第3話 朝食と異文化交流

 翌朝。当然のことながら、ホテルの自室で目が覚める。


「眠い……」


 とはいえ、朝の9時から国際学会2日目が始まるし、学会で出される朝食は8時からだから、早く行かないとなくなってしまう。


 最低限の身支度だけして、会場に移動する。


 というわけで、会場であるホールの手前に着いたのだけど-


「パンばっかりだ……」


 多くのテーブルが並べられていて、そのそれぞれにパンがこれでもかという程盛られている。ただ、日本にいる時に見たことのない、堅そうで楕円状のパンがいっぱいあるのが特徴的だ。セルフサービスで各自が好き勝手に取って食べるらしい。


 そこかしこに置いてあるコーヒーメーカーからコーヒーを注いで、パンにジャムをたっぷりと塗って食べる。


「意外に美味しい」


 というのが正直な感想だった。味気の無いパンばっかりだと見た時には思ったけど、なかなかどうして悪くない。


 次に、チーズに手を出そうとしたところ-


「おはよう、善彦よしひこ


 後ろからする声に振り向けば、そこに居たのは涼子りょうこ。当然ながら、もう寝間着ではなくて、普段用の服だ。

 

 元々、そんなに飾りっ気のある服を好むタイプじゃない彼女だが、海外滞在では荷物の量に制限があるからか、とりわけ機能性重視のファッションで、下はロングスカートに、上は彼女の好きな柄のTシャツというラフな格好だ。


「ああ、おはよう。涼子。なんか、ちょっとカルチャーショックだ……」

「確かに、日本だとお目にかかれない風景ね」


 苦笑する声に辺りを見渡せば、外国人だらけ。日本人の方が少数派なのだけど、パンを食べながら何やら雑談や議論をしている。聞き取ろうと思えば何を話しているのかわかるだろうけど、英語脳えいごのうになっていない俺には少し荷が重い。


