いのちの星図

那月 結音

 星が清かに輝く、新月の夜更け。

 零れんばかりの星屑の下。深く暗い濃藍こいあいの森の一角に、大きなテントが茫と浮かび上がった。

 赤と白のストライプが特徴的なそこからは、明かりとともに人々の興奮が漏れ出ている。

「なんと素晴らしい! 絶滅危惧種のドードーだ!」

「死ぬまでに直接見られるなんて! 夢みたい!」

「見てみろ、こちらの奇妙な生き物を! まるで羽根の生えた鼠ではないか!」

嵌合体キメラね! なんて怪奇的グロテスクなの!」

 煌びやかなマスカレードマスクを被り、互いに素性を隠し合った紳士淑女の高らかな笑い声。纏っている服や身につけている装飾品から、かなりの富裕層であることが窺える。

 彼らの前には、檻に入れられ、容赦なく晒された、数種類の動物の姿があった。

「ようこそ皆様! 今宵も時間の許すかぎり存分にお楽しみください! お気に召した子には是非お心づけをっ!」

 黒のシルクハット。真っ赤なタキシード。そして、両端のはね上がったカイゼル髭。

 興行師ショーマンさながらの男が、声高に挨拶をする。どうやら彼が、この見世物小屋フリーク・ショーの支配人らしい。怯え、威嚇する動物たちを愉しむギャラリーに、入場料とは別のチップを要求する。

 マスクの人々は、まるで餌でも撒くかのごとく、紙幣をばら撒いていた。

「白金の狼は今日はいないのか!」

 テント内の興奮が最高潮に達したころ、一人の紳士がこう叫んだ。

 これにより、そこかしこで歓声に似たどよめきが湧き上がる。

「白金!? 狼というだけで珍しいのに、白金だと!?」

「お金ならいくらでも払うわ!! 今すぐ見せてちょうだい……!!」

 我先にと、周りを押し開き、欲にまみれたマスクが支配人に詰め寄る。

 詰め寄られた支配人は、「まあまあ」とその場を和めた後、にまりと笑って意気揚々と言い放った。

「白金の狼は満月の夜に展示しております!! ですから皆様!! 半月後のショーをどうぞお見逃しなくっ!!」

 口角を吊り上げ、〝どうぞ〟の部分を強調し、恭しくお辞儀する。そんな彼に、割れんばかりの拍手喝采が送られた。

 この調子なら次回もおそらく大入りだ。これでまた報酬も上がる。そんなふうに胸を躍らせた。

 そのときだった。

「王都特別警備隊だ!! 全員両手を上げてその場に跪けっ!!」

 怒号が轟くやいなや、数十人の男たちが一斉にテント内へと押し入ってきた。布を破らんばかりの勢いで、おのおの定められた位置につく。

 一瞬で闇に溶け込めそうな濡羽色の隊服。黒い手袋を嵌めた手には剣や銃が構えられており、寸分でも動けば容赦はしないという気迫に満ちている。

 歓喜のざわめきは一転し、テント内は物々しい雰囲気に包まれた。「こんなはずではない」だとか「話が違う」といった、罵声にも似た困惑の声が支配人に浴びせられる。

「お前がここの責任者か」

 跪いた支配人の眼前で、濡羽色のロングコートが翻る。低い声におそるおそる仰ぎ見れば、まるで肉を削ぎ落とすかのような視線に背筋が凍った。

 赤い前髪から覗く灰色の双眼。流れる癖毛を一つに束ね、無精髭を決め込んだこの男が、黒い彼らを率いているらしい。

「ざっくり見渡しただけでも捕獲禁止動物が五、六匹はいるな。あとは……嵌合体か。ずいぶん惨いことすんじゃねーの。……ったく、揃いも揃ってド派手な仮面しやがって。顔隠しても無駄だぞー。全員身元押さえてあるからなー」

