第20話 研究集会(2)~編集委員会~

 LANGラングの2番目の発表は、高知産業大学こうちさんぎょうだいがくのD3の人による、


深層学習ディープラーニングによる、新しいコード補完機能の提案』


 というものだった。ちなみに、D3は博士後期課程3年の事を指す呼び名で、学部、博士前期課程(修士課程)に続く課程だ。D3の人は、ストレートに行けば、博士論文を書く年度らしい。


 LANGは主にプログラミングやプログラミング言語を扱う研究会で、深層学習をはじめとするいわゆるAIは射程外なのだが、最近はAIと他分野の融合が進んでいて、このような発表も時折ある。


 AIというのは研究の世界では、バズワードだ。バズワードとは、かっこよく見せるだけの中身の無い言葉のことだ。だから、研究の世界でうかつに使うのは憚られる雰囲気がある。正確には、機械学習や、その中の一手法である深層学習といった言葉が使われることが多い。


 この発表は、深層学習を応用して、従来よりも精度が高く、しかも、ユーザ毎に異なる補完候補を提示するという手法を提案したものだった。俺たちは深層学習は専門外だが、関連研究を見ると、最近ちょくちょくあるものらしい。


 発表を終えた後、質疑応答の時間に移る。今回はこれといった質問が無かったので流したが、深層学習に詳しい先生方からは多数の質問が飛んできていた。さすがに、D3の人だけあって、淀みの無い受け答えをしていたのが印象的だった。


「しかし、あのデモはなかなか凄かったよな」

「ええ。まだ試作段階って言ってたけど、使ってみたいと思わされたわ」


 などと話しあっていたところ、増原ますはら先生が近づいてきた。


「これから、編集委員会があるんだが、良かったらどうだい?」


 先生の言葉に、俺たちは顔を見合わせる。

 

 編集委員会は、正確には論文誌LANG編集委員会という。

 論文投稿された発表などについて話し合う、らしい。

 しかし、俺たち若造が出る幕はないはずだけど。


「俺たちが出ていいんでしょうか?」

「なーに。これも勉強だと思えばいい」

「それなら、お願いします」


 というわけで、会場の国立計算機科学研究所の別のフロアに移動する。


「お茶、回してください」


 LANGでよく見かける先生の1人である、南城なんじょう先生だ。

 彼の専門は型システムだ。

 段ボール箱からお茶を取り出して、編集委員の人にまわしている。


「長丁場になるから、水分補給ってことなのかな……」

「そうじゃないかしら」


 などと、小声で話し合う。

 編集委員会がある部屋は四角に机が並べられている。

 そして、合計15人の先生が着席していた。


 俺たちも、空いている席に着席する。


「では、本日午後の編集委員会を始めたいと思います」


 南城先生が編集委員会の開始を告げた。さて、どんなやり取りが始まるのだろう。


「まず、最初の発表ですね。北東大学の方による『プログラミング言語Rustを使った新しいWebアプリケーションフレームワークRustyの提案』について審議に移りたいと思います。これは論文投稿なので、査読者の方、よろしくお願いします」


 最初に手厳しいツッコミを浴びていた発表だ。LANGでは、1つの論文投稿につき、1人の査読者、つまり、論文を見て審査する人が居て、その人の意見を元に編集委員会で討議するらしい。


「……ということです。正直なところ、新規性もそうですが、全体的に主張が弱いですし、論文の構成にも難あり、というのが正直なところです。私としては不採録にすべきだと考えます」


 査読者が意見を読み上げる。不採録というのは、論文誌に載らないということだ。論文の新規性が弱い、論文としての体裁がおかしい、多数の誤りがある、など理由は様々だが、掲載にふさわしくない時に下される判定だ。


「それでは、委員の方、何かご意見はありますか」


 南城先生が意見を求める言葉を発する。

 今回の編集委員会は、主に南城先生が仕切っているらしい。


「正直、あまり落としたくはないんですが、良いところを探すのが厳しいですね」


 山中やまなか先生が、眉に皺を寄せながら、端的な意見を述べる。穏やかな人で、ここまで厳しい言い方はあまり見ない。ただ、俺も同意見だ。落とす、というのは、不採録を表す言葉で、口語でよく使われる。


