第百七十五話 天気が良い日
十五歳。
成人の一歩手前の年齢となるこの歳で、俺は……俺達はオブリヴィオン学院を卒業する。何故、成人の一歩手前でカリキュラムが終わるのかを聞いたことがあるけど一年間は『考える時間』だそうだ。
実際、前の世界のように卒業する前に就職活動をし、卒業したらすぐに仕事という概念はあまりなく、いつどこで何を始めてもいい。
騎士になるのもこの時期じゃないとできないわけでもないし、学者になるための勉強も急ぐ必要はない。自分次第でいいのだ。
「……色々あったなあ」
入学したてでリューゼとのことでやり合ったり、三年の時はルシエールとルシエラの誘拐騒ぎと、何かしら事件があったなと感慨深い。
毎年の対抗戦は結局負けなしでAクラスが全勝したけど、他にティグレ先生がクラスをもった時なんかは熱い勝負が繰り広げられたのもいい思い出だ。
そこで部屋の扉がノックされ、兄さんから声がかかる。
「ラース、そろそろ時間だけど大丈夫かい?」
「うん。そろそろ行くところだったよ、兄さんも行くよな?」
「もちろん。ラースとノーラの卒業式だ、行かないわけがない。今日は家族総出でお祝いだね」
「ノーラも今日からウチの住人、か。あいつとも長い付き合いになったな」
「そうだね。出会って十年……ラースには感謝しているよ、ノーラに会わせてくれて。どこかで間違えていたら、こうはならなかっただろう」
兄さんが俺を真っすぐ見たあと頭を下げる。
「はは、よしてくれよ兄さん。あの時、俺の気持ちは言ったはずだけど」
「……それでも、だよ、ありがとう」
そう言って困り笑いをする兄さんに俺も笑い返して握手をする。そろそろ行こうかと思ったところで、廊下を走る足音と共に大声で俺の部屋に入ってくる人影があった。
「ラースにいちゃん、おはよう! 学院一緒に行こう!」
「おはようアイナ、今日も元気だな」
「デダイトにいちゃんもおはよう! そりゃふたりの妹だもん、ママの薬もあるし、病気なんかしないよー」
五歳になったアイナがひとさし指を立て、生意気にもふふんと鼻を鳴らしながらそんなことを言う。そう言う意味の元気じゃないんだけどな。
<アイナ、廊下を走るとまたこけるぞ>
「おはようサージュ! うう、あれは痛かった……」
「この前、壁に激突していたやつか。やれやれ、おてんばが過ぎるな」
「男の子も顔負けだよね」
俺はアイナを抱っこして兄さんとサージュと共に部屋を出る。サージュも相変わらずこの家で生活し、アイナや俺達と共に生きてきた。
<我も行っていいのか?>
「ま、最後だしね。『あの事件』以来、町に出ても気にならなくなったし」
<あれは大変だった……>
「サージュどうしたの?」
<お前が二歳の時の話だ。覚えていないだろうがな>
まあ、色々あってサージュは好きな時に町に散歩に出ることが許されたんだけど、今語ることじゃないかな。
「おはようラース。……いよいよ卒業か」
「時間が経つのは早いわね。デダイトがこの前卒業したと思ったのに」
「おはよう、父さん、母さん」
父さんと母さんに挨拶をし、みんなと朝食を済ませて学院へ向かう。兄さんは二年前に卒業しているからずっと一人で学院へ通っていた。
「懐かしいな」
それも最後かと思っていると、いつもの場所でノーラが立っていた。
「おはよう、デダイト君、ラース君。最後の日になったね」
「おはようノーラ」
「おはよう」
「おはようございます!」
<いい朝だな>
背が伸び、五年生になってから見違えるように子供っぽさがなくなったノーラ。兄さんの奥さんになるからと間延びした喋り方は消え、いまでは立派な女性になりつつある。
「今日からお世話になるねアイナちゃん」
