第36話 研究者が恋に落ちてみたら

 明くる朝。


「ふぁー。眠い」


 あくびを噛み殺しながら、二人で登校する。


善彦よしひこ、目にクマが出来てるわよ。寝たの?」


 隣を歩く涼子りょうこは少し心配そうだ。

 

「午前五時になって、寝ないとまずいと気づいた」

「ちゃんと寝ないと駄目よ?」

「お前も考え事に夢中になったら、寝るの忘れる事多いだろ」


 昨夜は、文化祭での出し物について頭を悩ませて、気がついたら明け方になっていた。


「それはそうだけど……文化祭のことで考え事?」

「当たり。考え直したんだけど、さすがに決定不能問題は難しすぎるよなあと思って、別案考えてたんだけど、なかなかいいアイデアが思い浮かばないんだよ」

「そうね。私も、あれから少し考えたのだけど、決定不能問題は、題材として難しすぎるんじゃないかと思ったわ」

「だよなあ」


 こう、もうちょっといいアイデアが思い浮かべばいいんだけど、涼子の奴もうーんと考え込んでいるし、いいアイデアは無さそうだ。


 そして、いつものように登校したのだが。


「おはよう、お二人さん……て、善彦、寝てないのか?」


 級友の西原翔吾にしはらしょうごからも心配されてしまった。

 

「文化祭で、研究のこと伝えるためのネタ考えてたら、朝になってた」


 しんどいので、机にべたーんとなる。


「その考え事で、朝まで時間使える体力に尊敬するわ」

「やー、しかし、せっかくやるなら全力でやりたいだろ」


 手を抜く時は抜くけど、全力でやると決めたらやりたい。


「さすがに若き研究者だけのことはあるな」


 と、急に褒めだす翔吾に俺たちはビックリだ。


「ど、どうしたんだ?」

「ね、ねえ……」


 二人目を見合わせてしまう。


「いや、前からそこんとこは尊敬してたぞ?」

「の割には、よーわからんって感じだったと思うが」


 それに、無理もないとも思う。


「実は、アプリで無料で読める漫画があったんだけど」

「ん?」

「それ読んで、お前ら、すごいことやってるんだなと実感したわけ」


 漫画?


「まさかと思うけど、研究の事でも書かれてたのか?」

「ああ。プロのお前たちにしてみれば、どのくらい本当なのかわからんけど」

「タイトルとか内容を詳しく」


 一晩悩んでいたが、それはいいヒントになりそうだ。


「ちょ、急に詰め寄るな!」

「そうよ、善彦。夢中になると、我を忘れるのは昔からだけど」


 と、少し引いた様子の翔吾と、呆れた涼子だった。


「『理系研究者が恋に落ちたので、反証してみた』ね。よく、連載出来たな」

「そうね。普通の人が興味を持ちそうにない題材だもの」


 漫画のタイトルを聞いて思ったのが、そんな感想。


「いや、俺も専門用語はさっぱりだったけど、恋愛絡みの事を何でも理屈っぽく考えるのが、なんか面白いんだよ。学会発表だっけ?その描写も迫力あったしな」

「学会発表の描写まで?それはもう、読むしか無いな。サンキュ」


 さっさとスマホを出して、漫画を検索して購入。

 電子書籍はこういうところがいい。


「お、おい……もう読み始めてるな」

「昔からこうなのよ。熱が入っちゃうとね」


 なんだか、生暖かい目で見られている気がするけど、気にしない。

 ていうか、涼子だって人のことは言えない癖に。


「いやー、しかし、夫を見守る妻の図って感じだな」

「……ちょっと。そんなんじゃないわよ」


 なんだか、涼子が妙に反応しているけど、俺はスルー。

 ささっと漫画を読んでしまわないと。


 そして、授業中も。

 久しぶりに、特権を行使して、PCの電子書籍アプリで読み続ける。

 既刊9巻を昼休みまでに、全部読破してしまった。


 ちなみに、涼子の奴もしれっと電子書籍を読んでいる様子が伺えた。

 なんだかんだでこういうところは似た者同士かもしれない。


「はい、お弁当」


 いつものように、お弁当を作ってきてくれたらしい。

 

