第1話 それではおすすめをおねがいします

「こ……怖い話?……はじめました?」

一瞬何を言われているのかわからず、そのまま彼の言葉をオウム返しすることしかできない。

そんな自分に目の前の彼はどこか自信に満ち溢れた笑顔のままゆっくりと頷いた。

「そう。今年は今日からはじめたんだ。ほら、夏の風物詩みたいなところあるじゃない?」

「そんな冷やし中華じゃないんだから」

冷やし中華はじめましたならともかく、よりにもよって怖い話をこんなレトロな喫茶店ではじめてしまったのか。

自分はどう答えていいかわからずとりあえず絞り出すようにそう言葉を返した。

「そう、そんなかんじ」

どんな感じよ?怖い話ってそんな冷やし中華はじめましたみたいなノリではじめていいものじゃないでしょう?

言いたいことは山程ある。

山程あるのにどれも言葉としてまとまらない。

そして今すぐこの場から逃げ出したい。

逃げ出したいのに何故かどこか立ち去ってしまうのが惜しい気がしてただ無言でメニューをみつめる。

彼の指の先に書かれたメニューの文字は


怖い話 サンドイッチとドリンク付き ¥800


またなんとも言えない絶妙ぜつみょうな価格にどうするべきか悩んでしまう。

注文してみたい気もするが怖い話のジャンルによっては苦手なものもある。

苦手なものに出す金額としては高いが苦手なものかどうかは注文してみないとわからない。

外から聞こえる蝉時雨せみしぐれだけが店内に流れ、時間を忘れるように考えていると彼が先に口を開く。

「……おすすめって言ったけどあまり気にしないでいいよ。さっきも言ったけどこのメニューはどれも絶品だからどれを選んでも満足してもらえると思うから。君がどれでも選んでいい」

花のような笑みをたたえたまま彼は無言になってしまった自分に気遣わうようにそう言った。

どれでも選んでいい。

彼のその言葉が耳からのどを通ってに静かに落ちていった。

どれを選んでも満足できるのならば、自分の答えはまとまった。


「それではおすすめをおねがいします」


彼は少し驚いたように一度目を大きく開いてからまた花のような笑みを深くして嬉しそうに頷いた。


「それではご注文の品をすぐにお持ちします」


テーブルを後にした彼はカウンターの向こうの青年に自分の注文したドリンクのアイスティーとサンドイッチを用意するように声をかける。

青年はこちらに向かって一度柔和な笑みを浮かべてから手早く注文した品物を用意した。

カウンターに置かれたカランと氷が音をたてるアイスティーとふんわりとしたパンで作られたたまごのサンドイッチ。

音や匂い、美味しそうな料理が、今、自分は夏の喫茶店の中にいるんだと強く主張している気がした。

カウンターから料理を受け取り彼がこちらに運んできてくれる。

「ご注文の品をお持ちしました。こちらアイスティーと今日のサンドイッチはたまごサンド……それから」

彼が深い笑みをさらに深くして言葉を続けた。


「ぜひ怖い話をご堪能ください」


自分は緊張のあまり飲み込んだ生唾なまつばが自分の耳に残るほど蝉時雨は遠のき辺りは急に静かになったように思えた。

彼の言葉だけが静かな店内に流れていく。


「これは仕入れたての話……これはとある女子高生の話なんだけれどね」

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