オールナイトロング

高里 嶺

第1章 2月14日21時15分

 酒とは不思議なものだ、と宏樹は思う。酷い二日酔いの最中は酒なんてもう一生飲まない、と固く心に誓うのに、気が付けばまた飲んでいる。今日こそ一杯で終わりにしよう、そう思っても気が付けば空き瓶の山を築いて訳もわからず酔っ払っている。

 でも今日は違う、と固く決意する。自分にはやるべきことがある。この締切は自分にとって何よりも優先すべきものだ。これを守れなかったら俺は本物のクズだし、もうこの先の人生で何も達成できない気がする。親からの仕送りを酒に使い込むダメ学生でいるのはもう止めた。いま飲んでいる350缶が今晩最後の一杯で、もう次はない。この缶を握り潰したら俺はパソコンを開き、一心不乱に文章を書く。講義もちゃんと出るし、就活もすぐ始める。そう決めたんだ…。


 アパートの階段を登ってくる足音が聞こえ、ピンポンも鳴らさず乱暴にドアが開いた。

「おつかれですー!ってもう飲んでる!」

 頭に雪を乗せたまま、文芸部の後輩である鷹山がニコニコと部屋に入ってくる。後ろから無言で登場したのは身長190近い大男、宏樹の同級生の研二だ。2人はそれぞれスーパーの袋をどさっとこたつの上に置く。確かめるまでもなく、中身は酒だ。


「遅かったな、待ちくたびれた」

「いやほんとに酷い天気ですよ、来ただけでも褒めてくださいよお」

 鷹山は早速こたつに潜り込んだ。

「橋本も呼ぼうぜ。どうせ暇だろ」

 同じくこたつに足を突っ込んだ研二が言う。足元から急に冷気を感じる。

「原稿やばいから家に籠るってよ。あいつ今回やたら気合入れてたから」

先程の決意を完全に忘れ、2本目の缶ビールに手を伸ばしながら宏樹は答えた。2人もプルタブを開け、ぬるっと宅飲みが始まる。

「三麻やるのも張り合いないしなあ。誰か呼びましょうよお、この際文芸部以外でもいいから」

 こたつの上に散らばった麻雀牌をつつきながら鷹山が投げやりに言う。

「なんで麻雀の流れなんだよ。あてがない訳じゃないけど、この天気だからな。それにもう実家帰ってるやつもいるし」

張り合いねえなあ、と研二がゴロンと寝そべったが、長身の頭はカーペットからはみ出してごつんと床を打ち「うっ」と呻いた。

「いやいや、原稿しないと。本来の目的これでしょ」

 宏樹は机の上から牌を片付け、ようやくパソコンを立ち上げた。


 本棚にある時計は21時過ぎを指している。外からは轟々と吹雪の音が響く。物が散乱する部屋は暖かく、窓ガラスはしっとりと結露している。この学生アパートは宏樹の家だが、この3年間で文芸部員たちの溜まり場兼麻雀部屋と化していた。

「仕方ないなあ。僕もそろそろ取り掛かりますよっと」

 鷹山も傍の平たいケースからノートパソコンを取り出し、電源をつけた。

「いやお前も仕上げてなかったんかい。締め切り明日なんだけど」

「大丈夫、もう大体書けてるし、さらっと校正するだけです」

貝ひもを頬張りながら余裕を見せる鷹山は自信そのものだ。宏樹はあっそう、と特に何も言わない。隣の研二も渋々パソコンを取り出す。


 3人は同じ大学の文芸部員である。今晩の集まりの目的は、文芸部の編集委員が集合し、原稿の締め切りを明日に控えた部誌「諸相」の表紙デザインを前もって決めておくこと、の筈であった。

 しかし部長である宏樹が5人いるはずの編集委員に召集をかけたところ、一人は既に原稿と編集作業を放棄して実家へ逃亡しており、もう一人は「風邪をひいた」と言って出てこない。さらに今この場に集合した3人のうち、自分の原稿が完成している者が誰もいないという酷い状況だった。デザインについて話し合うどころではない。

