作戦が失敗すれば……」という気持ちが菊那の頭を過った。けれど、それは樹が悲しむ事にもなる。そんな考えが瞬時に出て、菊那は体に襲ってくるだろう衝撃よりも物音が最小限になる事を願って強く目を瞑った。

 けれど、いつになってもその痛みが感じられず、代わりにがっしりとた物が腰に当ったのを感じた。恐る恐る目を開けると、そこには樹の顔が目の前まで迫っていた。



 「っっ!!」

 「大丈夫ですか?ここの段差、危なかったですね」



 樹は小さな声で、申し訳なさそうにそう言った。

 菊那の倒れそうな体を支えていたのは樹だったのだ。樹の腰と腕を引かれ、彼に支えられるように立っていたのだ。



 「す、すみません………」

 「いえ。お怪我がなくてよかったです」



 彼の長い睫の艶がよく見え、吐息さえも感じられる距離に、菊那はドキッと胸が鳴った。彼からは先ほどの紅茶の香りだろうか、甘い香りがする。

 菊那は恥ずかしさのあまり、すぐに彼から体を離した。



 「あ、ありがとうございました!……私、扉を閉めないと………」

 「え、えぇ。お願いします」



 彼の返事をすべて聞くより先に、菊那は彼に背を向けて小走りに扉へと向かった。樹に真っ赤になった顔など見せれたくなかったのだ。


 お礼も丁寧に言わないで逃げ出すなんて最低だと思いつつも、あのまま彼から離れなかったらどうなってただろうか。肌が真っ赤になり、彼に笑われてしまうのでないか。いや、樹はそんな事で笑う事はないだろうが、菊那が赤くなる理由を知ってしまうのではないか。そう考えると、怖くてしかたがなかった。



 「大丈夫……気づいてないよね?」



 そう独り言を呟くと同時に、扉の前に到着をした。菊那はゆっくりと扉と鍵を閉めた。そして、ガゼボの方に向かう。すると、少年がチョコレートコスモスの前に座り込み、1輪の花に手を伸ばそうとしているところだった。

 少年は人の気配を察知してか、こちらを見た後に「………この前のお姉さん……」と小さな声が漏れた。



 「この間もその花を持っていたね。その花が好きなの?」

 「………そんなの関係ないです」

 「でも、あなたはここから勝手に花を持ってってしまった………違う?」

 「………っっ!」

 「待って、逃げないで」



 菊那の問いかけに答えずに、菊那の横を走り抜けようとした。けれど、菊那のすぐ後ろに居た彼の姿を見て、少年は動きを止めた。屋敷の方から樹がゆっくりと歩いてきていたのだ。



 「………初めまして。私はここの屋敷の史陀樹と申します。あなたが、花泥棒さんですか?」

 「………ど、泥棒………」

 「ここの花は私にとって大切なものです。そこに咲いていたチョコレートコスモスの1輪の花も。………あなたが持っているのでは?」

 「それは…………」

 


 怒るでもなく、いつもの柔らかい表情で

ゆっくりと近づいてくる樹に、少年は動けなくなっているようで、視線を樹に向けたまま固まってしまっていた。



 「………あの花を返していただけませんか?」

 「どうしてもあの花が欲しかったんだ。だから………」

 「欲しかった理由を聞いてもいいですか?」

 「………それは………ホワイトデーのお返しだよ。バレンタインに貰ったから」




 少年が話したのは、菊那が予想した通りの事だった。きっとこの花の名前を知ってあげよう、そう思ったのだろう。

 けれど、人の家から勝手に取ったものをプレゼントするのはいけないことだろう。それを伝えなければ、と菊那が口を開けようとした。けれど、その前に樹がまた1歩少年に近づきながら声を掛けた。



 「それでは、茶色の花よりも綺麗なピンクや黄色と言った鮮やかな花がよろしいのでは?花束を差し上げますので、この屋敷のものを返してくれませんか?」

 「あの花以外のものはダメなんだ!俺は、あれがいいんだ………」

 「なるほど。では、あのチョコレートコスモスの花言葉をご存知ですか?」

 「花言葉?」

 「花には意味があります。プレゼントをするときはその意味をしっかりと調べておかないと、気持ちとは違う事を表してしまうのです。そう、あのチョコレートコスモスのように………。チョコレートコスモスの花言葉は『恋の終わり』。それでもよろしいのですか?」

 「…………終わりなんかじゃないっ!!終わるだなんて不吉な事言うなっ!」



 樹の言葉に過敏に反応した少年は大きな声を上げて反論した。

 その目にはうっすら涙が浮かんでいた。



 菊那はハッとして少年に駆け寄った。

 彼には盗んでまであの花が欲しい理由があったのだろう。だからこそ、こうやって花屋敷に入って探していたのだ。そして、「終わり」という言葉に激しく動揺していた。



 「………あのね、私たちはあなたをいじめたりするためにこうしたわけではなかったの。でも、驚かせてしまってごめんなさい。………私たちに話を聞かせてくれないかな?」

 「…………」



 少年の顔を覗き込み、菊那は出来るだけ優しい声でそう伝えた。

 すると、樹も2人に近づき、少年の頭に手を乗せて優しく撫でてあげた。



 「私も少し躍起になっていました。焦っていたようです。………ガゼボで美味しいお菓子を食べましょう」



 微笑みながらそう言うと、少年に手を差しのべた。すると、少し迷いながらも少年は自分の手で涙を拭った後、樹の手を取ったのだった。

 その顔はとても不安そうで、菊那はその理由がとても心配で仕方がなかった。

 小さい体で何を考え、思っていたのか。それを知りたいようで、少しだけ話を聞くのが怖くもあった。






 

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