1 朱雀

―すざくん、あのね、私ね…。

 ピ……、ピ……、ピ……、ピ―――――……。


 そこで目が覚めると、いつも、大事ことは全部忘れていた。

 病院の薄暗い天井。とても大事なことを反芻する前に消されてしまったような、むず痒い感覚。

 「狭山朱雀 十八歳 大切にしたいものも、人も、思い出も、誰かの判断で消されてしまう、かわいそうな大学生」

 「仲のいい幼なじみの女の子の姿も、昔の方が鮮明、最近の姿はすぐ忘れてしまうような、酷いやつ」

 定期検査が終わった後、そう書かれた付箋を渡されて、僕は軽く引いた。たぶん、きっと、これも毎回の話なんだと思う。びりびりそれを破り捨てて、近くのごみ箱に乱暴に捨てる僕を見ても、看護師さんはにこやかに「先生呼んできますね」と言っていた。

「はあぁあぁあぁあ」

 ひどい朝。昨日の自分しか思い出せないなんて。

 定期検査の次の日はいつもこうだと、母に言われた。


「すーっざくん。おはよ」

「あぁ、おはよう」

 「三門ツグミ 優しい優しい幼なじみ 

  一生治ることのない不治の病の僕を治そうとする」

 付箋に記録した言葉で、今朝、覚えたこと。

 嬉しいのか、悲しいのか、寂しいのか、何なのか。返す言葉が見つからないのは、彼女の言葉を、すべて忘れてしまうから?

「この間のお芋、おいしかった? 私のじーちゃんが」

「あー……ごめん……」

「あ……そっか。昨日、定期検査か……」

 じゃあしょうがないね。

 そう言って、乾いた笑い声を出す。そう、しょうがない。ツグミが前もそうやって笑ったような気がするのは、都合のいい思い込みだろうか。

「私、すざくんの病気治すために、めっちゃ勉強するよ。医学部はやっぱり、大変だけど……」

「うん。頑張って」

「……すざくん、私のこと、忘れちゃうかな」

「え?」

「学校でたくさん勉強するでしょ? 覚えなきゃないことたくさんあるでしょ? それで記憶が埋まっちゃったら……私の記憶、無駄な記憶にされちゃうかなあ」

 記録欠如病……一定時間の記憶しか記録できず、容量がなくなると頭がパンクして死んでしまう不治の病。

 昨日、医師にされた説明が頭に浮かび、言葉につまる。

「……どうかなぁ……」

 忘れるわけがない。ツグミは絶対、忘れない。

 そんなセリフ、僕が言う資格はない。

「あ、バス来た」

 じゃあね、と言って、ツグミがバスに乗り、すぐに遠くなる。一人になるとまた、ため息が出る。

 今まで、どうやって生きていたっけ。

 

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