第44話 文化祭(中編)

 マイコン部の部室に戻ると、私と善彦以外で劇に参加する全員が既に戻ってきていた。


 発表者役は善彦。今回は結局、「宿題最適化問題」という形で、一種のスケジューリングに関する問題を取り扱うことにしたみたい。


 指導教員役は私。特に発表に対して聴衆からツッコミがあった時にフォローを入れる役目。場合によっては善彦に対してきつい指導をする役目にもなるけど。


 座長(司会)役は翔吾君。発表準備を促したり、残り時間を知らせるチャイムを鳴らしたり。質疑応答の橋渡しや、質問がない場合に場を温めるための質問をする役目もある。


 聴衆役は結菜ちゃんと部長の東条影彦さん。第三者的な目線から発表についてツッコミを入れる役目だ。発表者が未熟な場合に、聴衆と発表者でやりあいになることもしばしばで、そういう時に指導教員のフォローが入ることだって多い。


 そして、当日に急に決まったのだけど、増原先生まで来られていて、なんでも聴衆役をやらせてほしいとのことだ。当日だと台本読み込む時間がないですが、と疑問を投げかけたところ「アドリブでなんとかなるよ」との答えで、そこはかとなく不安になる。


 開始時間になると、結局学内外合わせて30名ほどの人が席に座って開始を待っていた。「研究発表の実際のところ」という案内だったのだけど、意外に興味を持った人は多かったのだろうか? 


「では、研究発表会を開始したいと思います。洛王高校の織田善彦さん、発表をお願いします」


 司会役の翔吾君がそつなく善彦に発表を促す。うん。研究発表の雰囲気がよく出てる。


「洛王高校の織田です。今回は「宿題最適化問題のモデル化」と題して発表します」


 宿題最適化問題。善彦が今回の劇のためにでっち上げた問題だ。もちろん、でっちあげと言っても現実の宿題を解く問題のモデル化として最低限の要件は満たすようになってはいる。


「ここにいる皆さんにお尋ねしたいのですが、今、同学年や先輩、後輩の皆。あるいは大学生以上の方々。宿題の提出期限を前にして、「もっと早く宿題に手を付けておけば」と後悔したことはないでしょうか?あ、これはマジな質問ですからね」


 おどけて言う善彦の台詞を前に観客席からどっと笑い声が聞こえてくる。

 宿題はきっと現役の高校生でも、昔高校生だった人でもきっと共通の悩み。

 だから、どこかしら共感するところがあったんだろうと推察できる。


「では、この中で、宿題の提出期限に遅れて先生に叱られたことがある人。手を挙げていただけますか?あ、もちろんだから何という話なんですけど、そのような人は今回の研究発表が役に立つかもしれません」


 その言葉に、ちらほらと手が挙がる。ざっと10人といったところ?

 こういう質問は実際に経験があっても挙手するのを嫌う人は多いから。

 10人も挙手したのなら上出来。


「お。10人も。きっともっとたくさんの人が宿題の期限に間に合わなかったことがあるんですね。では、いよいよ本題に入りましょう。今回提案する「宿題最適化問題」は、ある期限までに提出しなければいけない宿題ーこれは当然複数ありますねーをどのような順序で、毎日どの程度解けば締め切り前に提出可能な宿題を最も多くできるか、という問題です。なお、一日に宿題のためにかけられる時間は変わらないものとします」


 宿題最適化問題、という突飛な言葉にまた観客席からどっと笑いが起こる。

 それもそうか。研究というと皆はきっともっとお堅いものだと思い込んでいる。

 本当の意味での研究は別に高尚なものとは限らない。

 研究は日常に存在する様々な問題を取り扱える奥深さがあるのだ。

 善彦もなかなか頑張るわね。改めてそう思う。


「さて、宿題を期限内に解くといっても、そもそも「宿題」とは何なのでしょうか?ここで、宿題を次のような組として表すことにします。専門用語でタプルといいますが、そのあたりはいったん忘れていただいて問題ありません」


H = (科目, 期限, 問題数, 難易度)


 そんな式が真っ暗な部室のスクリーンに投影される。


「ここで、科目は現国や数学、物理や科学といった科目名が入ります。期限は10月10日といった日付。問題数は宿題の問題数、難易度はS〜Fまでの7段階とします。たとえば、例として次のようになります」


 再び次のスライド。


H1 = (数学, 10月10日, 10, S)

H2 = (現国, 10月10日, 15, A)

H3 = (物理, 10月10日, 8, S)

...