「うん! もう孤児院はいいの?」
「オラの荷物はもう送っているから大丈夫。小さい子には泣かれたのは辛かったかな。まあいつでも会えるけど!」
アイナと手を繋ぎながら笑うノーラに俺が言う。
「結局『オラ』だけは治らなかったなあ」
「うーん、まあ可愛いし、いいんじゃないかな」
「兄さん……」
「えへへ、直そうとは思ってるんだけどね?」
そう言って振り返り舌を出すノーラに苦笑しつつ俺達は歩いていく。来年は二人の結婚式、豪華になるんだろうなあ。そんなこと考えていると、アイナが兄さんとバトンタッチし、俺の腕を取って口を開く。
「ラースにいちゃんは卒業したらどうするの? お金持ってるし働かなくてもいいんだよね! アイナと一緒に家で過ごす?」
「あーそれはまた今度な」
「ふふー、毎日ラース兄ちゃんと一緒になるの嬉しいな」
上機嫌で歩くアイナに俺はどうしたものかと顔をしかめていると、サージュが耳打ちしてきた。
<おい、いいのか?>
「……そのうち嫌でも知ることになるからいいだろ?」
<大泣きしても知らんからな……>
「あ、兄ちゃんの頭に乗ってる! いいなあ!」
サージュが俺の頭の上に乗り、アイナがサージュの尻尾を掴もうと飛び跳ね、賑やかな朝の通学路を進んでいく。
やがて学院に到着し、俺とノーラはクラスへ。兄さんとアイナ、サージュは来賓席で父さん達を待つため入学式や対抗戦の練習で使った場所へと向かう。
「……なんかもう泣きそう」
「まだ早いって。ほら、もうみんな来てる」
あちこちのクラスは喧騒に包まれ、Aクラスも例外ではない。もう涙目になっているノーラを後ろに、俺が扉を開けると、全員一斉にこちらを向く。
「よう、ラース! ついに卒業だな!」
「ああ、だな、リューゼ」
「早いもんだぜ……もう卒業か。もっと遊びたかったな」
ジャックが机を椅子にしぼんやりと呟くと、ヨグスが噴き出して言う。
「流石に僕は遊んでいられないからそれは勘弁かな? ……でも、みんなと一緒に過ごした学院生活は本当に楽しかったよ。ありがとう」
「僕も! 嫌いだった【霊術】がこんなに役立てるなんて思わなかったし!」
ウルカは最初のおどおどした感じからすっかり明るくなり、そして一番活躍したクラスメイトのひとりだと思う。
「わたしも楽しかった! 途中からだったけどみんな優しかったし、ギルド部も凄かったよね!」
そう言うのはパティ。目立って活躍はしなかったけど、対抗戦でふわっとした見た目とは裏腹にパン食い競争はマキナすら凌ぐ速さだった。伊達に学食に就職希望じゃないというところだった。
学食でお金を貯めて、どこか違う町で料理屋をしたいと言っていたから、逞しい子なのである。
そんな中、ルシエールが寂し気に微笑み口を開く。
「この町に残る人はあまり居ないんだよね、寂しくなるな……」
「えっと、パティとリューゼ、ウルカだけだっけ?」
「何言ってるの? わたしもいるじゃん!」
俺の呟きにクーデリカが背中に抱きつきながら口を尖らせていた。ルシエールは全体的に女の子らしくなり、クーデリカは……その、身長はあまり変わらなかったけど、む、胸が凄く大きくなった。
昔、誰かが言っていたように押してダメなら引いてみろを実践し、結局俺はそれに気づかないままここまできた。
クーデリカはなんというか喋り方がギャルっぽい感じになり、ハムスターから狐くらい変わった。
「……ラース君、卒業式の後、屋上に来てよね?」
「わ、分かってるよ」
「クー、ラース君困ってるわよ」
「ふーんだ、マキナちゃんもちゃんと来るんだよ?」
「もちろんよ」
「まあまあ」
ルシエールがマキナとクーデリカを宥めていると、先生達が入ってきたので慌てて着席する。
