第39話 閃き


 俺の体は凍り付いたように動かなくなっていた。



 間近で見下ろしてくる黒怒竜ニーズヘッグの眼。

 それに見つめられると、威圧感と畏怖の念でたちまち体が硬直する。



 だが、それに抗わなくては確実にやられる。



 俺は心に鞭を入れ、後方へ走る。

 そうするや否や、地鳴りと共に地面が大きく揺れた。



「っぁ!?」



 ニヴルゲイトから現れた黒怒竜ニーズヘッグが、地上へと着地し、完全にその姿を現したのだ。



 その大きさは翼竜ワイバーンとは比べ物にならなかった。

 家屋などは一踏みで破壊出来そうなほどで、翼を羽ばたかせれば周辺の建物は一遍に薙ぎ倒せそうでもある。



 黒怒竜ニーズヘッグは俺達のことをギロリと見つめ直す。

 それが敵と見なされた合図だった。



 マズい!



 俺はすかさず放糸キャストし、黒怒竜ニーズヘッグの影を縫い付けた。



「グゴォォォ……」



 それで動き出した巨体は取り敢えず制止する。



 この前は奴がニヴルゲイトから完全に出てくる前に退散させられてしまったから、影を縫う手段が無かった。

 だから影縫いが黒怒竜ニーズヘッグに通用するかどうか不安だったが、なんとか押し止めてくれているようだ。



 確かに通常の捕縛より、影を縫った方が対象を制止する力は遙かに強い。

 だが、相手はあの黒怒竜ニーズヘッグだ。

 それほど長くは持たないと考えておいた方がいい。



 現に全ての糸を影を縫うことに回したが、既に何本かは引き千切れそうになっているのが分かる。



 このままでは、いずれ全ての糸が切られ、奴のファイアブレスに焼かれるのが目に見えている。



 だからといって、攻勢に出ても有効な手立てが無い。

 奴の体皮には呪詛防壁が張り巡らされている。

 触れれば途端に呪い殺されるだろう。



 だが、それを解かない限り、奴の体を解析も改変も出来ないし、こちらの攻撃を通すことも出来ない。



 ティアナの使っていた清浄化クリアの魔法に呪詛を解く効果があるが、奴の呪詛防壁の鉄壁さはその程度では解けないだろう。

 それは一度、奴に糸で触れた俺だからこそ分かる事だ。



 最早、完全に詰んだ状態。

 ここから考えられる事は、如何に犠牲者を減らすことが出来るかだ。



 俺がこのまま影縫いで時間稼ぎをすれば、その間にアリシアとエーリックだけは逃がすことが出来る。

 それがこの場では最善の策だろう。



 このまま無理矢理挑んで全滅するよりかは遙かにマシだ。



「二人共、良く聞け!」



 俺は前を向いたまま叫んだ。

 アリシアとエーリックが反応する気配を背後に感じる。



「ここは俺が時間稼ぎをする。その間に二人は出来るだけ遠くまで逃げてくれ!」

「そんな!? 私も一緒に戦います!」



 アリシアが悲鳴のような声を上げる。



「ルーク……君という人は……」



 エーリックには、俺の考えていることが伝わったようだ。



「アリシア、お前がここにいても何の役にも立たない。ただ無駄死にするだけだ。それよりも助かる可能性があるのなら、それを選んだ方がいい」



「嫌ですっ!!」



 アリシアは即座に吐き捨てた。



 彼女ならそう言うと思った。

 ん? なんでそう思ったのだろう。

 だが、そのことを嬉しく感じたのは確かだ。



 でも――それを聞き入れるわけにはいかない。



「これは主からの命令だ!」

「うっ……」



 俺が叫んだ途端、彼女は胸元を押さえて苦しそうな表情を見せる。

 押さえた手の奥で隷従刻印が淡い光を帯びていた。



 奴隷は主の命令には絶対服従。

 それは契約で繋がっている限り逆らうことは出来ない。



「……ずるいです! こんな時に限って……!」



 アリシアは涙声になりながら訴える。



「いいから早く行け! 時間が無い!」

「ぐぅっ……! い……行きません……絶対に!」



 彼女は自分の意志に反して後退ろうとする足に対して、必死に抗おうとしていた。



「いい加減にしろ! こんな事で巻き添えを食ったら、俺だって安心して死ねないだろが!」

「死ぬなんて……簡単に言わないで下さい!」



「……何言ってるんだ?」

「?」



 俺は自嘲した。



「そもそも俺にそんな価値など無い。生まれながらにな」



 酷い環境の家に生まれた俺は死にたいことなんてザラにあった。

 だが裁縫スキルによって、一瞬だけでも夢を見させてもらった。

 それだけで、もう充分満足している。



「さあ、行け」



 再度促すと、アリシアは絞り出すように声を上げた。



「前に私に言ってくれたじゃないですか!」

「……?」



「〝生まれも過去も、決してお前を支配などしていない〟って」

「……」

「あれは嘘だったんですか?」



 言われてから気付いた。



 そういえば、そんな事言ったな……。



 あれは今まで自分に言い聞かせてきた言葉だ。

 それが何故か彼女の境遇と重なって、自然と口を突いて出ていた。



 過去の俺は冒険者という生き方で救われた。

 そして今――自身のスキルが覚醒し、本当の意味で過去と決別しようとしている……。



 まだ、やれるのか? 俺は……。



 ふとそこで腰の革ポーチに意識が向く。

 そこには、俺の未来を変えてくれた存在、魔導人形グリモワドールが入っている。



 無論、思い付くのは影縫いのレベルポイントを消費しての新たなスキル獲得。

 それを実行すればレベルは1にダウンする。



 それと同時に影を縫う能力が失われる可能性がある。

 併せて黒怒竜ニーズヘッグの拘束も解かれるだろう。



 そこまでの犠牲を払って、得られたスキルが使えないものだったら?



 それはもう目も当てられない状況になるだろう。

 だが、どちらにせよ最後であることには変わりは無い。



 だったら――

 賭けてみるか……。



 俺は影縫いに使っている一本を引き抜くと、魔導人形グリモワドールへ浸透させる。



 黒怒竜ニーズヘッグの体が微妙に動くが、まだなんとか押し止められている。



 糸が魔導人形グリモワドールの核を突いた時、例の文言が脳裏に浮かび上がる。




[ポイントを消費して魔導書を閲覧しますか?]




 当然、〝はい〟だ。



 そこに最早、躊躇いは無かった。

 直後、頭の中にいつものヤツが流入してくる。



「うっ……!」



 脳が受け止める強い感覚は一瞬だった。

 すぐにステータスを確認する。

 すると、




〈ステータス〉

[名前]ルーク・ハインダー

[冒険者ランク]F

[アクティブスキル]

 裁縫 Lv.10(強度+2 長さ+1)

 構造解析糸 Lv.3

 構造改変糸 Lv.3

 無体物縫製 LV.1

 構造構築糸 LV.1 NEW!

[パッシブスキル]

 影縫い Lv.1




 当たり前だが、そこには新しいスキルが追加されていた。



「構造構築だと……?」


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