Hn = (..., 10月10日,...,...)

H_1010= {H1, H2, ..., Hn}


「この中で、H_1010が、10月10日までに提出しなければいけない宿題の集合を表します。H_1201だと12月1日までに提出しなければいけない宿題の集合になります。ある期限H_dまでになるべく多くの宿題を終わらせるにはどうすればいいいかを考えるのが宿題最適化問題の骨子になります」


 観客席からクスクスと笑いが溢れてくる。

 ここでウケを取れるか不安だったけど、反応は上々。


「さて、宿題最適化問題を解く上でもう一つ重要になるのが生徒の能力A(Ability)です。たとえば、集中力。ある問題を同じ時間で効率良く解く能力は重要です。学力も重要ですが、これは科目毎に違うとするのが妥当でしょう。たとえば、現国が得意で数学が苦手な生徒もいますし、逆の生徒もいます。どの科目も得意でない人もいるでしょう。学力は難易度と同じく、S〜Fまでの7段階評価とします」


 その言葉とともに、次の式が投影される。


A = (集中力, 学力[数学], 学力[現国], 学力[古文], 学力[漢文], 学力[英語], 学力[物理], ...)


(でも、単なる劇のために結構色々考えるものよね)


 もちろん、研究としてスキがあるものにしないといけない。

 それにしても、夜を徹して色々考えたんだろうなというのが伝わってくる。


「ここからH、つまり宿題の性質や、A、つまり生徒の能力を元にしてもっとも多くの宿題を解く方法について考察しますが、一つ重要な観点があります。集中力Wは一定ではなく、宿題の期限が迫るにつれて上がってくるという性質があることです。このことは先行研究[matsuo2005]でも示唆されているところです。[matsuo2005]では集中力に関係する値としてネルー値が提案されていますが、本研究では締め切り3日前までは集中力は一定であり、3日前から集中力Wが非線形に増加するモデルを考えます。集中力の上がり方は様々ですが、期限直前になって急速に集中力が挙がる経験をした人は多いのではないかと思います」


W_d (期限 - d) > 3の場合 = 1

W_d (期限 - d) <= 3 の場合 = 1 + (3 / (期限 - d))


 次に提示された式はやや無茶苦茶だ。

 (期限 - d) > 3の場合、つまり締め切りより4日前までは集中力は一定。

 これはいいとして。

 (期限 - d) <= 3の場合、期限が近づくにつれて集中力が無限に増加してしまう。

 この発表で、日数の単位は1 = 1日となっている。

 一方、最小の時間数は分なので、

 1分 = 1 / (24 * 60) ≒ 0.0006。

 1時間 = 1 / 24 ≒ 0.04。

 ちょうど1日前だと集中力は1 + 3 / 1、つまり4倍。

 それが残り12時間になると、1 + 3 / 0.5、つまり7倍になる。

 残り6時間になると、1 + 3 / 0.25、つまり13倍にまでなる。

 残り3時間になると、1 + 3 / 0.125なので、集中力は25倍。

 残り1.5時間になると、1 + 3 / 0.0625なので、集中力は50倍。


 少々やりすぎのように思える。


(でも)


 こういうところはあとで指摘をうけることになっている。


「学力と難易度によって、問題を解く速度も変わるでしょう。たとえば、現国が苦手な生徒は得意な生徒に比べて、現国の宿題を解く速度は落ちるはずです。かなり単純化した仮定ですが、学力Arと同ランクの難易度Drの宿題を解く速度V = 1として、V = 1は1時間辺り宿題の1問を解ける速度とします。また、学力Arに対して、1〜7までの数値を割り当てます。また、集中力も加味すると以下のような式を導くことができます」


Ar = {F = 1, E = 2, D = 3, C = 4, B = 5, A = 6, S = 7}

Dr = {F = 1, E = 2, D = 3, C = 4, B = 5, A = 6, S = 7}

V = W * (ar / dr) (arはある科目についての学力、drは特定の宿題の難易度)