 それでも、そんな進捗のダメ具合も部誌発行の度に毎回起こることなので「最後にはなんとかなるだろう」との安易な考えのもと、誰も危機感を抱いていなかった。とりあえず近所のコンビニで大量の酒とスナック菓子を買い込んだ研二と鷹山がやってきて、部員の溜まり場である宏樹の家で一晩の原稿合宿が開催される流れになり、今に至る。


「ひどい有り様だな。編集委員が誰も上がってないなんて」宏樹は2人を見て言った。

「いや、お前が言えたことかよ。第一なんで自分の原稿もできてないのに打ち合わせやろうとしたんだよ」と研二。

「なんか人の目があった方が書けるし」

「それで進捗は」

「パソコンを開いたとこ」

「ゼロじゃん」研二は呆れたように溜息をつく。

「まあまあ、なんとかなりますって。とりあえず飲みましょうよ」二人より一学年下の鷹山がニコニコと言う。

「で、研二さんはどんなの書いてるんですか」

「短編のつもり」

「ふーん。タイトルは?」

「それがまだ決まってない。中身は8割方できてるんだけど。社畜のサラリーマンが仕事を捨てて旅に出る話」

「ちょっと面白そうですね」

「三島の奴は12歳の少女が書いた設定の夏休み読書感想文だってよ。絶対ふざけ倒すだろうけど。村田は5パターンの文体で書く『桃太郎』のあらすじ、だってさ」

「…なんか最近ネタに走りすぎてません?先輩たちみんな迷走しすぎでしょ」

「部長がこれだから雰囲気が緩すぎるんだよ。前はもっと硬派な文章ばっかだったはずなのに」

「まあいいじゃないの、みんな楽しそうだし」

「ほんと適当だなあ」

「やりたくてやってる訳じゃねえよ」

 自分の仕事ぶりに文句をつけられるのは甚だ心外だ、と宏樹は思う。部長という面倒な役職を押し付けられ、適当だろうが仕事をやっている自分に部員たちには感謝しろとまではも言わないが文句をつけられる筋合いはない…が、最近の酒浸りの自分を振り返るとあまり言い返す気にもなれない。飲み会には必ずいるくせに作品は書かず、月2回の定例会もよくすっぽかすようなダメ部長だ。副部長の研二が文句をつけながらも毎度サポートしてくれているお陰で、この文芸部はなんとか体裁を保っているのだった。


 しばしの間、各々が黙々とパソコンのキーを叩いた。研二はうーむ、何も浮かばん、とぶつぶつ呟いている。宏樹は時計を見た。現在21時半、締切まであと11時間半。なんとか一作仕上げなくては。焦るほどに書けなくなる。パソコンのメモ帳にストックしてあるプロットから使えそうなものを選び、書き出してみるがすぐ行き詰まる。ため息をつく。書きかけを消去し他のネタに手をつける。行き詰まる。ため息。これでは埒があかない…。


 つけっぱなしのラジオから22時の時報が鳴った頃、「つかれたあ」と傍らの鷹山が仰向けに寝転んだ。

「お前、そのまま寝るやつじゃん」

「寝ませーん。脱稿するまでは」

「どうだかな」

「お、牧野さん原稿上がったって」

 寝そべってスマホを見ながら鷹山が言った。

「あいつ取り掛かると早いんだよな、どうせまた二次創作だろうけど」

 研二のぼやきにケッ、オリジナル至上主義ですか、と鷹山が舌打ちする。

「BBSにも書いてますよ、

『マキノ:珍しく前日に上がった!明日起きれる気がしないから今部室に出してきた、ちなみに例の連載はまだ無い、今年は落としたのか?』だって。マジか、去年は前日の夜には置いてあったのに」