「おし、揃ってんな? まあ、風邪ひきましたっつっても引っ張ってくるんだけどな!」
「みんな、今日までよく頑張りましたぁ♪」
そう言って俺達の前で笑うのは、最後の最後、もう一度担任と副担になったティグレ先生とベルナ先生の二人だ。
娘のティリアちゃんも四歳となり、保健室のマスコットと化しているのでベルナ先生は副担任として復帰した。
相変わらずほどよく喧嘩し、仲の良い夫婦は幸せそうで、サージュもあのふたりと重ねているのかとても喜んでいる。ティリアちゃんは大人しいんだけどアイナと仲が良く、おしとやかな中に黒い言葉がたまに出てくるのでベルナ先生の娘だなと思う。
……あのルツィアール国での戦いも今では懐かしい。ベルナ先生のお義母さんも結婚式で心中を吐き、和解しているのでもう何も問題は無いだろう。グレース様も結婚し、あまり顔を見せなくなったけど、手紙でお義母さんがティリアちゃんを見たいから帰って来いと催促があるのだとか。
「俺から言えることは……もう何もねぇ……が、最後だから一つだけな。……この一年で必要なことは全部教えた。それをどう使うか、後はお前達次第だってことを覚えておいてくれ。特に、このクラスはドラゴン装備なんて大層なものを持っている。嫉妬や妬みを向けられることもあるだろうが、悪いことをしてねぇなら自信を持って立ってろ。そしたら必ずいい方へ向かう。卒業、おめでとう」
「先生……」
フッと笑う、少しだけしわの増えた先生に俺達が泣きそうになっていると、ベルナ先生が笑いながら俺達へ声をかけてくる。
「あなた達と会ったのは本当に偶然。特にラース君とはね。だけど、そのおかげでわたしはみんなと知り合えて、先生になって、一緒に過ごすことができたわ。笑顔でみんなを送り出すことができるのは……本当に……幸せ……」
ベルナ先生は感極まって涙を流す。
辛かったことはあった。でもそれ以上の幸せを手に入れたベルナ先生、これからはもっと幸せに生きて欲しい。ティグレ先生とティリアちゃんと三人で。もしかしたら増えるかもしれないけどさ。
「へへ、俺達はティグレ先生から学んだんだ、そう簡単にへこたれたりしねえよ。なあ?」
「ま、そういうこった。心配しなくても大丈夫だぜ!」
「困ったらまた会いに来ますよ。その時は説教のひとつもくださいよ」
リューゼとジャック、ヨグスがティグレ先生へそんなことを言い、俺も続く。
「俺達に教えてくれたことは忘れないよ先生。また下の子たちにもその教えを続けてください」
「間違わないように、間違えそうになった子を助けてあげてくださいね」
マキナも柔らかく笑い座ったまま頭を下げる。
「ああ……ありがとうな、みんな。今まで会ってきたやつらの中で一番面白かったのはお前達だ。まあ、ラースのせいでもあるんだろうけどな」
「お、俺!?」
「ふふ、すぐ首を突っ込みたがるからねぇ」
ベルナ先生までそんなことを言い、俺は小さくなる。憮然とした表情をしていると、みんなが笑う。
「それじゃ式へ向かうか! この後は現地で解散だ。今日、俺達と話す機会はもう無いだろう。だからもう一度言っておくぞ。卒業おめでとう! そして、ありがとう。この先、お前達に――」
「幸せがありますように!」
「「「ありがとうございました!」」」
すでに女の子達は泣いていて、それでもなんとか返すと席を立ち式場へ向かう。
「……ティグレ先生、本当にいつも助けてくれて嬉しかった」
俺は扉を出る瞬間、先生達に目を合わせ、ありがとうございましたと口を開く。ふたりは微笑みながら手を上げて見送ってくれるのだった――
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