お父さんのことが嫌いな女子高生の話

福良えみ

第1話



父親は居酒屋を営んでいました。

南の方の出身の父親は、故郷の料理を東京で振る舞う料理人でした。


父親は、情報社会から外れた人間でした。私からしたら、ついていけなくなった現代から目を背けて、意地を張っているように見えました。周りの大人は怒涛の速さで流れる世界に置いていかれまいと必死で食らいついているし、居酒屋で酔っ払っているおじさんの口から「TikTok」の話が飛び出してきた時には、その必死さに思わず吹き出しそうになっていしまいました。

うちの父親はそんなもの以ての外、「Twitter」の文字を見て発音できるかわからない、そんなレベルでした。


わたしは今、17歳の高校三年生、受験生です。なかなか先の光が見えない世の中で、不安定な精神と熟れ初めの身体を持て余している、女子高校生です。具体的には言いたくありませんが広義に、芸術の道に進むことを決めました。

私がそちらの方面に興味を示したのは中学生のころです。漠然と夢を語る私に、父親も母親も、微笑ましいといった顔で賛成してくれました。

しかし夢が現実味を帯びて新たに進む道となった時に、どうも両親は首を縦に振ってくれませんでした。

なぜなら、私が望む道にはお金がたくさん必要なのでした。医療系などの将来の収入が担保された学問ならともかく、一か八かの将来にかけるお金はないと、そう切り捨てられてしまいました。これについて両親にとやかく言うつもりはありません。うちは、特に貧乏というわけではありませんが、私をそこまで後押しするほどの経済力はないのです。それには早くの時点で気づいていたので、我儘を言うこともありませんでした。


なんとか両親が納得する額の学校を探して今、志望校としていますが、本当に私の未来は大丈夫なのでしょうか。ふとした瞬間に心に浮かぶ不安は無意識に膨らんで、私を蝕んでいきます。明るい私の名前も陰ってしまいそうです。


わたしのことはこれくらいにして、父親の話をしたいと思います。

前提としてもう一度言及しておきますが、私は父親のことが嫌いでした。

どのくらい嫌いかだなんて、私の国語力じゃあらわせません。わたしの頭の中を勝手に覗いていって欲しいくらいです。大抵の悩みの種は父親で、父親さえ居なければ、わたしのQOLはきっとものすごく跳ね上がります。人様に言えないようなことを計画したこともあります。計画しただけで実行すらしていませんが。


毎週日曜日は父親の営む店の定休日でした。父親は家に帰ってきて、一緒に夕飯を食べました。その日私は外に勉強しに出かけていました。6時頃になって、その日が日曜日で、家に父親がいることを思い出しました。

いやだなぁ、帰りたくないなぁと考え始めたが最後、一気に勉強に集中出来なくなってしまいました。

父親の嫌いなところはこういう所です。父親のことを考えると、ムシャクシャしてなんにも手につかなくなってしまいます。特に、勉強しているとき、ピアノを練習しているとき、青チャートをもくもくと解いているときなど、集中している自分とそんな自分を達観して見ている自分が共存しているときによく起こります。


嫌いな人間に心を惑われることがなんとも悔しくて、消えてしまいたくなります。

友達と楽しく話している時も、ふとした間に思い出していらいらして、愚痴を吐いてしまいます。

好きな人が出来ても、その人と父親の共通点を見つけては、想いを情けなく放り投げてしまいます。


嫌いな人に心を揺るがされることほど、惨めなことはありません。

わたしは自分のこういうところが大嫌いです、


あれ。



わたしは、父親のことが嫌いなのか、自分のことが嫌いなのか、よくわからなくなってしまいました。





その日はいつもとはちがいました。母親が、

「今日はおいしいお肉を焼くから、早く帰ってきなさいね、」

と言って、私を送り出してくれたからです。

お肉は好きですが、父親のことは嫌いでした。どうしてでしょうか。2つともたんぱく質の塊であることに変わりはないのに。


集中も切れてしまって、周囲のやる気が滾るその場所にいることが恥ずかしくて、わたしは外に出ました。泣きそうになりながら好きな雑貨屋さんに入ったり、書店に入ったりしました。

少し前に発売したとあるクリエイターさんのエッセイを少し立ち読みしました。嫌いな父親に心を翻弄される情けない自分と重なって、涙が零れそうになりました。危うく人に見られそうになった一滴は吸収性の優れたマスクに染み込ませて、私はその本を購入して外に出ました。



今日は家に大嫌いな父親がいるから、家出してしまおうと決めました。

嫌いな人なんて、わざわざ相手にする必要ない。そう思いました。


うちは昨年引越しをして、まあそれもお金のかかる大学に進学するわたしの為なのですが、2階に弟の部屋と父親の部屋があり、1階にリビングがある、こじんまりとした家に住んでいました。私には一人部屋がありませんでした。だから辛いことがあって密かに泣いたり、好きな子に秘密の手紙を書いたり、友達と電話したりというようなことができませんでした。私は親の前で泣いたり、好きな子の話をしたり、なんてことが絶対に出来ないシャイな娘でしたから、これほど辛いことはありませんでした。