 口元に手を添え、間延びした声をさらに増幅させる。やる気があるのかないのかわからない物言いだが、鋭い視線は変わらない。

 今跪いている全員が、この男が何者であるかを知っていた。彼からは、けっして逃げられない。

 アルバート・ハンデル——王都の治安維持に関する権限を包括的に与えられた、王都特別警備隊の隊長である。

「今は、と……午前二時五十六分か。全員現行犯で逮捕する。罪状は……まあ、アレだ。個別に聞け」

 取り出した懐中時計を横目で見遣ると、アルバートは部下たちに軽く目配せをした。

 無言の指示を受けた部下たちは、その無精ぶりに戸惑うことなく、慣れた様子で淡々と職務を遂行していく。この上司がものぐさなのは、今に始まったことではない。……が、その点を差し引かずとも衷心から信頼と尊敬ができてしまうのだから、摩訶不思議だ。

 あっという間にマスクの人々は連れ出され、テント内は一気に閑散となった。この場に残った人物は、アルバートと四名の部下、それから、意気消沈した支配人の六名のみ。

 部下たちは、すぐさま現状を把握するための捜査に取りかかった。この犯罪捜査権も、包括的権限の一つである。

「なんか言い残したことあるか?」

 短時間で急激に老け込んだ支配人。「こんなはずではなかった」と、譫言うわごとのように繰り返す彼に、アルバートが声を投下する。今ここで取り調べをするつもりはないが(できそうにもないが)、とりあえずこれだけ尋ねてみた。

「何か、とは……?」

 すると、弱々しくもこんな返事が返ってきた。

 莫大な金が一度に動くときというのは、たいてい大きな組織の影が後ろでちらついているものだ。よって、軽く鎌をかけてみることに。

「んー、そうだな……お前らのボスの名前、とか?」

「!?」

 支配人の様相が一瞬にして変わった。目を見開いたその顔は蒼白し、じわりと額に脂汗まで滲み出る始末。どうやら図星のようだ。

「早いとこ吐いて楽になっちまったほうがいんじゃねーの? 今日だって、まさか見つかるなんて思いもしなかったろ」

 悪いことはできねぇよなー、と肩を竦める。だが、彼は渾身の力を唇に込め、固く口を閉ざしていた。

 こういう場合に雇い主を明かさないのは、いつの時代もどこの国も同じだ。

「まあいいけどな。……せいぜい身の振り方考えとけ」

 ふう、と短く息を吐く。

 これ以上彼をここに留まらせておいても意味がない。そう判断し、アルバートは部下の一人に連行するよう顎で指示をした。

 真っ赤なタキシードが虚しく揺れる。

 彼のショーは、この日をもって永久に閉幕した。

「隊長」

「ん?」

「中は一通り確認しましたが、彼のバックに繋がるような証拠は何もなさそうですね」

 支配人が連行されてまもなく、捜索を行っていた部下の一人が報告にやってきた。

 テントの中には、掃除用具や簡単な作業机等、最低限のものしか備わっていなかったらしい。彼自身の持ち物にも、とくにこれといって証拠になりそうなものはなかったそうだ。

「あー、まあそうだろうな。なんかあったときは、あいつ一人だけ切って終わりにするつもりだったんだろ。……んで、保護局の連中は?」

「あと半時間で到着するそうです」

「そうか」

 アルバートの言う保護局とは、文字通り、動植物の〝保護〟を目的とした王立の機関である。

 今回は、法律で定められている動物や、禁忌とされている嵌合体が保護の対象となることを知っていたため、あらかじめ要請しておいたのだ。

「せめて、少しでも良い余生を送ってもらいたいよな」

 そう呟き、自身の近くにあった檻に視線を移す。中には、鳴くこともせず、ただただ体を震わせる一匹の嵌合体がいた。

 耳は兎のように長く、胴はいたちのように長く、背中に生えた翼は蝙蝠のように黒かった。

 足音を立てずにゆっくりと檻に近づく。噛まれることを覚悟して、その隙間からそっと人差し指を伸ばし入れた。

 すると。

「……おっ。なんだ撫でてほしいのか?」

 驚いたことに、嵌合体はくんくんと匂いを嗅いだ後、「キュッ、キュッ」と鳴きながら、アルバートの指に擦り寄ってきたのである。アルバートが指の腹で顎を撫でてやれば、気持ち良さそうに目を瞑っていた。

