第18話
「正直、あなたのことがわからない」
ベッドの上に寝かせられている。起きあがろうとするが、金縛りにあったように動けない。人魚姫の気怠げな声だけが、天井のスピーカーから聞こえてくる。
「ねえ、あなたって一体なんなの? クールぶってたかと思えば、急にお姉さんらしくしてみたり、かと思えば天才セラピストみたいに、病んだ魂を熱い言葉で救ってみせたり。思春期真っ盛りの15歳の割に、なんか年寄りみたいに落ち着いてるしさぁ」
何ならちょっと引いてるわ。
へらりと笑ったくらいにして、彼女は言葉を続けた。
「短剣の解釈もまあ、及第点ってとこかな。これだけ『物語は無意味』って言ってきたのに、善人面してナイフを捨てるバカなら二度と帰さないつもりだったし、刺したら刺したでドン引きだから病院で様子見、って算段だったからね。全部わかっててやったの? フェリスが止めに来ることも、彼女が短剣を捨てることも」
二つ目については、確信はなかった。でも、一つ目は概ね確信していた。そして短剣を持つ理由が私にないならば、他の誰かにはあるはずだ、とも考えていた。なぜなら現実に戻れるのは良いとしても、私には人魚姫における王子のように命懸けで愛した者や、どうしても剣で殺さなければならないほど憎い者など、一人もいなかったのだから。フェリスのことは最初こそ憎んでいたが、半生を見た後では、傷つけたいほどではなくなっていた。
ドラマチックな道具は、私には合わない。
一言で言えば、そんな直感頼りの行動ではある。
「うーん、ほんとにどうしたものかなぁ。最初はからかってすぐ帰すつもりだったんだけど、だんだんイライラしてきたよ。もっと苦しむところが見たかったのに、風見鶏みたいにころころキャラ変えちゃってさ。あなたみたいなのが一番嫌い。他人には色々言うくせに、自分の本心は絶対に見せないやつ」
「それは……あなたもでしょ」
思わずそう言い返すと、けらけらと彼女は笑った。
「え、なぜそう思うの? 私の心はとっくに見せてるじゃない。人魚姫のような悲哀に染まった心。このアクアリウムからどこへも行けない、苦しみに満ちた心だよ」
「本当にそうかな。だって今のあなたは、なんだか楽しそうだもの。不幸不幸って言いながら、時々すごく幸せそうな気が……」
その時、キーン——と普通より数十倍は大きなハウリング音が部屋中に鳴り響く。思わず耳を塞ごうとしたが、やはり体が動かない。心臓がバクバク鳴り、両の鼓膜が破れるか破れないかの瀬戸際になったとき、やっと音響の拷問から解放される。
「あらあら、私も随分舐めた口を利かれるようになっちゃったな。あの
私は乱れた息を整えながら、怒るというよりも半ば呆れてしまった。この人は、ここであれだけ激しい慟哭や涙を見てきて、何一つ思うところがなかったのか? どうしてそんな乾いた感想を抱けるのか、全くもって理解できない。
確かに私も最初、イヤホンで人の話を聴かせられていた時は、心揺さぶられることなどなかった。
でもこうして触れる近さで、声を聞き、想いを聞けば、さすがに何かしらは感じ取る。同じ人間なのだから。
この人にはきっと、何を言っても無駄なんだな。
そんな風に思ってため息をついた途端、こちらの冷めた思考をめざとく見抜いたかのように、人魚姫が放送のボリュームを大きくした。
「は? ねえ、何、その顔。まさか軽蔑のつもり? あはは、笑える。あなたに軽蔑される筋合いなんてないんだけど。だって親の命より優男との同棲を選んだ、男好きの親不孝なマセガキでしょ? おまけに友達まで男とか。時々いるよね、そういう女。女といるより男といる方が楽だとか言って、結局自分がちやほやされたいだけのビッチがさ。ねえ、優男とは何回寝たの? 3Pはした?」
あまりにも下衆な質問に、思わずかあっと顔に熱が集まる。突然何てことを言うのだ、この人は。
「気持ち悪いこと言わないで。そんなことするわけないでしょ」
「へー。じゃあ一人で寂しくしてたんだ。あ、でも二重人格だから、『二人で』って言うのが正しいかな? 右手が恋人みたいな感じ? それとも鏡でも見ながらしちゃうわけ?」
「……」
沸き上がる怒りと屈辱、そして言い知れぬ嫌悪で頭がどうにかなりそうになる。あまりに腹立たしすぎて、返す言葉も浮かばない。最低女。死んで当然。色々と脈絡のない罵詈雑言が頭を巡るが、ここで喚き立てては思う壺だと思い、一度深く呼吸をした。そして言った。
「やっとわかったよ」
「何が?」
「あなたに子供がいなかったのは、あえて産まなかったとかじゃなくて、性格が最低すぎて誰にも相手にされなかったからだってね」
その瞬間、けたたましい笑い声と共に、部屋の電灯が点滅し始める。
地響きに似た音がして、室内の壁や床が小刻みに揺れ出す。映画などで見かけるポルターガイストのようだった。ただ幸いだったのは、ここが精神科病院の病室で、ほとんど物がなかったことだ。ベッドから動けない私には、上から物が落ちてこないことだけが救いだった。
「あなたってほんと残念な子! 自分の立場もわからないみたいだね。私が望めばいつだって殺せるんだよ——なんなら、あなたを地獄に送ってあげてもいい。食い意地の張った雌豚さんにとっては特別最悪な、とっておきの地獄にね」
まだ続くのか。
私はさすがに疲れてきていた。地獄というなら、もう今も十分地獄にいる気分がしていた。地鳴りが更にひどくなったかと思えば、目の前がぐるぐると回り始め、やがて病室の壁と同じ、真っ白な色に染まっていった。
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