妖の提灯通り
明通 蛍雪
第1話
『妖の提灯通り』
「綺麗……」
「おい、俺から離れるな」
明るく照らされる細い路地を抜ける二人の影。狐面と鬼の面をつけた男女は、ぴったりと寄り添うように並んで歩く。
天井に吊るされた視界いっぱいの提灯を見て、狐面の女は嘆息を漏らした。うっとりと見惚れている女を、鬼面の男はぐいと腕で引き寄せ苦言を溢した。
「離れれば食われるぞ」
細い道。道の先まで続くアーケード街のような裏路地は、提灯通りと呼ばれる場所である。祭りの如く混み合う通りには、人ならざる者たちが闊歩している。巷で妖と呼ばれるような類の者たちで溢れかえる通りには、人間の姿が一つもない。
「なんか、いい匂いがします」
「妖香(あやかしこう)だ。客引きの匂いだ」
左右から流れてくる甘い匂いに、女は惹かれるように視線を向けた。どの店の入り口にも小鉢が吊るされており、そこから匂いが漏れている。
「時間がない。少し急ぐぞ」
女を引いていく男は歩く速度を上げ、混雑する通りの隙間を縫うように歩いていく。女は導かれるままに、男の後をついていく。初めて見る光景に女は目移りさせながら、二人はとうとう目的の店までやってきた。
「質屋だ。ここにお前の探している物がある」
「質屋って、私お金持ってないですよ!?」
「安心しろ。そもそも人間の通貨なんぞ、ここじゃあ使えない」
通りの奥にある陰湿でオンボロな店は、通りよりもさらに細い道の奥深くに看板を構えている。街頭もなく、提灯もない。細い路地に提灯の明かりが漏れているが、奥までは届いていない。
深淵のような暗さの道を、男は気に止めることもなく進んでいく。隣で怯えている様子の女は、観光気分の先ほどまでと打って変わって、男の腕に強くしがみついている。
「失礼する」
「し、失礼しまーす」
店の戸を開け、二人は中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー」
「釜堂はいるか?」
中にいた店員の女狐がにこやかに微笑むと、男は女狐に問うた。
「はい、奥の方に」
聞かれた女狐は案内するように店の奥を示す。暖簾のかかっているその奥には、廊下が続いているのが透けて見える。
「行くぞ」
「は、はい」
男は我が物顔で店の奥へと歩いていく。すれ違う瞬間、女狐に鋭い視線を向けられ、女は「ひっ」と擦り切れるような細い悲鳴を上げた。
「気のせいかしら」
そう呟く女狐を置き去りに、二人は廊下を抜けて行った。
廊下の先には扉が一枚あり、男はノックもせずにその扉を開けた。
「失礼する」
「よお、菊川の旦那。あんたがここに来るとは珍しい」
奥の部屋には老軀の天狗が一人。古物が雑然と並ぶ室内で、怪しげに微笑んで二人を迎えた。訝しむような目で男に話しかけるが、男は淡々とした声音で返す。
「今日は依頼でな。あんたの客は俺じゃない、こいつだ」
「ひょ、ぃえ!?」
いきなり前に押し出された女は、潰されたカエルのような声を漏らし、男を掴む手により力を込めた。
「ネックレスがほしいらしくてな。最近入っていないか?」
「ネックレスねえ、二、三、数があるが、見るかい?」
「は、はい。お願いします」
落ち着いた男の様子を見てか、女は冷静さを取り戻した。天狗は座布団から立ち上がると、背後の箪笥を開け、三つの小箱を取り出した。
「一番古いのがこいつ。十年前の物だ。次のは三年前。一番新しいのが十日前」
「十日前……!?」
天狗の持つ三つのうち、一番新しいものに、女は反応した。
「それ、見せてもらってもいいですか?」
「ああ」
天狗は蒼い鮫小紋の蓋を取ると、ネックレスの入っている箱を女に手渡した。受け取った女は、ネックレスの装飾をマジマジと見つめている。
ネックレスはシンプルなチェーンと、銀板が一つだけ付いている。銀板にはローマ字で「SAKAYA」と書かれていた。
「坂谷君のだ」
「間違いないのか?」
「うん」
「そいつは先々週に起こった崩落事故の中から見つけたもんだ。強い想いが残ってたから見つけるのは簡単だったよ。新しいし、呪術にも使える。かなり高いぞ」
天狗はその慧眼でネックレスの価値を見極めているようで、
「想いが強い。残した人間への強い想いだ。だが、未練ではない。慈愛とか気遣い。そんな想いが感じ取れる。これは、自分を気にせず生きてくれ、自分を責めないでくれ。と嘆いておる」
天狗の話を聞いていた女は「坂谷君……」と、ネックレスの持ち主の知られざる胸の内を聞き染み入るような声を漏らした。
「いくらですか?」