「私も同意見です。せめて、もう少し実験を拡充するなどしてくれれば、条件付き採録にするという方向も考えられるのですが」


 木山きやま先生が意見を出す。条件付き採録というのは、提出論文そのままでは掲載できないが、こちら側の求める条件に従って修正すれば掲載を認めるという判定だ。その先生が言っているのは、それすら厳しいという事だ。


 他の先生方も異口同音に、論文誌掲載には難色を示していた。全体的に、先生方は、むやみに落としたくはないが、それにしても、この論文の品質ではちょっと……というのが感じられた。


「では、この論文は不採録ということにしたいと思います。それで、査読レポートについてなのですが、学生さんという事もありますし、何か評価できるポイントがあれば盛り込みたいのですが……」


 南城先生が他の先生方に意見を求める。すると、場がしーんと静まる。


「少しいいでしょうか。私たちは、今回、出席は初めてなのですが……」

「ええ、どうぞ」

「不採録というのはわかるのですが、評価できるポイントというのは?」 


 論文誌掲載に相応しくない。それはよくわかる。

 だけど、評価できるポイント、というのがイマイチよくわからなかった。


「LANGでは編集方針として、不採録の論文についても、著者をいたずらに落ち込ませるのではなく、評価できるポイントを見つけて、積極的に励ますということになっています。特に、有望な学生さんが潰れるのは避けたいですから」

「なるほど」


 手心は加えないが、一方的に批判して終わりにしないということか。確かに、それは理解できる気がする。俺も最初にツッコミの雨嵐にさらされた時はキツかった。


「LANGだと、今までRustを使った研究発表はありませんでしたよね。そこを評価するのはいかがですか?」


 大島おおしま先生がコメントする。


「いやいや、それはちょっと苦しいですよ」


 木山先生がコメントする。

 

「確か、RustyはOSSとして公開されていましたよね。そこは評価できるのでは?」


 山中先生が意見を出す。


「ああ、なるほど。そこはアリ……かもですね」


 大島先生が賛同する。


「いやいや。OSSと研究それ自体は関係ないと思いますよ。ソフトウェア論文ならともかく、そこを評価ポイントにするのは……」


 再び、木山先生が否定的な意見を出す。


「そうですね……。改めて詳細に読み込む必要がありますが、RustyはRustの型システムをフレームワークで活用しているのが売りの一つでしたよね。Webアプリフレームワークにおける、型システムの活用を模索している事を評価するのはいかがでしょうか」


 厳しい顔をしながら、南城先生が落とし所を提案する。


「うーん。なるほど。私は、それはアリだと思いますよ。南城先生は型システムがご専門でしたよね。査読レポートに、その辺りを盛り込んでいただけますか?」


 否定的だった木山先生も、そこが落としどころだと感じたらしい。


「はい。ちょっとこういうのは骨が折れるんですが。わかりました」


 南城先生が、評価ポイントを書き加えることで、委員の意見も一致した。


「では、結論として、不再録なものの、Webアプリフレームワークにおける型システムの活用を模索している事を、研究として評価するという線で行きますね。正直、もう少し論文をブラッシュアップしてもらえたら、こんな良いところ探しをしなくて済むんですが……」


 南城先生がぼやく。そういえば、俺たちの論文が査読を受けたときも、かなり細かく、色々なコメントが並んでいたよな。査読の裏にはこんな苦労があるんだなあ。


 その次の発表については、「発表のみ」で、特に審議はなかった。

 こうして、編集委員会は終了した。


「論文を審査する先生方も大変なんだなあ」

「落とした論文でも、細かく配慮しないといけないんだものね」


 研究というのは単に論文を発表するだけでなく、

 審査をする人があって成り立っているのだということを知った1コマだった。

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