第59話 一縷
俺達は王国兵に取り囲まれていた。
数で言えば五十人はいるだろう。
Fランクの冒険者相手としては充分すぎる数だ。
今一度、バルコニーにいるガゼフ王に目を向ける。
彼は俺達が大人しく捕まることを望んでいるようだ。
しかし、その通りにすれば何をされるか分かったものではない。
それは彼の背後でニヤついているカイエンの表情が物語っている。
この場を回避することは決定しているが、問題はその方法だ。
俺達を捕まえようとする兵士を誤って傷付けてしまえば、益々疑いを晴らすことが難しくなってしまう。
それではカイエンの思う壺だ。
ここはやはり、影縫いを上手く使うしかない。
兵士の影を縫い、動きを止めて、その隙に逃走を図るのが良策だろう。
だが、俺達を円状に取り囲んでいる兵士の半数は、城壁の陰に入っていて影縫いが使えない。
そちらはどうするか……?
直接、拘束するには糸が足りない。
構造構築糸で魔法を放ち、牽制するか……?
いや、それでは加減を間違えれば万が一ってことがある。
構造改変糸で武器を無力化したとしても、肉弾で飛び掛かられればそれまでだ。
となると、思い付くのは……。
身体に作用するが、それが永続的ではない改変。
例えば、一時的に筋肉を硬直させるとか、そういったものだ。
後遺症も無く対象の動きを止めるには、その方法が適切だろう。
俺の頭の中には魔導書よって、この世界にはない知識が蓄えられている。
それによって導き出された答えはこうだ。
人が筋肉を収縮させ運動するには、体内にあるATPと呼ばれる化合物が必要だ。それがADPへと分解される時のエネルギーが筋肉を動かしている。
しかし、体内のATPには限りがあり、それを再合成する必要がある。
その再合成に必要な物質がグリコーゲンと酸素だ。
そこで俺は構造改変糸で兵士の体に入り込み、このATPの分解を一時的に阻害する。
それで兵士はしばらくの間、体の自由が利かなくなるはずだ。
一時的ではあるが、ある意味それは、生きていながら死後硬直が始まったようなものだ。
その隙に俺達は逃走を試みる。
だが、それを実行に移すには、ある程度の時間が必要だ。
城壁の陰に入っている兵士全てに、それを施さなくてはならないのだから。
なので時間稼ぎをしなくてはならない。
しかしながら、この状況で事を引き延ばすのは、なかなか困難だ。
既に兵士達はジリジリと間合いを詰めてきている。
最早、出来る限りのことで切り抜けるより他は無い。
覚悟を決めて、アリシアとエリスに目配せした直後だった。
「お待ち下さい!」
兵士達を掻き分け、一人の男が進み出てきた。
それは共に戦ったことのある人物――。
聖騎士長のエーリックだった。
「何事だ、エーリック」
ガゼフ王は見下ろしながら目を細める。
「この者達は、そのような存在ではありません! 共に戦った私が保証いたします!」
「保証とな? そこまで申すなら、この者達の代わりとなって自ら命を絶って見せよ」
「っ!?」
「さすればその言葉、認めてやらんでもない」
「そ……それは……」
「出来ぬのか?」
「……」
何も返せず口を噤んでしまったエーリックにガゼフ王は嘲笑を向ける。
「確証すら提示出来ぬのに、軽はずみな発言は避けることだな」
「ですが……」
「まだ何か?」
「いえ……」
エーリックは俺達の為に割って入ってくれたが、彼の立場ではここまでが限界のようだ。
だが、今の俺にはそれだけで充分だ。
彼のお陰で必要な時間を稼ぐことが出来た。
俺はアリシアに小声で告げる。
「俺が合図したら、お前はエリスを抱えて飛べ」
「ルーク様は……?」
「俺なら大丈夫だ。必要なら呼ぶ」
「……分かりました」
この身を心配してくれるアリシアだったが、俺の言葉を信頼してくれたようだった。
俺達がそんなやり取りをしていると、カイエンが苛立ったように促す。
「さあ、早く奴の確保を」
彼がそう言った直後、俺は動いた。
「なっ!? 体が……動かない……??」
「うっ……こっちもだ……!」
「なぜだ……!?」
影縫いを施した兵士達の間で声が上がり始める。
「なっ、何をしている!」
ガゼフ王はバルコニーから身を乗り出した。
カイエンも焦りの色を見せ始めた。
「早く、奴を!」
その声に促されるように城壁の陰にいた兵士達が前に出ようとする。
だが、俺が施した筋肉への改変で兵士達は思うように歩けず、足をもつれさせて転ぶ。
「うわっ!? 上手く歩けないぞ!?」
「なんでだ……!?」
倒れた兵士の上に兵士が折り重なり、雪崩のような状態が起こる。
「今だ! アリシア!」
「はいっ!」
叫ぶと、彼女はエリスの小さな体を抱き上げて、空へと舞い上がる。
城壁の上から弓矢が放たれるが、それはとうに届かない高度にまで達していた。
「それじゃ俺も行くか」
影縫いの糸を抜いては刺しを繰り返し、兵士達の合間を擦り抜けて行く。
「逃がすな! 追え!」
そんな声が背中から響いてくる。
目指すは外郭の城門。
だが、そこは当然のように堅い扉で閉じられていた。
――ちっ……他を探すしかないか……。
最悪、見つからなければ改変糸で城壁を破壊するしかない。
それは、あまりやりたくはないが……。
そう思っていた矢先だった。
「ルーク! こっちだ!」
城壁の隙間から声がした。
俺のことを手招きしている。
それは先ほど俺達のことを擁護してくれた男。
――エーリックだった。
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