探し物を見つけた女は食い気味に問う。勢い余り、危うく男から離れそうになる。
「そうだな。人間の歯二本。もしくは五指だな」
「嘘……」
「高いって言っただろ」
天狗は当たり前のように言って女の手からネックレスを奪い取る。それを惜しく見つめる女は、自分に払えない対価を示され困惑する。
「私、どうすれば……」
潤む瞳で男の顔を見上げ助けを求める。だが、
「俺にも払えんぞ。今日は護衛と、探しのついでで来たんだ」
「そんな……」
「だが、別のものなら用意できるかも知れん」
「な、なんですか!?」
女は男の顔をぐいと引き寄せ問い詰める。食いかからんほどの勢いにたじろぐ男だが、女を引き離してから、
「その長い髪だ。量も申し分ない。思いの丈も十分だろう」
「髪……」
言われた女は、ポニーテールにした長髪を守るように体の前に持ってくる。優しい手つきで撫でつけ、迷うように視線が泳ぐ。
「妖の髪か……まあ、それだけの長さと思い入れがあるのならいいだろう」
「だそうだ。どうする?」
「……」
女は数秒黙りこくって、意を決したように男に告げる。「切ってください」その言葉を聞いた男は真意を確かめるように女の目を覗き込み、宿る覚悟を感じ取ってから小刀を取り出した。
「切るぞ」
「はい」
ギュッと目を瞑る女の髪に手をかけ、男はさらりと切り落とした。長く澄んだ髪は、引っかかることなくさらりと落ちる。
「おいおい、そんな長さじゃ足りんぞ!」
髪の束を持つ男に、天狗は怒り出した。腰上まであった女の髪は、今では肩にかかるほど。だが、まだ差し出せるほどの量が残っており、天狗は差し出せと声を荒げる。
「よく見てみろ」
男から髪を差し出された天狗は、渋々それを受け取ると、驚くべき事実に目をかっ! っと見開いた。
「こいつは……人間の髪!?」
「人間の髪であるならば、その長さでも十分だろう?」
「もちろんだ。だが、この街に人間を連れ込むとは、正気か、菊川の旦那」
「俺は呪術や人食いには興味がない。それに、俺を襲ってまで奪い取ろうとする者は、いないだろう?」
「そ、それもそうだ」
男の放つ刃のような鋭い気配に、天狗は喉が引きつるのを感じた。一瞬で空気を変えてしまうほど男は強く、恐れられてた。
「むしろ、買えるならば売ってほしいほどだ」
髪と引き換えにネックネスを受け取った女はそれを大事そうに抱え、天狗は女に向けて、いや、女の髪を見て言う。
「こいつの欲しがる物は、この街にはない。用は済んだ。俺たちは行く」
「菊川の旦那。また何かあれば。そっちの嬢さんも、いつでも来ていいからね」
「は、はい……」
怒鳴っていた先ほどまでから一転し、不気味なほど笑顔の天狗を見て女は顔が引きつる。内心では「二度と来るか」と思っているが、決して口には出さない。そんな度胸を女は持ち合わせていなかった。
男に腕を引かれ二人は釜堂の元を去る。店の入り口であの女狐に挨拶をしてから出ようと、二人が背を向けた瞬間、
「哀れな女狐め」
音を殺して男に襲い掛かった女狐だったが、瞬時に振り返った男に切り捨てられた。一瞬のうちに体を両断され、血飛沫が店の床にばら撒かれた。
「お前は見るな」
女が振り返ろうとするのを止めた男は、女狐の死体を顧みることなく店を後にする。提灯の垂れる通りの様子は変わらず、女が色々と興味を持つ前に男は通りを抜けた。
提灯通りを出ると、外は真昼のような明るさだった。そういえば今は昼だったなと思い出した女は、眩しさに顔を顰める。振り返ると、先ほどまであった提灯通りは見えなく、更地だけが残っていた。
「このお面、ありがとうございました」
いつまでもお面をつけていると、歩道を歩く人から怪訝な視線を向けられ、恥ずかしくなった女は面を返す。
「髪、切っても良かったのか?」
男は短くなった女の髪を見て呟いた。
「いいんです。彼の気持ちも知れたし、あの事故で彼の遺品が見つからなかったから、一つでも見つかれば」
「そうか」
「彼は優しい人ですから、私も、彼に恥じないように生きようと思います」
「そうか」
「今日はありがとうございました」
「俺たちのような妖には気をつけろ。それと、そのネックレスはずっと持っていろ。お前を守ってくれるはずだ」
男は最後にそれだけ言うと、歩道をそろりと去っていく。その背中に向け「ありがとうございます」と女は呟き頭を下げた。
妖の提灯通り 明通 蛍雪 @azukimochi
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