幸せのレシピ
秋都 鮭丸
幸せのレシピ
その店のカレーは、想像よりもずっと辛かった。
一口食べては水を飲み、一口食べては水を飲み、私の額は汗にまみれる。
「そんなに辛い?」
ふぅふぅと息を吐きながら、真っ赤な顔をする私をよそに、彼女はカレーを口に運んだ。
私にとって、辛味は敵である。ピリ辛と謳う食品にはだいたい泣かされる。あれはそもそも痛みだ。食べるようなものではない。断じて、食べるようなものではない。
しかしこの世には、辛いものが好きという人間がたんまりといる。私には到底理解のできないことだが、辛いものを積極的に食べるのだ。何の罰ゲームでもないのに。
当然彼女も、その一人だ。
彼女はあろうことか、辛いものに一味唐辛子の粉末をばら撒く。地獄に地獄を上塗りしても地獄が深まるばかりだというのに。
赤い雪をまぶした食べ物を前に、彼女は言う。
「辛いものに一味を足せば、幸せってカンジ」
「それカンジの変換間違えてない?」
私がひぃひぃ言っている間に、彼女はカレーを平らげていた。
もはや水では消火しきれない。牛乳あたりが飲みたくてたまらない。されどあるのはカレーのみ。
ちなみに、今の消火は変換ミスではない。口の中が間違いなく焼けているのだ。
「もういっそ一味足してみれば?」
「へ?」
彼女は赤いラベルの瓶を手に持って笑う。
「待て、そんなもの食べられるのは君だけだぞ」
「大丈夫、案外イケるよ」
「いけない、断じていけない」
「ほらほら、早く食べないと入れちゃいますよー」
彼女が席から腰をあげたそのとき、ずるりと滑る音が聞こえた。
「あっ」
私か彼女か、どちらかがそう言った。
私のカレーの上に、こんもりとした赤い粉末の山ができていた。
私の汗が顎から落ちた。
「あー、ごめん、ね。冗談、だったんだけど……」
彼女がおずおずと言う。
「いや、大丈夫、大丈夫、大丈夫」
私ももはや何を言っているのかわかっていない状態にあった。何も大丈夫ではない。カレーは真っ赤になったが、私の頭は真っ白だった。
「あっ、じゃ私も食べる。そっち行っていい?」
彼女は私の左隣に椅子を移した。肩が触れた。
「あぁ、うん、お願い」
それからはもう、一味入りカレーを食べる彼女を、横から眺めているだけだった。
「さすがに満腹だなぁ」
二人分に近いカレーを平らげた彼女は満足そうに言った。
「でも君はお腹空いてない?」
「いやぁそうでもないよ」
確かに私は、カレーをほとんど食べてないようなものだった。しかし私は、満足していた。何だか不思議なものである。
「美味しそうに食べる君を、特等席で見れたからね」
「え」
どんなに辛いものを食べても顔色一つ変えなかった彼女は、今ようやく赤くなった。
「ちょっとキザすぎない?」
「そうかなぁ」
私達は他愛無いことを話しながら街路を歩く。こんな時間も、幸せだ。
うん、幸せ。
なるほど、彼女が言っていたのは言葉遊びだろうが、案外間違い無いかもしれない。
辛いものに一味を足す。そんなことすら笑いあえる。
これが私達の、幸せのレシピ。
幸せのレシピ 秋都 鮭丸 @sakemaru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます