第67話 束の間という幻想


 スレイン渓谷を越え、ゼーガス皇国へと入ったルーク達は、幾晩かの野宿を経て国境から一番近いであろう町へとやって来ていた。



「良い雰囲気の町ですね」

「ああ」



 町のゲートをくぐるなり隣を歩くアリシアがそう言ってきた。



 そこは素朴でありながらも穏やかな空気の流れる平和な町だった。

 小規模の町だが、街路や町を囲う塀などがきちんと整備されており、町の中央には豊富な湧き水で作った噴水まで設置されていた。



 それだけでゼーガスという国が如何に豊かで、生活水準の高い暮らしを送っているのかが伝わってくる。



「この町で必要な物を揃えよう」

「そうですね」



 王都を抜け出すことに必死で着の身着のまま出て来てしまったから、ほとんどの荷物は置いてきてしまった。



 装備品や大事な物は身に付けていたので、すぐに困るような事は無いが、これからの生活を考えると揃え直した方が良さそうだ。



 特にキャンプを張るような道具は一切合切無くなってしまったので買い直さないといけない。



 これまでの報酬で野宿をしなくても済むくらいの金は持っているが、クエストで町から離れた場所に出向くことも少なくない。

 そうなると当然、野宿が基本になる。



 ここ数日は、硬い地面の上でただ寝るだけの野宿続きだったので、毛布の一つの買いたいところ。



 そんな訳で俺達はまず、道具屋を探すことにした。



 すると、商店が並ぶ通りに入るや否や、傍にいたエリスが犬のように鼻をクンクンし始めた。



「何これ? いいにおい……」



 その匂いに誘われるようにエリスは通りを歩き始める。



「おい、一人で行くと迷子になるぞ」



 だが、匂いの正体はすぐに分かった。

 彼女が足を止めた先に食べ物を扱う小さな屋台が建っていたのだ。



 その食べ物というのは、小麦の粉を平たく伸ばして焼いたものにチーズをたっぷりと載せ、野菜と肉を巻いたもの。

 ラベリアでは見慣れぬ食べ方だ。



 熱せられた鉄板の上で調理しているのだが、チーズが焦げる香ばしい匂いが食欲をそそる。

 エリスが引き寄せられたのにも納得がいく。



 彼女はその屋台料理が出来上がる工程をじっと見つめていた。



「食べたいのか?」

「えっ!? べ、べつにそういうわけじゃ……」



 そうは言うが、顔に食べたい気持ちが思い切り現れている。



「昨日から何も食べてないからな。買ってやるぞ」

「いいの!? はっ……!」



 反射的に答えてしまったことに口にしてから気付いたようだった。



「アリシアもどうだ?」

「はい、ルーク様が頂くなら」



「決まりだな。親父、こいつを三つくれ」

「あいよ」



 見本を指差し注文すると、店主は華麗な手捌きで料理を作ってゆく。

 あっと言う間に三人前が出来上がっていた。



 エリスは熱々の品を受け取るや、すぐに齧り付く。



「おいひー!」



 はふはふ言いながら幸せそうな表情を浮かべていた。

 アリシアは二人分受け取り、俺は支払いをする。



「いくらだ?」

「全部で銅貨六枚でさぁ」



 俺は革袋から銅貨を探し、店主に渡そうとする。

 すると、店主の様子がおかしいことに気がつく。



 金を受け取りもせず、アリシアのことを呆然と見つめていたのだ。

 その視線の先にあったのは彼女の右翼。

 黒い翼の方だ。



 それを見つめていた彼の顔が段々と青ざめて行くのが分かった。

 その視線はすぐに隣にいたエリスに行く。



「黒い片翼に……子供のエルフ……」



 恐らく無意識だろう、店主は二人を見ながらそう呟く。

 そして最後に俺の顔を見て、ハッと息を呑んだ。



「かっ……金はいらねえ! とっとと持ってってくれっ!!」

「え……」



 店主は震える声で俺達を追い払うような仕草を見せる。



「いいから! そいつはくれてやるって言ってんだ!」

「は、はあ……それなら……」



 そこまで怯える理由が分からないが、タダでくれるというのだから貰っておくことにしよう。



 しかし、どうにも釈然としない。



 そのまま三人で屋台飯に齧り付きながら歩いていると、前方の通りに人集りが見えた。

 人々の前にはギルドにあったような掲示板があり、皆それを見ているようだった。



「何の人集りでしょう?」

「ちょっと覗いてみるか」



 どうやらそれは周辺の情報を掲げて市民に広く伝える為にあるらしい。

 国からの知らせや、周辺国の情勢。

 はたまた、求人情報から迷子犬を探しているという規模の小さいものまで色々、貼られている。



 その中でも人々の注目を集めているのは一つの記事だった。



 俺達もその内容を見ようと近付くが人が多くて近付けない。

 代わりに、前の方から声が聞こえてくる。



「おいおいマジかよ。ラベリアの王都が陥落したんだと」



 ――!



 まさか、そんな事が!?

 俺達はつい最近、あの都を出てきたばかりだぞ?

 それが、この数日で陥落だなんて……どうにも信じがたい。



 更に耳を傾けてみた。




「陥落って、攻め入ったのはどこの国だよ?」

「周辺国との軍事力はかなり拮抗してたはずだろ? そんなに簡単に王都が落ちるもんかね?」

「いやいや、なんでも全ては〝呪われし者〟の仕業らしいぜ?」

「なんだよ、そりゃ」

「横に似顔絵が貼ってあるだろ? なんでも黒い片翼の翼人と、精霊すらも拒絶するエルフの子供、そして奇術を使う黒髪の青年冒険者の三人組が王都を沈めたらしいぜ?」

「ほんとかよ! たった三人でか?」

「ああ、そいつらは既にゼーガスへ入ったって噂もあるらしい」

「だからこの告知か。くわばら……くわばら……」




 そんな会話を聞いて、さっきの屋台店主が俺達を拒絶した理由が分かった。



 しかし、俺達が国を沈めただなんて……なぜそんな話になってるんだ??

 しかも俺達の容姿まで……。 



「ルーク様……」



 アリシアが不安そうに俺のことを見上げてきていた。



「ああ、分かってる。速やかにここを離れよう」


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