「手袋越しで悪ぃな」

 同じなのだ。人間も動物も。

 誰かに優しさを求める気持ちは、きっと。


「た、隊長……!」

 突として響いた部下の声に、嵌合体がびくりと反応した。「大丈夫だ」と宥め、呼ばれたほうへと急いで向かう。

 声を上げた部下は、テントの外にいるらしかった。

「せっかく落ち着いてたのにビビらせんなよ」

「え? あ、す、すみません……!」

「んで、なんか見つけたのか?」

「あ、はい! ここに……」

「あ? ——っ!?」

 部下が指し示した先。

 テント脇の物置——その中に据えられた檻に入っているものに、アルバートは絶句した。

 腰まで流れた白金の髪。琥珀色のつぶらな瞳は恐怖に怯え、白くか細い体はかたかたと震えていた。

 檻に閉じ込められていたのは、まごうことなき人間。それも、まだ成人していないだろう、十代の少女だったのである。

「……お前も見世物にされてたのか?」

 少女と目線を合わせるためにしゃがみ込むも、ふいっと顔を逸らされてしまった。こんな状況で見知らぬおっさんに声を掛けられたのだ。至極当然の反応だろう。

 幸いなことに施錠はされていなかったため、とりあえず扉を開け放す。

「もうここにいなくていい。……ほら」

 アルバートが腕を伸ばせば、少女の肩がびくっと跳ね上がった。膝を抱えた腕にぐっと力がこもる。それでもじっと待っていると、上目遣いだが目を合わせてくれた。

「中の動物たちもみんな無事だ。お前のこと、心配してんじゃねーか?」

 正直、当てずっぽうだった。けれど、思いのほかこの言葉が響いたらしく、少女はアルバートの腕におずおずと顔を近づけてきたのだ。

 匂いを嗅ぐように、すんと空気を吸い込む。心なしか、表情が和らいだ気がした。

「鍵が掛かってないのになんで出なかった?」

「……勝手に出ると、叩かれる、から」

 愛らしい口からまろび出た、儚く小さないらえ。

 彼女をここに閉じ込めていたのは、おそらく支配人だ。折檻していたのもあの男だろう。

 滾る怒りを抑え込み、利き手の手袋を取ると、アルバートはそっと少女の頭に乗せた。

「大丈夫だ。もう誰もお前を傷つけない」

 そう言って優しく撫でれば、少女は安心したように瞼を閉じた。再度すんと空気を吸い込む。

 空が白み始めてきた。しだいに星が還っていく。

 夜明けが、近づいてくる。 

「悪ぃ。あとのこと頼んでいいか? 俺はこのまま診療所に行く」

「イアート医師のところに、ですか?」

「ああ。目立った外傷はなさそうだが、とりあえず診てもらわねぇと」

 中にいる動物たちは保護局に引き渡すとしても、少女まで引き渡すわけにはいかない。

 アルバートは、自身の信頼する医師に彼女を任せることにした。時間が時間だが、あの人なら快く引き受けてくれるだろう。

「……どうした?」

 きょろきょろと、そわそわと、落ち着かない様子の少女に声を掛ける。先ほどから、彼女は何かを探しているようだった。

「ルグレは?」

「ルグレ? 誰かの名前か?」

「わたしのお兄ちゃん。……ほんとのお兄ちゃんじゃないけど」

「兄ちゃん?」

 少女と支配人のほかに、もう一人青年がいるはずだと彼女は言う。けれど、それらしい人物は、どこを探しても見当たらなかった。テント内にも、支配人以外に人がいたという形跡はない。

「お願い」

 少女の双眸が、ゆらゆらと揺れる。

 アルバートに向かい、眉を顰めて必死に懇願する。

「ルグレを……探して」

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