透き通る彼女
夏檸檬
日常
七月。
夏も本番、エアコン必須のこの季節。
あちこちで多様な種類のセミが鳴き、燦々と照り付ける太陽がじりじりと道を焼いている。街を行く人々もまた、この暑さにうんざりしているようで、ハンカチで汗を拭う顔には疲労の色が窺えた。各家庭では、かき氷やアイスを嬉しそうに食べる子供と、それをまた嬉しそうに眺める親の姿があった。
それはこんな場所も例外ではなく、道路からはゆらゆらと陽炎が立ち昇り、打ち水や風鈴の涼しげな音が広大な田園風景に溶けている。
ここは田舎だった。家は少ないというほどでもなく、道路ももちろん整備されてはいるが、辺りを見回し目立つのは、山に生い茂る緑や田んぼの周りに生えた雑草、そしてその中にあるもう既に穂が出てきている稲である。
そんな中、ある一軒の家の縁側に座り、この暑さをものともしないような二人の男女がいた。その家の表札には、「松原」と文字が彫ってある。男女と呼ぶには少し幼すぎるかもしれない二人は、どちらも小学生――八、九歳ほどに見えた。
片方の男の子は、健康的な褐色の肌をしていた。麦わら帽子をかぶり、白地に自動車の絵がプリントされたTシャツと青い半ズボンをはいている。黒い大きめのリュックサックをわきに置き、垂れてくる汗も気にせず笑顔で両手を広げたり、身振り手振りを交えながらしきりに横に座る女の子に話しかけている。
一方、話を聞く女の子はというと、その見た目は隣に座る男の子と対照的である。髪の色は白に近い金髪で、肌の色も神秘的な白色をしていた。目の色も青く、薄い水色のワンピースに黒いサンダルを履き、お洒落な色付きメガネをかけている。背丈は男の子より小さいが、少し大人びた笑みを浮かべ、楽しそうに話を聞いている。
どんな話をしているのかを聞く前に、女の子の不思議な見た目について説明する必要があるだろう。
この女の子はアルビノである。アルビノとは、先天的なメラニンの欠乏によって、肌や髪、目の色が白に近くなったり、視力や紫外線への耐性が極めて弱かったりする病気だ。光を非常に眩しく感じるといった症状もあるので、男の子も日陰となる縁側に座り話をしている。
少し話が逸れてしまったが、二人が一体どんな話をしているのか、耳を傾けてみよう。
「それでね、たくさん虫を捕まえたんだ! バッタとか、カマキリとか、テントウムシとか!」
男の子は、どうやら虫取りに行った話をしているようだ。日焼けした顔で自慢げに話している。
「へえ、すごいね! 私、虫なんてほとんど本でしか見たことないもん。カマキリってどんな動きするんだろう……」
女の子は自分が抱える病気によって――まあそれだけではないのだが、学校に通う以外にほとんど外に出ることが出来なかった。日差しが強く虫が出る夏なんかは特にそうだ。そして男の子もそれはもちろん知っていたのか、女の子の言葉を聞くとニコリと笑った。
「えへへ、そう言うと思ってね、僕持ってきたんだ~」
そう言ってがさごそと自分のリュックサックを探り始めた。何を出すのか女の子がドキドキしながら見ていると、男の子はその‟持ってきたもの”を取り出した。
「何これ……。虫かご? ん、これってカマキリ!」
かごの中には、薄い緑色の体色と赤い目を持つカマキリがいた。それも、普段虫を見ない人でも分かるほど大きい。
「そうだよ! まだまだあるんだ~。ほらこれはバッタ、これはチョウチョウ……」
男の子が持ってきたのはたくさんの虫だった。外に出られない女の子のために、いつもより多くの数、多くの種類を捕まえてきたのだ。というか、今回虫取りに出かけた理由が女の子に見せるためだったのだが、それを言おうとしたところで急に恥ずかしくなってしまったので、結局言えなかった。
「わあ、すごい! こんなにたくさん持ってきてくれたの! しかもみんな大きい……」
虫かごは全部で十一個あり、それぞれの虫が赤、青、緑と美しい見た目をしていた。少しでもいいものを見せるために、きれいな虫を選んで捕まえてきたのだろう。女の子はその多さと大きさに少し驚き、若干の怯えを見せつつも、恐る恐る虫かごを手に取って、興味深そうに一つずつ観察していった。