 この式に従うと、ある科目について学力がSの生徒は、集中力W = 1とすると、難易度Bの問題を、ar / dr = 7 / 5 = 1.4倍で解けることになる。でも、難易度Fの問題は、ar / dr = 7 / 1 = 7倍で解けることになるけど、学力が高い生徒は低難易度の問題を7倍で解けるというのは現実的だろうかという疑問が生まれる。


「ここまで来たので、どういう順序で宿題を片付けていくと期限までに片付けた宿題数を最大化できるかという問いを考えることができます。ポイントは集中力は締切が3日以内になると急速に増加するということです。集中力が低いうち、つまり締め切りまで4日以上ある場合は学力に対して低難易度かつ問題数が少ない問題から取り組むのが良いということが言えるでしょう。」


 うーん。低難易度かつ問題数が少ない問題とはいっているものの、より難易度が低いが問題数が多い宿題と、より難易度が高いが問題数が少ない宿題のどちらを優先すべきかが明確でないのはやっぱり疑問。


「一方、集中力が高くなっていく期間、つまり締め切り3日以内では集中力が非線形に急激に上がっていくという性質があるので、学力に対して高難易度の宿題を解くことに力を割くと良いと言えます。このモデル上では、学力と難易度の差がもっとも大きい生徒は1問を解くのに最大7時間かかる計算になりますが、締め切り12時間前では1時間で解けることになります」


 これもどうだろう。学力に対して難易度が見合っていない場合、本来はいくら時間をかけても宿題が解けないのではという疑問が湧き上がってくる。本来は生徒によっては無限時間かけないと解けない宿題が存在しているべきなのだけど、このモデルはうまくそのような現実を反映できていないように見える。


「ここから、宿題最適化問題についてスケジューリングの仕方を定式化できそうなのですが、時間の都合上、そこまではできませんでした。また、このモデルが現実にどの程度あっているのかについても実験できていません。これらの点は今後の課題としたいと思います」


 こうして、発表役としての善彦が一通り説明を終えたのだった。


「では、質疑に移りたいと思います。質問のある方は挙手をお願いします」


 翔吾君が聴衆に質問を促す。

 まず、挙手したのは部長。


「洛王高校三年の東条影彦です。大変興味深い発表ありがとうございました。ただ、式のいくつかについて根本的な疑念があります。たとえば、


W_n (期限 - d) <= 3 の場合 = 1 + (3 / (期限 - d))


という式ですが、期限に近づいていくにつれて集中力が無限大に増加するモデルはあまりにも非現実的ですし、3というパラメータも恣意的なように感じられます。このようにした根拠はなにかあるでしょうか?」


 締切りに近づくにつれて集中力が無限大に増加していくのは確かに誰しも疑問に思うところだ。


「ご質問ありがとうございます。確かに、期限に近づいていくにつれて集中力が無限大に増加するのはやや非現実的ですが、実際には残り12時間でも集中力は7倍です。この辺りであれば比較的現実的なようにも思えますし、現実の測定データを元に、期限がこれ以上近づいても集中力が上がらない時期を見つけ、それを元に修正を加えることは可能だと考えます」


 回答を受けて思ったのは、それでも集中力の増加傾向について、(3 / (期限 - d))という式の根拠が薄いのではないかということ。


「すいません。私からも質問よろしいでしょうか」


 次に挙手したのは結菜ちゃん。


「洛王高校一年の北条結菜です。モデルに修正を加えるという方法に異論はありませんが、そもそも論として集中力の増加を(3 / (期限 - d))という式で説明できる根拠が示されていないように思います。これは研究の根本的な欠点ではないでしょうか」


 そう。集中力がある時期を境に急激に増加するというのは説得力があっても、式があまりにもその場しのぎ(アドホック)に作られているというのは根本的な欠点だ。


「織田です。ご指摘ありがとうございます。確かに、この式自体が根拠がないのではというのはおっしゃる通りですし、あくまで経験則を元に作った式に過ぎません。ただ、今後実験を行う過程でより適切な式が見つかるのではと考えています」