「しかし……」

「何?」

「いや、付き合う事になったわけだけど、実感ないなって」


 国際学会の事が頭から抜けないせいだろうか。正直、イチャイチャしたいという気持はあるのだけど、それよりも、学会の事が頭から抜けない辺り、我ながらどうかと思う。


「私も、あんまり実感は湧かないわね。それより、眠気が」


 その声とともに、可愛らしいあくびをする涼子。そんな彼女が恋人だと思うと、嬉しい気持ちが湧き上がってくる。


「ごめんなさい。時差ボケがまだ治らなくて」

「それは俺も同じ。十分寝たはずなんだけどな」


 そもそも、海外自体初体験な俺たちは、時差ボケという現象も初体験だ。寝たはずなのに、身体が睡眠を欲するというのは慣れない。


「とりあえず、コーヒーもう1杯飲むか」

「私も」


 揃って、コーヒーメーカーの前に並んで、2杯目を注ぐ。


「ひょっとして、コーヒーばっかりなのって、眠気対策か?」


 水やオレンジジュースもあるが、コーヒーが圧倒的に多い。


「他の参加者も、眠そうな人がちょくちょくいるわよ」

「よくわかるなあ」


 つられて見てみるが、相手が日本人じゃないからだろうか。あんまり眠そうかどうかはよくわからない。


「おまえ、人間観察っていうか、そういうのが得意だよな」


 日本に居たときからこいつはそうだった。周りの人の細かい身振り手振り、声のトーンなどから、相手の状況を察知するのが得意なのだ。


「私は、普通だと思うのだけど」

「おまえが普通なら、俺はド底辺だよ」


 そんな事を言い合っていると、ふと、


「Hi, Yoshihiko」


 英語で話しかけられた。Yoshihikoというのは、よしひこの事だろう。振り向いたところにいたのは、昨日俺の発表で質問をしてきた人だ。なんていったっけ。


『私は、Martin Winstonマーティン・ウィンストンだ。よろしく』


 ウィンストンさんと名乗った、昨日質問して来た人は、フランクな挨拶とともに、手を差し出してくる。握手をしようということだ。


『こちらこそ、よろしく』


 昨日の発表の後もそうだったけど、握手を初対面の人にするのはまだ慣れない。白人特有の大きな体格と腕をもつ彼の、がっしりとした手が上下に振られる。


『ところで、君は?』


 俺の隣に居た涼子に気がついたのだろう。


『私は、Ryoko Tokugawaといいます。よろしく!』

『おお。Yoshihikoの論文の共著者セカンドオーサーか。2人ともまだ若いのに素晴らしい』


 今度は涼子に握手を求めてくる。涼子もおそるおそる握手に応じている。


『ええと。昨日の発表、どうでしたか?』


 俺の発表がどうだったか気になるので、聞いてみる。


『いや、大変素晴らしかったよ。見た所……まだ10代かな?』


 俺と涼子を交互に見やる。まさしく10代、それも高校生だ。


『はい。高校生で、京都市に住んでいます。彼女も、同じく』


 そう、出身地を紹介する。


「Kyoto City?」


 なんだか驚いたような反応の、ウィンストンさん。


『はい。京都市です。それが何か?』


 急に声の調子が変わったのに戸惑いながらも、答える。


『それは羨ましい。私も京都は大好きなんだよ。もう何度観光で行った事か……』


 興奮気味にまくしたてるウィンストンさん。そういえば、京都好きな外国人というのは結構居るのだった。


『え、ええ、そうですね。素晴らしいところだと思います』


 とうとうと語る彼に戸惑いながらも、話をあわせる。隣の涼子も戸惑っている。


『そういえば、研究の話なんだけど、いいかい?昨日だけだとわからなくてね』

『ええ。どうぞ』


 そうして、昨日の質疑応答では言い切れなかったのだろう。俺たちの発表内容に対して、かなり細かく突っ込んで来る。


『なんでまた、新しい文法なんて作ろうと思ったんだい?構文解析なら、昨日の発表で言っていたように既存研究が山程あるけど』


 昨日の質問の時も思ったけど、この人は鋭い。直感的にそう思った。確かに、そういう意見は研究者の間でも根強い。しかし、答えを英語で用意するのは、結構ややこしいな。頭の中でいい表現を探していると、


『それは、文脈自由文法だと制限がきつすぎるからです』


 そう英語で割って入ってきたのは、涼子。


『制限?そういえば、昨日の発表でも言っていたね』

『はい。最近のプログラミング言語の文法はどんどん複雑化して来ています。それに対応するには、新しい文法が必要だと、私たち……特に彼が思ったんです』


 続けて、


『論文にはページ数の都合上、載せられなかったのですが』


 英語で淀みなく受け答えをする涼子。英語表現を頭の中で考えながら話してるレベルの俺とは英語力が段違いだ。


『なるほど。後で、もっと詳しい話を聞かせて欲しいね。それじゃ』


 そう言って、他の外国人のグループに加わるウィンストンさん。


「いや、助かったよ。俺だったら、もっとつっかえてたと思うし」


 助け舟を出してくれた涼子にお礼を言う。


「これくらいはね。善彦ももうちょっと英語勉強した方がいいわよ」


 厳しいお言葉。


「うぐ。それは、これからな」


 初めての国際学会で、英語の必要性は痛いほど痛感していた。俺も、英語論文を書くだけならなんとかできるが、こうやって深い議論を英語でしようとすると、限界を感じる。


「冗談よ。まだ、私たち高校2年生だもの」

「英語が流暢なお前に言われると、微妙な気分になるな」


 近所で育ったはずなのに、なんでこうも差がついたのか。


「でも、私達の研究にあれだけ興味を持ってくれるのは嬉しいものね」

「ああ、それは同意。日本で発表するのとはまた違うというか」


 ひよっことはいえ、研究をしている者として、自分の研究に興味をもって質問してくれる事程嬉しいことはない。


「まだまだ、私も頑張らないとね」


 自分に言い聞かせるような言葉。


「俺もだよ。まあ、一緒に頑張ろうぜ」

「そうね。、ね」


 涼子が爽やかな微笑みを返してくる。


「それは、研究者として以外もだよな」


 本音を引き出したくて、少し話を引っ張る。


「もちろんよ。帰国したら楽しみにしてるわよ」


 少し悪戯めいた微笑み。


「そこはちょっと自信がないんだが」

「別に、肩肘張らなくても大丈夫よ」

「そこは、男としては頑張りたいんだけどな」

「変に頑張っても失敗するだけよ」

「うぐぐ」


 否定できない。完璧なデートプランを練ったはずが、すっぽ抜けてこいつにフォローされる様子が目に浮かぶようだ。


(ま、いいか)


 今更、その程度で愛想を尽かされるものでもないだろうし。


 そんな朝の一幕だった。

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