 研二は「あれが載らんでもどうせ誰も困らんし」と興味なさそうに缶チューハイを口に運ぶ。宏樹は思わず顔をしかめた。あの連載の話題か…。


 部誌「諸相」には「現役部員が一万字以内の文章を書く」というふわっとした決まりがあるのみで、細かい投稿規程はない。テーマの設定も無く部員が好き勝手に書くため、毎度ノンジャンルな文章の寄せ集めになるのだった。昔はオリジナルの短編小説と書評が多かったが、最近は二次創作や旅行記、エッセイとも日記ともいえないよくわからない文章などが載り、いよいよカオスだった。ただ、毎号最後に必ず「杉岡真人」を名乗る人物の連載が載っており、この作者が誰なのかは長年文芸部の謎とされていた。現役生しか投稿できないことを恨んだOBがこっそり書いている説、大学教員の誰かが面白がって書いている説、はたまた文芸部員のたまり場である喫茶店「道草」のマスターが書いている説など、様々な憶測が流れている。原稿は、締め切り日までに文芸部の部室の棚(通称”下駄箱”)に入れておくことで入稿となる。期末試験と締め切りが被るために原稿が仕上がらず、泣く泣く投稿を諦める者が後を絶たない。内容は自由だが締め切りだけは厳守とされており、毎年2月15日の朝9時と決まっている。これは、過去に締め切り後の編集作業中に原稿を持ち込み、掲載を迫った部員と編集委員で壮絶な殴り合いがあったことが発端となった、という真偽不明のエピソードがあるが定かではない。作者不明の原稿でも提出されたものは載せよう、というなんとなくの慣習で、毎回部誌の最後に杉岡真人名義の連載は載っている。とにかく、杉岡氏の原稿は締切日の朝9時にはきっちり"下駄箱"に置かれており、編集委員ですらその正体を知らないのだった。

 そして現在、2月14日の夜である。

年に一度の部誌発行の締切前夜であるためか、部のホームページにあるBBSにはいつになく活発な書き込みがされていた。


 『例の連載の作者、俺は新見先生説を推すぜ 昔アマチュアの文芸作家だったって研究室のやつが言ってた』

 『新見ちゃん苦手だからそうだったら嫌だな』

 『やっぱOBの誰かだって。一回部室の鍵のナンバー変えてみろよ、連載終わるから』

『昔の部長がずっと書いてるんじゃないの』

 『実は警備室のおっちゃんが正体説』


「なんか杉岡氏の正体についての推理大会になってんな」宏樹はパソコンからBBSを眺めて言った。

「絶対部員の誰かだと思うんですよねえ」

 鷹山は寝ころんでスマホをいじっている。

「きちんと"下駄箱"に提出されてるってことは鍵を開けられるってことでしょ。つまり中に入れる部内の人間ってことじゃないですか。鍵のナンバーは部員しか知らない訳だし」

「確かにな。でも部外者が書いて部員に託してるって可能性もあるし。そもそも鍵なんて、ナンバー知ってりゃ誰でも開けられる」と研二。

「鍵のナンバーは口外厳禁なんじゃ」

「いや、麻雀のメンバーはみんな知ってる、映研とか」

「マジですか…」

 文芸部の部室は映画研究部と隣接しており、文化系のオタク気質が合うためか部員同士仲が良い。よくお互いの部室に行き来しており、文芸部の麻雀に映研の人間が混じっていることも多々ある。普段文芸部の部室はナンバー式の鍵で施錠してあるが、部員の誰かが漏らしたのか映研の人間も知っているため出入りできる。最近は映研だけで勝手に文芸部の雀卓を使っていることもあるのだった。