「あ、そういえば、朝食とるの忘れてた」

「もう。朝食はしっかり食べないと……」

「わかった、わかった」


 説教になりそうだったので、ご飯をかきこみ始める。

 あー、美味い。


「空腹は最大の調味料っていうけど、ほんとだな」

「喜んでくれるのは嬉しいけど、味を褒めて欲しいところね」

「いや、そっちももちろん、いつも通り美味いけどさ」


 しかし、朝ご飯を食べてないと増して美味しいのも事実。


「で、リケ反、最新巻まで読んでみたんだけど、これは使えるな」


 『理系研究者が恋に落ちたので、反証してみた』略してリケ反らしい。


「そうね。恋愛ものフィクションにすれば、というのは盲点だったわ」

「だよな。あとは、どう文化祭に繋げるかだけど……」

「もう思い浮かんだの?」

「たとえばだけど、寸劇とかどうだ?学会発表の様子を、俺と涼子、あと結菜辺り巻き込んでやる感じの。少なくとも、雰囲気は伝わると思うんだ」


 そう。研究内容を伝えよう、伝えようというところに思考が偏っていたけど、そもそも学会とはどういう雰囲気で、どんな事が行われているのか伝えないと話にならないのだ。


「案としては悪くないと思うけど……人数足りるかしら?」


 そうなんだよなあ。そこが問題だ。


「座長役だろ。発表者役だろ。指導教員役と、二人くらいは参加者枠欲しいな」

「最低五名ね。結菜は協力してくれるとして、あとはマイコン部内で募集かしら」

「翔吾にも頼んでみたいところだな」


 というわけで、急速に、案が固まっていく。


「それで、模擬学会発表はすすめるとして、もう一つくらい欲しいな」


 コンテンツの性質上、限られた時間にしか行えないという弱点があるし。


「気持ちはわかるけど、欲張り過ぎよ」


 対面の涼子は苦笑いだ。


「欲張り結構。で、もう一つ案があるんだけど、小説とかどうだ?」


 フィクションという観点は目から鱗だったので、実は小説方面も調べてみた。

 多くはないものの、ネット小説では研究自体を取り扱ったものがあった。


「つまり、研究を伝えるための小説を書いて公開するっていうこと?」

「そうそう。小説書くのは初めてだけど、ノンフィクション系ならいけるだろ」

「概ね現実準拠ってことね。なんとか行けるかもしれないけど……」


 どうも納得が行っていないらしい。


「何か問題でもあるか?」

「それだと、難しいことをそのまま伝えようとする罠に陥るんじゃないかしら」

「うぐ。否定できない」


 確かに、淡々と学会の様子を文章に書き起こしたものが出来上がりそうだ。


「ライトな感じの短編恋愛ものにしてみるのはどう?」

「恋愛……もの?」


 普段、そういうのあまり読まないこいつが?


「何、意外そうな顔してるのよ」

「いや、普段、恋愛もの読んでないよな?」

「……それはおいといて」


 目を逸らされてしまった。

 まさか、意外なところで結構読んでたのか?


「ネット小説だと恋愛要素ありが受けが良いみたいだし」

「ツッコミは後にして、そうらしいな」


 小説案を出すにあたって、素早く検索をかけてみたところ、

 そういう傾向はあるらしい。


「でも、俺は、ラブコメ入れる技能とかないしなー」


 限りなく現実に近い読み物だったら、もちろん別だ。

 それこそ普段文章を書き慣れている俺たちの領域だし。

 しかし、ラブコメを書く技能は全く別だろう。


「私が書くわよ。善彦だと無味乾燥なものになりそうだし」


 流れからして、そうなるんじゃないかと思っていたけど。


「なんか、自信ありげだけど。実は小説書いたことあるだろ」


 そもそも、涼子は慎重派だ。

 こんなに自信ありげに書く、ということは、書いたことがあるんだろう。


「アカウントとかペンネームは絶対に教えないわよ?」


 やっぱり書いてるらしい。

 これは是が非でも見ないと。


「それは別にいいけど、俺は俺で探すぞ?」

「キーロガー仕込むとかは止めてね?」


 キーロガーはコンピュータへの入力を監視するソフトウェア。

 もともとは犯罪目的のソフトウェアではないものの、

 よく、アカウント乗っ取りなどに使われるものでもある。


「さすがにやらないって。文体とかからわかりそうだし」


 論文の共著者でもあるし、こいつの文体はよくわかっている。

 小説になっていても、ある程度はわかる自信がある。


「……ちょっと。さすがにそれは止めて欲しいのだけど」


 見破られる可能性を危惧したのだろう。

 お願いだから、と懇願口調だ。


「じゃあ、涼子のアカウントはいったん保留ということで」

「永遠に保留でお願い!」


 涙目になっている。本当に知られたくないらしい。


「とにかく、そういうことなら、涼子に小説は任せた」


 こいつのことだ。一応、完成させる目算あってのことだろう。


「ただ、俺も、その小説だけは事前にチェックさせてもらうからな」

「それも恥ずかしいけど……出し物だし、仕方ないわね」


 こうして、俺達の文化祭の出し物が決まったのだった。

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