今の家に引っ越してきて、自分の部屋がないと告げられた当初からずっと、ひとりになれる夜を探していました。逆に言えば、ずっと全てを我慢し続けてきたのです。


そして思いつきました。どうして今まで気づかなかったんでしょう。

うちの隣には、祖母の家があって、祖母家の2階には空き部屋があります。そこに泊まってしまえばいいのです。


そう思いついた私は明らかに気分が晴れました。Instagramでみた、煌びやかな電飾を

100均で買って、対して好きでもないマシュマロと無印良品のバームクーヘンを買って、部屋を飾りました。エアコンのないその部屋は暑いので、窓を雨戸にして開けました。

写真を何枚か撮って、友達に送って、大好きなサイダーを飲んで、YouTubeを見て、買ったエッセイを読みました。当初のひとりになりたかった理由なんて、とうの昔に忘れてしまっていました。







父親の怒号が聞こえました。


驚いて私は本から顔を上げて、雨戸から自分のうちを見ました。相変わらずオレンジの光は付いていますが、何が起こっているかは外からはわかりませんでした、23時を回る頃でした。

続けて、母親の涙を含んだ叫び声が空を引っ掻きました。

ただごとじゃないかもしれない。

未熟な身ながらに、そう感じました。



その刹那、父親がうちから飛び出しました。


ハイエースのエンジンがかかりました。

私が家を出た時、父親はハイボールを飲んでいて、都知事選について母親と話していました。お酒を飲んでいたのです。

大丈夫なんだろうか。

嫌いな身ながらに不安が過ぎりました。


もう一度、うちの玄関が開く音がして、母親の夜に配慮した声で

「ちょっとやめてよ」と聞こえました。

しかし、父親はやめませんでした。ハイエースに乗って、敷地を出ていきました。



しばらくの間、母親の鼻を啜る音だけが静かな夜に溶けて、すり足で家の中に入っていきました。



私は父親のことを考えてしまいました。

嫌いな父親のことを考えてしまったひとりの夜、ひどく泣きました。

待ってましたと言わんばかりに涙が溢れてきました。読みかけのエッセイにはもう、

手をつけられませんでした。

父親のこういうところが嫌いで、大嫌いです。嫌いな相手に心を翻弄されるのは

本当に惨めで、情けないことです。父親から逃げてきた祖母の家で、大嫌いな父親に涙を流すなんて、これほど本末転倒なことなどあるかと、笑ってしまうでしょう。そうでしょう。








次の日、祖母の家から自分の家に帰ろうとすると、敷地内にパトカーが停まっていました。顔も洗わずに家に帰ろうとしていた私は、泣き疲れて腫れた目を可能な限り見張りました。警察の男二人と母親が話していました。その様子を、祖父母が心配そうに玄関から見つめています。

私は声をかけました。

「どうしたんですか」

すると母親は、私と同じ腫れた目で私をじっと見つめて、にこりと歪に笑い、

「朝ごはん、あるから食べて学校行ってね。」

とだけ呟いて、警察二人に連れられてパトカーに乗せられていきました。



私はもう訳が分からなくなってしまって、家に入って弟に何があったか聞きました。


「おとうが、事故で死んだらしい」と。




そこから先はよく覚えていないのですが、その日私は確か普通に学校に行って、普通に友達と笑って、普通に授業を受けて帰ってきました。

狂気の沙汰だと驚くでしょう。これも、嫌いな父親が死んでくれたから成せた所業なのではないかと思います。


私が家に帰ってから1時間後くらいに、母親がたこ焼きを持って、これ以上なく疲れた顔で帰ってきました。目なんて殆ど開いていませんでした。

弟と2人でたこ焼きを食べました。




親戚がたくさん集まって、父親の故郷の南の方の島で大きな葬儀がとりおこなわれました。

私は驚くほど感情が持てなくて、おもしろくも悲しくもなくて、終始笑顔だった筈です。親戚にはとても気味悪がられました。でも私は父親のことが嫌いだったから、なんの感情も浮かんできませんでした。



私は典型的な”喉元過ぎれば熱さを忘れる”人間なので、葬儀や集まりのことはあまり思い出せませんでした。



父親がいなくなって自分の部屋をもてた今、いつでもひとりの夜が手に入り、辛かったらいつでも泣けるようになりました。

部屋に染み込んだ父親の臭いは父親自身の姿を色濃くよみがえらせます。大嫌いな父親に振り回される日常はまだ長く続いてしまいそうです。嫌いな人に心を翻弄される自分が惨めで、情けなくて、涙が零れてしまいます。




結局私は父親が嫌いなのか、嫌いでないのか、自分のことが嫌いなのか、

よくわからなくなってしまいました












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お父さんのことが嫌いな女子高生の話 福良えみ @fukuwara_219

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