「虫さんって本当に動くんだ……! このテントウムシも、チョウチョウも、すごくきれい。カマキリも、クワガタも、すごくかっこいい。みんなちゃんと‟生きてる”……」
男の子には、虫を観察する女の子の白い顔がとても輝いて見えた。それは、今まで見たことないほどに生き生きしていて、ついこう言った。
「そんなに気に入ったんだったら、全部持って行っていいよ」
男の子は、女の子のそんな姿を見るのが、とても嬉しかったのだ。
それを聞いた女の子はさらに顔をぱあっと輝かせ、
「ありがとう! 大好き!」と、満面の笑みを浮かべて言った。男の子はそれを聞いて、心がとても温かくなると同時に、心臓がトクンと小さく鳴るのを感じた。特に「大好き」の部分で。それが何なのかは、男の子には分からなかったが。
しかし、その瞬間、輝いていた女の子の顔に陰が差した。
「どうしたの? 気持ち悪いやつでもいた?」
「いや、やっぱり全部はいいかなって……」
「え、なんで?」
男の子は、自分が女の子に何かしてしまったのかと焦ったが、
「ううん、この虫さんたちはすごくきれいだし、くれるって言うのも嬉しいんだけど……」
というので安心した。だが、肝心なところがまだ謎なままである。
「じゃあ、なんでいらないの?」と、男の子は聞いた。
「うちはちょっとお父さんが……」
「お父さん?」
女の子は歯切れ悪く言う。
「うん、まあ、そういうこと。だから、一つでいいよ」
どういうことなのかは結局分からなかったが、男の子は気を取り直し、おすすめを紹介することにした。
「じゃあ、どれがいいかな。クワガタとか、かっこいいよ」
「うーん、どうしようかなー」
女の子は二分、三分と悩んだ後、満足げな顔で「これ!」と一つの虫かごを指さした。
「わかった、これにするんだね。この虫はね、カミキリムシっていうんだよ」
男の子が説明するカミキリムシは、瑠璃色に黒い斑点という独特な見た目だった。目と思われる場所から延びる触角は水晶のような透明感を持つ青色をしており、思わず見惚れてしまうような美しさを持っている。このカミキリムシ――名前をルリボシカミキリというのだが、その名前は男の子も知らない。
「へー、カミキリムシ……。すごくきれいな色をしてて素敵だね!」と女の子が嬉しそうに言うので、男の子も心が癒され、嬉しくなった。
二人はその後もたわいない話――学校の先生の話や新しい漫画の話――に加え、男の子はあげたカミキリムシの育て方についての話などを続けた。そして、気が付くと太陽が山の向こうに沈みかけていた。時計を持たない子供には、日が沈むのが帰りの合図である。もちろん家にも時計はあるがそれは見ず、女の子は縁側を立ち家の中を通って玄関へ、男の子も庭を突き抜け玄関の前へ向かった。
「次はいつ来るの?」
先ほどもらったカミキリムシの虫かごを抱え、女の子は言った。女の子は日に当たれないので、二人は開けたドアを挟み会話をしている。
「うーん……。明日は習い事があるから、明後日かな。けど、明日も多分学校で会えるよ」
ドアの向こうで男の子は言う。
「そう、じゃあまた明日。今日も来てくれてありがとう。この虫さんをくれたの、すごく嬉しかったよ! 宝物にするね!」
男の子はこの前このカミキリムシを育てた際冬を越す前に死んでしまったので、今回もそうなるだろうということを知っていたが、今はそれを言うべきでないと子供心ながらに思った。言う必要もなかった。
「……うん。また明日、絵里ちゃん」
「じゃあね、悠斗くん」
二人――悠斗と絵里は、互いに笑顔で手を振りあった。悠斗の姿が見えなくなると、絵里はドアを閉め、浮ついた足取りで部屋へ戻っていく。
それは、なんてことのない、どこにでもあるようなものだが――二人にとって、かけがえのない「日常」だった。
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