汐風の吹く頃
結羽
汐風の吹く頃
とめどない潮騒の中、少女は浜辺に立っていた。
空一面の茜雲に海が紅く染まる。
ゆっくりと日が暮れて、だんだんの蒼くなっていくその空をただ見上げていた。
「紗香!」
その少女は名を呼ばれて振り返った。
1人の少年が砂浜を駆け寄ってくる。
「こんなとこで何やってるんだ? おじさんとおばさんが探してたぞ?」
不思議そうな少年は紗香の幼馴染の誠。
チラリと誠に視線をやってから、紗香は視線を海に戻した。
「目に焼き付けてたの。もう最後だから。大好きなこの場所を忘れないように……」
紗香は今日両親と共に遠くの町に引っ越すことになっている。
もう出発の時が迫っている。
でも、紗香に動く気配はない。
行きたくない、背中で語っている。
だってもう会えなくなる。
「なぁ、紗香。約束しよう? 僕たちが大人になったらここでまた会おう。」
ずっと一緒だった。
それは物心のつく前から。
いつもそばにいるのが当たり前で、そこに疑問を持たないぐらいには一緒にいた。
そんな2人にとって離れ離れになることはすごく辛い。
だけど、子どもの2人には現実を変えることは不可能だ。
ただ、受け入れることしかできない。
潮騒が響く。
絶え間ない波の音に紗香の嗚咽が混ざる。
泣くことしかできない子どもの自分。
大人になるところなんて想像もつかない。
大人になったらっていつ?
成人してたって大人気ない大人はたくさんいる。
「……大人……って?」
「じゃあ……! 10年後! 10年後の今日にここで待ち合わせしよう? ……大丈夫。また、必ず会えるから」
紗香はゆっくりと頷いた。
10年も先、自分がどうなっているかわからない。
だけど誠と会うためになら生きていける気がする。
誠は紗香の手を繋いでそっと浜辺を後にした……。
離れ離れになった2人に残されたのは儚い約束だけ。
その日から2人は二度と会うことはなかった。
いや、会うことができなかったのだ。
そして、10年後。
あの浜辺に立つ人影がある。
そうあの日からちょうど10年。
約束の日を迎えたのだ。
波打ち際で立ち止まり、その先の海を遠く見つめている。
さざ波がそのつま先を濡らす。
「もう10年か……。紗香、俺は約束守ったぞ」
その人影はあの日の少年、誠だった。
10年という歳月は少年を大人に変えた。
すっかり大人になった誠もその瞳は昔の面影を残している。
震える声で呟く。
「まさか……あんなことになるなんて思わなかった」
“あたしも”
潮騒に混じってかすかに流れた小さな声。
その声は誠には届かない。
“2人の約束が守れないことだけが心残りだった”
そっと誠の後ろに立った紗香。
その姿は10年前のままの姿で。
誠の瞳には紗香の姿が映らない。
“ごめんね……やっと会えた”
紗香はそのまま誠に近寄りそっと唇を重ねた。
“ありがとう……さよなら”
紗香はそう呟くと海に溶けるように消えた。
「紗香……!?」
その瞬間、誠は確かに感じた。
紗香の唇の熱を。
しかし、それがもうここには残っていないことを感じ、ゆっくりと座り込んだ。
紗香は10年前のあの日、引っ越し先に向かう途中に事故に遭って亡くなっていた。
それでも待っていたのだ。
約束の日が来るのを。
もう1度会いたい。
その気持ちだけがこの世にとどまっていた。
それももう終わりを告げる。
紗香はこの海に、大好きだったこの海に溶けて消えた。
「来年もまたここで」
そう呟くと誠は踵を返し、浜辺を後にした。
誰もいなくなった浜辺には潮風の吹く音だけが残っていた……。
汐風の吹く頃 結羽 @yu_uy0315
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