「それって部室乗っ取られてるようなもんじゃん。どうなんですか部長」

「別にいいんじゃないの」

「あ、杉岡氏の正体は映研の部員、って説はどうです?映画にならずにボツになった脚本を原稿にして流してる、とか」

「あの連載、一応続いてるあらすじみたいなのあるじゃん。脚本が元ネタは無理あるだろ」

「だいたい年に一回しか出ない部誌で連載なんて頭おかしいこと、ずっと続ける酔狂なやつ映研にいないだろ」

「確かにそうかあ」

 鷹山は残念そうに言ったが、すぐにニヤリとして宏樹を見た。

「でも実は宏樹さん知ってるんでしょ、杉岡氏の正体」

「なんでだよ、知らないって」

「まあ部長が知らないはずないよな、どうなんだよ」

「本当に知らんってば」

2人に問われるまでもなく、宏樹はこの謎について長い間考えていた。杉岡真人の正体は誰なのか、どうやって部室に原稿を出しているのか。有力な説の一つに「歴代の部長が杉岡氏から原稿を受け取り、編集委員に気付かれないよう『諸相』に掲載している」というものがあり、以前は宏樹もそれが一番納得が行くと思っていた。つまり連載を書いている杉岡氏は部外の人間で、部長はその正体を知りつつこっそり協力している、というものだ。面倒な部長の役を引き受けたのも、その説を確認したいとの考えもあってのことだった。それなりに長い歴史を持つ文芸部で、歴代の部長が密かに継承する連載の正体と役割。なんだか共犯者のようで、なかなか気の利いた仕組みではないか。

しかし、その予想は外れた。部長になっても杉岡氏らしき人物からの接触はなく、こうして部長として関わる最後の部誌の締切前日を迎えている。鷹山が指摘するまでもなく、杉岡氏がOBや外部の人物である可能性も考えていた。40年以上続く連載だ。現実的に考えてそれしかない。知っているOBや関係者に会ったときに探りを入れてみたこともあるが、それらしき人物、もしくは何かしらの情報を知ってる人物は見当たらなかった。これでは部長のやり損ではないか。宏樹は不貞腐れた気持ちで、この問題への興味をほとんど失っていた。


2人は相変わらず適当な推理ごっこに興じている。

「新見教授でないにしても、教員の誰かが書いてる説は割とあると思うんですよ。人文棟とか部室から近いし、ありそうな感じする」

「この連載の話知ってる先生なんてまずいないだろ」

「その心理を突いての先生説ですよ」

「ないぜ絶対、賭けてもいい」

「しかしあれですね、今から朝まで誰か部室に張ってたら正体なんて一発なんだけどなあ」

「一人で行ってこいよ。行って凍死体になってこい」

  

 外の吹雪の音からして、こんな日に部室に籠って原稿をやる物好きはいないだろう。隙間風がひどく、暖房機具が電気ストーブしかない部室は極寒だ。

かつては部室に泊まり、夜通し原稿をやる人間もいたようだが捗る環境ではなかったし、何人か集まれば結局麻雀が始まるのは明らかだった。

 

「そういや表紙の案ってできた?」

宏樹は鷹山に聞いてみる。今回の部誌の表紙デザイン案を鷹山に依頼したのを思い出したのだった。

「できましたよ、割と自信作です」

 鷹山からカバンから取り出したA4の用紙を渡され、宏樹と研二は覗き込んだ。それは黒地に無数の細かい文章の断片が切り貼りされたもので、遠目から見ると記号化した「諸相」の文字が読めるようになっていた。

「部室に投げてあった古い原稿を適当に使わせてもらいました、割と気に入ってるんですけど」

「相変わらず凝ってるな。結構良いじゃん、脅迫状みたいで不穏な感じが良い」

「格好いい…この切り取って使われてるの、たぶん唐澤さんの文章だろ。ミステリばっかり読んでた人」

「よくわかりますねえ。そんな先輩知らないな」

「俺が1年の時のM2だから、鷹山は知らないだろうな」

「じゃ、表紙はこれで決定で」

 宏樹が言うと、鷹山がやったあ、乾杯、とひとりでまた缶ビールを開けた。

 研二は伸びをしてトイレ、と席を立ってこたつから抜け出る。


鷹山が缶ビール片手に宏樹の顔を覗き込んできた。

「部長、ほんとはなんか知ってるんじゃないすかあ、杉岡氏について」

「知らんってば。知っててもお前には教えない」

 ふーん、と疑わしげな鷹山の視線を無視して、宏樹は新しい缶のプルタブを開けた。

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