全力少年時代

野神真琴

プロローグ

 僕が何処で生まれて、どれだけ粗末な幼少時代を過ごし、僕の生まれる前に両親が何をやっていたとか、いわゆるデイヴィッド・カパーフィールド風のつまらない話を聞きたくはないかも知れないが、実を言うと僕は、その手の話がしたいのだ。


 僕は1996年に産声を上げた。司馬遼太郎が亡くなってから10日後の出来事で、マルグリット・デュラスが亡くなる10日前の出来事だ。山内家の末っ子として生を受けて、四半世紀の時が経とうとしている。今と成っては信じ難いが、僕にも幼少期と云う物が存在した。時間とやらも僕と同じ様に少しは休めばいいし、たまには止まってもいいと思うのだが、残酷に刻々と進んで行ってしまう。積み重なった過去を整理する時間も必要なのかもしれない。兎に角、僕はとてもノスタルジックな気分なんだ。



 昔話をする前に、まずは僕のパーソナルな話から始めよう。


 

 僕の外見についてだ。


 生まれた当初は可愛いと持てはやされたが、その可愛さは赤子特有の愛くるしさだった様で、日を追うごとに可愛い等と言われる事は無くなった。経年劣化というよりは元が劣悪だった様で、可愛いからカッコいいへのサクセスストリーを歩むことなく、可愛いからブスへの道を順当に歩む羽目になった。

 髪の毛は己の人格と同様にクルクルとねじ曲がっていて、まるで鳥の巣の様になっている。頭が大きいせいで体全体のバランスが悪く、まるでアメーバピグのアバターみたいだ。それに、大きい頭には何も詰まって居なくて、中身が小さいのに器だけが大きいフランス料理を彷彿とさせた。要するに僕は馬鹿なのだ。

 低い鼻に、低い身長。一重の重たい目つきに、のっぺりとした顔。体格は胴長短足で小太り。僕の唯一の長所は、食べ物の好き嫌いが無い事だと思う。少なくても外見での優れた要素もパーツも持ち合わせて居ない。

 幼少期の頃は自分が可愛くてカッコいい男だと勘違いしていたが、よわい24にしてようやく自分が不細工なのだと理解できた。そして、理解は出来たが未だに納得は出来てない。きっと、一生納得できないままだろう。



 次は僕の育った環境についてだ。


 僕が幼少の頃に住んでいた場所は、大阪南河内に在る工業地帯の近くに乱立された府営住宅の1つで、北川住宅地帯と呼ばれる場所だ。家からは二上山が見えるし、近くには大阪府南東部を流れる大和川水系の川が流れている。工場地帯が近くに在るせいで空気は汚く、近くを流れる水流は廃油によって七色に輝いていた。旋盤加工によって削り出される「キリコ」と呼ばれるバネの様な鉄くずがそこら中に落ちているせいで、自転車のタイヤパンク修理屋が繁盛する様な地域だ。


 北川住宅地帯という場所は日本国とは思えぬ程、突飛とっぴ辺鄙へんぴな底辺社会が構築されていた。近くには「ひとみの教団」という気色の悪い宗教団体の本部があって、よく判らない教義と、訳の解らない信仰対象を大切にしている。この町は「ひとみの教団」という変な人達と、「寄合」という名の半グレ集団、それと生活保護を受けている老若男女に、工場地帯での日雇い労働者や外国人で溢れている。日本に格差社会という物が構築されてると仮定するならば、この地域は確実に最底辺だろう。浮浪者は居ても富裕層は居ない。底辺が底辺を呼び、貧乏が貧乏を生む。そんな地域だ。勿論僕だって貧乏だし、僕の周りの人間だって貧乏だ。



 こんな変な地域で育った、僕の幼少期はエキセントリックなんだ。


 これから書く物語は僕(大ちゃん)の記憶の奥底に眠っている、いささか不道徳的な幼少期の話だ。



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