第30話 その日の夕方

 部活が終わった後、いつものように三条通りを帰る俺たち。

 しかし、涼子りょうこが何やらウンウン唸っている。


「ひょっとして、文化祭での展示のことか?まだ先だし、急がなくても」

「それもそうなんだけど、つい、考えちゃうのよね」

「伝わった方がありがたいのはたしかだよな」


 少なくとも、どういう意義があるかをもう少し一般の人相手に説明出来れば。

 つられて、俺も思考を再開してしまう。

 俺たちの専門である、形式文法および形式言語理論は、基礎分野の一つだ。

 正規表現、構文解析、モデル検査などの静的解析など応用も幅広い。

 しかし、プログラマじゃない人に正規表現では通じないだろう。構文解析も。

 モデル検査まで行くとさらに絶望的だ。プロのプログラマでどれだけ通じるか。

 しかし、そこまで考えて、面白い論点がある事に気がついた。


「なあ、涼子。言語クラスの話をメインにしてみるのはどうだ?」


 言語クラスというのは、各形式言語の表現力を表したものだ。

 正規言語⊂文脈自由言語⊂文脈依存言語⊂帰納的加算言語

 といった、包含関係があることは知られている。

 この内、帰納的加算言語は、普通のプログラミング言語なら何でも表現できる。

 言い換えれば、「プログラミング言語」が形式言語でもっとも強力といえる。


「さすがに、それは難しすぎるんじゃないかしら?」


 涼子の懸念ももっともだ。俺が言いたいのは別方面だ。


「まあ、文脈自由以上は難しいけどさ。たとえば、正規表現はわからなくても、全ての.htmlファイルを表せる表現と言い換えたらわかってもらえる気がしないか?ホームページを作る人でも、そういうのだったらわかりそうだし」

「「全ての」だと弱すぎる気がするけど、そうね。"(index|index_ja).*\.html"とか、 もうちょっと正規表現の特性を活かした例にするのはいいかもしれないわ」

「だろ?でも、そこまでは身近だけど、やっぱ文脈自由の例は身近じゃないよな」

「結局、構文解析の話になっちゃうものね。でも、正規表現までなら理解してもらえそうな気がしてきたわ。再帰構造がないから、ちょうどいい気がするし」


 だよなあ。再帰が入ると、プログラマ相手でも色々しんどいのだ。


「よし、その方向で考えることにしようぜ」

「これで、少しは学校内での理解が深まればいいわね」

「これだけだと地味だよな。あとは、俺たちが書いた論文でも展示するか?」

「絶対わかってもらえないわよ?」

「「XX学会で最優秀量論文賞を受賞しました」と言えば、それっぽくないか?」

「そういう権威に訴えるのはあんまり好きじゃないけど……仕方ないわね」

「だいたい、普通の人って、年に1回のノーベル賞の時はテレビとか見るわけじゃん。なら、章を受賞した論文書いてます、は有りだと思うんだよな」


 幸い、先日の国際学会では最優秀論文賞をもらっている。

 表彰状でも飾っておけば、それなりに見栄えはするだろう。


「あ、あと!なにか作ったプログラムでも載せましょう?」

「いやしかし、俺たちの研究に関係あるってーと、構文解析器とかコンパイラ、インタプリタとかになるぞ。地味過ぎるって」

「でもほら、最近はBlockly(※実在します)があるじゃない?あれ使って、プログラムがグラフィカルに表示出来るようになってると、イメージが伝わると思うのよ」

「確かに、それいいな。サクっとJavaScriptぽい言語のインタプリタでっち上げて、Blockly改造してみるか」


 当初、絶望的に思えた文化祭の展示。

 でも、話し合っていると色々アイデアが出てくる。


「そうね。じゃあ、今夜早速……」


 と意気込み始めた涼子だけど、俺は制止する。


「まあまあ、焦るなって。時間は十分あるんだからさ」

「……そうね。つい、アイデアが出てはしゃいじゃったわ」


 そんな事を楽しそうに言う涼子。

 その姿を見て、ふと、思いついたことがあった。


「なあ、今週末はデート、行かないか?」

「もちろん、いいけど……どうしたの、急に」


 涼子は目をまんまるにして驚いた様子だ。


「つい研究の世界に入っちゃうだろ。デートが疎かになってたって気づいたんだ」

「……どっちかっていうと、私のせいね」

「いやいや、そこは俺も同罪。で、だ。その、俺としてはだな……」


 もごもごとしてなかなか言葉が出てこない。

 キスまでは行ったのだ。それに、付き合いの長さで言えば、俺達はピカイチだ。

 その先を言ってもいいだろう。

 なのに、とても勇気が要る。


善彦よしひこ、どうしたの?」

 

 もごもごとした俺を心配したらしい。心配そうに声をかけてくる。


「いや、えーと。驚かないでほしいんだけど……」

「ん?デートで変わった趣味のところにでも行きたいの?」


 涼子の奴もまたずれた予想を。


「えーとな。そろそろ、キスの先にも進んでみたいかなー、なんて」


 我ながらチキンな言い回しだ。いざとなったら冗談と言い逃れられる。

 さて、どういう反応が来るか。じっと待っていると-


「善彦も、ちゃんと、私の身体、魅力的に思ってくれてた、のね」


 少しだけ、ほんと少しだけ、頬を赤らめて嬉しそうな声がかえってきた。


「そりゃな。ひょっとして、自信なかったりしたか?」

「少しだけ。善彦はキスまでで満足してるのかな、とか」

「それは悪かった。本当に」


 そう取られても仕方ない態度だった。


「じゃあ、私も、心の準備、しておく、から……」

「あ、ああ。でも、もちろん、デートの最後に、だからな」

「言わなくてもわかってるわよ。途中だったら、凄い微妙よ?」

「だな。とにかく、色々と……頼む」


 我ながらなんとも色気の無い言葉だと思う。


「ぷふ。頼むって、その、デートに誘う男性の言い回しじゃないわよ」


 本当に、本当に、可笑しそうに言われてしまうが。


「付き合い長いんだから、そのくらい見逃してくれよ」

「だから、見逃してるじゃないの?ちょっとツッコミいれたかっただけ」

「お前にツッコミ食らうとはなあ。俺も堕ちたもんだ」

「私がいっつもボケてるみたいだけど?」

「いや、そう言ってるんだが」


 いつものようにワイワイと話しながら、部活後の夕方の道を歩いたのだった。

 というわけで、次のデートは色々準備しておかねば!

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