 今回はあくまで研究の途中経過を発表するという趣旨のお話だ。だから、ある程度いい加減なところがあっても、質疑応答に対して素直に欠点の指摘を受け入れればある程度許されるところはある。


「京都国際工科大学の増原です。宿題をより最適な方法で効率良く解きたい、という問題意識はよくわかります。しかし、現実には宿題へのモチベーションや体調、共同で宿題に取り組む仲間がいるかといった要素の方が大きいのではないでしょうか。モデル化は良いのですが、研究として取り組む上では、このような影響要素が大きいパラメータを無視しすぎではないかという印象を受けます。現実に宿題を解く上で今回の研究がどのように役立つのかお教えいただけると幸いです」


 増原先生の指摘はもっとも根本的なものだ。つまり、モデル化するのはいいが、現実世界における重要な要素を捨てすぎて、単なる机上の空論になっているのではないか、という指摘だ。


「割り込んですいません。共著者の徳川涼子です」


 本当は別のタイミングでフォローを入れるはずだったのだけど、増原先生が突然アドリブで根本的な疑問を投げかけてきたので、こちらもアドリブでなにかしなければいけない流れになってしまった。


「おっしゃる通り、現実に宿題を解くという問題に対しては、考慮するパラメータが足りていないのではというご指摘はもっともです。しかし、現実に宿題に対して取り組むとき、体調をいきなり良くしたり、宿題に取り組んでくれる仲間を増やすのは非現実的です。現実を考えると、そのような要素を捨てたモデル化にも一定の意義はあると考え、研究を行ってもらっています」


 実際のところ、このフォローはやや苦しい。そもそも他のパラメータにしてもアドホックに善彦が決めた部分があまりに多いのだ。


「にしても、織田君の作ったモデルにはあまりにも恣意的な部分が多いのではという疑念が拭えませんが……」


 これ、劇なんだけど。増原先生、忘れてないよね?

 なんだか本気で指摘にかかってるような?


「織田です。恣意的な部分が多いのではというご指摘についてですが、理解できる部分はあるものの、質疑応答の時間では説明しきれません。質疑応答の後に個別に議論させていただければと思うのですがいかがでしょうか?」


 対する善彦も、質疑応答の時間では無理なので、場外で議論しましょうというたまに使われる戦法を駆使して対抗。


「えーと、議論が白熱しているところすいません。質疑の時間を大幅に過ぎていますので、いったん打ち切らせていただけると助かります。残りの議論は別途していたいだいて構いませんので」


 ここで、座長役の翔吾君からのストップ。

 議論が白熱しすぎて質疑応答の時間を全部消費することだって時々ある。

 当初の予定になかった筋書きだけど。


「ありがとうございます。では、ご清聴ありがとうございました」


 善彦がお辞儀をして、何やら少しつらそうな顔をして退場していく。

 予定外のハプニングもあったし無理もない。


「増原先生?今回、あえて穴がある発表にしたわけですし、あそこで本気で来られると少し困ってしまいます」


 終わった後に先生に苦言を投げてみる。


「悪いね。劇だとわかってはいたつもりなんだけど、つい白熱してしまってね」


 申し訳ないと謝られるけど、正直少し心臓に悪かった。


「結果として盛り上がったので良かったですが」


 白熱しすぎたやりとりを見た観客の人たちは、


「研究の世界って怖い」

「テレビとかで出演してる研究者もこういう世界で生きてるんだなあ」

「こんなガチバトルやってるなんて思ってなかった。すげえよな」

「でも、俺には研究者無理そうだわ」


 などと、質疑応答の激しさに対しておののいていた様子だった。

 確かに、普通の人が研究者の世界の質疑応答を見たら卒倒ものだ。

 劇ということで流れをコントロールしてもこれなのだから。


(でも、うまく終わった良かったかしら)


 そういえば、善彦の姿が見えない。

 

(なんだかやけに疲れてた感じだけど)


【そういえば、善彦はどこにいるの?さっきから姿が見えないけど】

【屋上。ちょっと疲れたから休んでる】

【わかった。これから行くから】


 考えてみれば、この劇で一番消耗したのは彼のはず。

 肉体的にも精神的にも。


(ちゃんとねぎらってあげないとね)


 屋上で彼は何を思っているんだろう。 

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